旧六合村をお散歩(小倉のシダレザクラ、赤岩、不思議な石仏たち)
この春からは付近の名木を一本一本めぐってみようと思っています。サクラの大木・銘木については、今年は結構、訪問することができました。最後はこの辺りのサクラ巨木としては最も遅く咲く、「小倉のしだれ桜」にもお会いしておこうと思います。
六合エリアの名木(中之条町観光協会のページ)
http://www.nakanojo-kanko.jp/shizen/kuni-ki.shtml
旧六合村入山尻焼温泉からさらに登っていくと、道中に散歩道と看板が見えます。長平道祖神まで85mとあります。もしや小倉のしだれ桜とセットで行けるハイキングコースかも!と思い、立ち寄ってみました。
山をジグザクに登ってゆきます。途中、岩肌をなめて流れる滝がありました。沢登りの考えも頭をよぎりましたが、こういう滝がツルッと行くと一番危ないことを忘れていました。
登ったところにあったのはお墓でした。その左上の方に、道祖神はあるようです。
なんと、これが噂に聞いた双体道祖神、長平の道祖神ですか!
殿方の表情が何とも…?!
そのまま道なりに登っていくと、左に小倉の集落、右に登ると白根開善学校となる四叉路があります。ここでは「小倉の名水」と呼ばれる湧き水がこんこんと出ています。まずは小倉の集落を走りシダレザクラを探しましたが、それらしき名木が見つかりません。
やむを得ず戻って来ると、なんと四叉路のすぐ下にありました。四叉路に車を止めて、小倉集落の中に下りていく道を進みます。
こちらが、六合の白根神社です。近所の人に草津町の白根神社との関係をお伺いしましたが、「こっちの方が古い白根神社なんだ」と仰っていました。えー!こっちが元々の白根神社なの?
貞観5年(西暦863年)に式部省が諸国に「各々の国の神社一覧を作成して提出するように」という指示を出したらしく、一応それで作成されたという『上野国神名帳』によれば、白根神社の祭神である白根大明神は「吾妻十二(十三)社」の中で従一位の格、つまり一番位が高かったとされています(浅間明神は従三位)。また、従二位に「小白根明神」とありますから、もしかしたらそこのあたりが関係しているのかも知れません。
しかし、草津町の白根神社は、白根山湯釜に近い白根隠しに上社のように奥宮があり、下社のような参拝所は、奥宮の真東に位置する、現在道の駅のあたりにあったそうで、今の場所に遷座されたのは明治5年のことだそうです。とすると、草津の方が正当な白根神社のような気がしますが、そういう史実は全てごっちゃにして都合の良い話になっている可能性があります。うーん、どっちでもいいのだろうか?
神社境内に入り手前の社務所のような拝殿を覗きます。台座に座った仏像がいて、上には天上絵も書かれています。
シダレザクラはその隣にありました。なんとも可愛らしい傘地蔵の看板には「根元を踏まないでね」と書いてあります。
これが、小倉のしだれ桜 です。地元の人は本家の白根神社に咲く「白根桜」と呼んでいます。樹齢千年のエドヒガンザクラです。
樹高10m、胸高直径340cm、根回りは約5mです。
一時はかなり樹勢が弱まっていたそうですが、前橋市の万葉園グリーンサービス(http://sakuramori.com/)の塩原貴浩社長(30歳代、日本最年少で樹木医になった人らしい)が治療し回復したそうです。
石段を上ると、この白根神社の本殿らしきものがあります。そこには平安時代の貴族のような姿をした神様がいらっしゃいました。
今日は、白根神社のお祭りだったようです(毎年4月30日かも!チェック必要)。神殿の御扉(みとびら)が開いていたのはそのせいだったのですね。10時頃、撤収と同時に私達も出発します。ところで、神社から見える民家の庭先の樹木に熊棚が見えています。ここではノラ猫の様に熊が出てくるのでしょうか?!
小腹がすいたところで立ち寄ったのは喜久豆腐店(http://www12.ocn.ne.jp/~toufuya/)。本当はこちらの豆腐料理を頂きたかったのだけれども、連休中であっという間に売れ切れ状態です。では、アイスクリームでもいただきますか。
とうふアイス花豆味 です。しつこくなく、たいへん上品な味わいでペロリといただきました。
お客様がドッと入ってきたところで、次のスポットへ。休業中の民宿 山市屋さんのあたりに。
山市屋さんの向いの墓地の中に立派な馬頭観音があって、その裏手にまわり込むと、ちゃんちゃんこ(袖無羽織)を着た一体のお地蔵さんがあります。なぜ服を着ているのかというと…
このようなお地蔵さんだからです。子安地蔵 といいます。大乳如来とか、魔乳菩薩とか、垂乳地蔵とか全部間違いです。昔は医療も整っていませんでしたから、子どもが亡くなることもあった、お乳が出ないで育てられなかったこともあった…のでしょう。子どもがすくすくと生長するために作られたのでしょう。
さて、赤岩集落を散策します。赤岩集落は養蚕を生業にしてきた農山村集落で、江戸時代後期から明治時代に建てられた主屋や土蔵、付属舎、庭といった基本構成からなる屋敷が連続して、当時の日本の原風景的な景観を保持しています。平成18年に東西約1070m、南北約930m、約63haが平成18年に国指定の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。
「まずは「赤岩ん家」と書いてある建物に入りました。ちょっとした博物館になっています。
絹糸の種類のサンプルがあったり、赤岩集落のジオラマがあったりします。
隣の「赤岩ふれあいの家」(赤岩重伝建案内所)にも寄ってみました。集落の案内は1時間一人2,000円だそうです。中はお土産ショップになっていました。
絹糸の携帯ストラップがありました。え?これが組紐ってやつですか。なるほど、これを体験できるという事なのですね。うーむ。私だったら、こちらの糸巻きランプがいいな〜
その隣にある水車小屋では、水車の動力を活かして石臼が動くようになっていました。
これが土蔵3階建ての住居、湯本家(中之条町指定重要文化財)です。木曾義仲の家臣を祖に持つそうで、幕府批判をした事で罪人となり脱獄した高野長英が隠れ住んでいたそうです。高野長英が住んでいた部屋は「長英の間」として、当時のまま保存されているそうです。
こちらは木造三階建ての関家。見た目では四階建てににも見えます。「せがい造り」そのものが、養蚕のために開発された住宅ということではないと思うのですが、上に行くほど広くなる造りは、蚕を飼うスペースが広く取れ、人間よりもお金を生む「御蚕様」の方が大切にしていたということでもあります。また、屋根が広く出っ張るので、軒下が広くなり、雨の日でも作業ができるというメリットがありました。吾妻の養蚕農家は、みんなせがい造りになっていたはずです。
そのすぐ上に稚蚕飼育所蹟があり、隣接して新しい公衆トイレもありました。稚蚕飼育所蹟の中を覗いてみると、
なるほど、ここで婦人部の方々が絹クラフトの指導をなさっているのですね。赤岩おかいこ部会様が。
あ、お蚕とヘビ。どうせ繭クラフトなんて作って持って帰ってもすぐに捨ててしまうのだから、このくらいふざけたものにしてしまった方が面白いかも。
さあ、今日も民話の里・六合村でたっぷり遊ばせてもらいました。昼食はそば処 野のや(http://www.kunimura-kankou.com/2010/03/post_251.html)でいただきます。野のやおすすめ きのこ三昧そば を注文しました。
おー美味そう、これが きのこ三昧そば ですか。温かい汁につけて食べるのです。
たっぷりのきのこ、きのこの濃厚な味が口の中に広がります。(美^〜^味)モグモグ♪
マイタケの天ぷらも、どう食べていいか解らないくらい大きかったです。春でも深山を感じるきのこ三昧させてくれたのはありがたかったです。