王城山とカタクリの里を訪ねるエコツアー



今日は浅間・吾妻エコツーリズム協会のエコツアー現地研修会です。長野原町林地区で生まれ育った名インタープリター・浦野さんに、同地区の王城山と王城山神社、カタクリの里を詳しく案内していただきました。




  


王城山神社の駐車場に集合し、まずは王城山神社に安全登山の祈願をしてから登ります。鳥居にはしめ縄が張られ紙垂(しで)が下がっています。今の時期に花を咲かせているクマシデやイヌシデなどのシデ類(カバノキ科クマシデ属)の名前は、花序がこの紙垂に似ているからついたそうです。




  


王城山神社の本殿の彫刻は本当に立派。そんじょそこらの神社とは品格が違います。




  


ところがその奥にもう一つ拝殿があります。実はこちらの方が古い社だそうです。吾妻太郎藤原行盛(〜1349年)(岩櫃城主)が、信州諏訪大社(武運長久の神)を勧請して、領内の勘場木場(大津のあたり)に上社を、林の森に下社を造営した…というのが王城山神社の始まりだそうです。そしてその隣には、春(5月5日)に山の神様を里の神様・田の神様に招きおろし、秋に山にお帰りになるまでお過ごしいただく御仮屋が設置されていました。




  


境内には集められてきた双体道祖神が置いてあります。中でも町内でも最も古いという、1706年に作られた相対道祖神は、お互いのお手てが○秘部分にのびています。かつて村の境界線にあり、村を悪霊から守っていた道祖神。そしてその村はずれは、男女の出会いの場でもありました。隣村の意中の君。祭りで高揚した情熱的な男女。1706年に作られたこの道祖神を見ると、かつては集落を守るために、若者たちに子供を作らせようと、社会として婚活を認め推奨されていたような気がします。


もし今こういうものを作ったら、モンスターペアレントが出てきてPTAやら教育委員会やらで大変なことに!? …近代社会で育った私たちにはたどり着けない、おおらかさが昔はあったのかもしれませんね。




  


また、たくさんのお社が安置されていましたが、明治時代末期に行われた神社合祀(じんじゃごうし)という、神社の合併政策によるもので、複数の神社の祭神を一つの神社に合祀させるか、もしくは一つの神社の境内社にまとめて遷座させ、その他の神社を廃することによって、神社の数を減らされたのだそうです。


そして境内には土俵があり、毎年8月28日には「だんご相撲」という、祭儀相撲を行います。諏訪神社の御祭神、建御名方神(たけみなかたのかみ)は武勇の神様だそうですが、地域の未来を担う子ども達の勇力を競う競技相撲を奉納し勇気と力を授かろうとする一方、山からお招きした神々を歓待する意味を持たせているのだそうです。また、当地を治めた真田幸隆がこの神社で護摩を焚いたら男児が生まれたから…という裏話もあります。




  


王城山神社神杉は、長野原町指定天然記念物で、平成元年に設置された看板には目通り4.64m、高さ36mで樹齢400年と書いてあります。王城山神社は大昔(約1900年前?)、日本武尊が御東征の折に御駐屯なさった旧跡で、人々は長く尊をしのび山上に祠を建ててこれを祀り、また里宮には王城山神社を建てて奉ったそうで、それが天正13年(1586年)と王城山神社縁記にあるそうです。さらに『加沢記』には、永禄6年(1563年)に真田幸隆軍が岩櫃城攻撃に際し「林の郷、諏訪の森に本陣を置く」とあり、この神社を本陣としたそうです。そのあたりに植栽した杉だとするとちょうど樹齢は約450年となり、史実に矛盾しません。


また、石段の手前に設置された手水鉢は、これから登る王城山の中腹にある崩落した岩塊の石で、安山岩がうまく焙烙の形に剥離したものをうまく利用したものです。




  


ここからは、私も初めての道を進みます。王城山神社の前の道を西に少し進むとある道しるべ、ここから右の山に入っていきます。道しるべには「右ハやまみち左ぜんこうじくさつ」と読めます。




  


王城山神社の裏にある杉には、熊が木登りした跡が見られます。この里には普通に降りてくるのでしょう。





  


止まって観察しているのはイヌブナです。王城山にはイヌブナがかなり見られます。嬬恋村草津町、旧六合村ではブナしか見たことがありません。




  


八ッ場バイパスのトンネルの上を渡ると、右手にはコナラ林が。ここで拾ったスカシダワラ(クスサンの繭の殻)で浦野さんのインタープリテーションです。




  


うちのガイドはプロが多いのでとても勉強熱心なのです。
いかにも私好みの木。複雑な根があらわになった樹木の分岐を左に曲がります。





おっと、ここにも私好みの大木が。アカマツが一塊の根から三本の幹を直立させています。ここを右に曲がります。




  


隈がはっきりしている笹はミヤコザサだそうです。嬬恋プリンスホテル〜万座ハイウェー料金所あたりにも見られますね。ワーオ、野生動物の頭蓋骨です。カモシカかな?




  


大きな岩がごろん。石尊山から転がってきたのでしょうか。少し開けたところに来ました。癒されるいい場所です。




  


ここは三合目・二反沢です。スギ林があったり、コナラの薪炭林があったりで森づくりの話もしてくださいました。




  


尾根状の地形を進んだところで、毛むくじゃらの野草が顔を出しました。何かな?(後日判明、ヤブレガサ




  


左が紙垂から名前をもらった樹木・クマシデです。右はアカシデかも?きちんと同定していません。




  


これはウリカエデだそうです。王城山にはウリハダカエデは少なく、ウリカエデの方があるそうです。




  


五合目の手前で大きく伐採されているところがあって、眺望がいいです。







右の高いのは菅峰。真ん中の手前には一段低く丸岩があります。その左にある尖った部分が高ジョッキ(1,208m)です。なんと丸岩は元々、菅峰の一部だったそうで、あの絶壁は断層なのだそうです。清水さんの話では、日本は安山岩火山なので持たない、100万年に一度は崩れ、大きな断層が露出するそうです。







右上に印象的な樹木が現れ、五合目まで来ました。ここでひと休憩いれます。




  


五合目の名前は傘木と書いて「からかさき」です。名前の由来となったカラカサ松は、以前は左側にも枝があり、それこそカラカサの形をしていたそうです。




  


キブシ(木五倍子)の花で、浦野さんのインタープリテーション。キブシで見つけたアカスジキンカメムシのお話。本当に自然をよく観察しているお方です。


ところで、この時期のお花は花序が下に垂れるものが多いような気がします。花粉を運んでくれる特定の昆虫に合わせているのでしょうか?




  


ここからは、また山道になります。ようやく登山っぽくなります。浦野さんによると、

王城山は約120万〜90万年前に、碓氷火山列(碓氷峠から北へ、鼻曲、浅間隠、菅峰、王城山、高間山、松岩等の連なる山々)の火山活動の活発化に伴い、溶岩や火山噴出物を大量に流出させ、安山岩質溶岩や火山噴出物が固まって凝灰角礫岩等からなる成層火山を作った:放射性元素の測定から90万年前後にできたという事実が判明している。


まずは岩が崩落しているところを横切っていきます。







崩落した岩が欠けています。このような剥離するような欠け方をするのも安山岩の特徴で、これがうまく焙烙状の器のような形状になることがあり、それを王城山神社里宮で手水鉢として使っているのです。




  


六合目焙烙岩の標石で折り返します。ここから高間山にも行けるそうですが、木村さんによると道かたがかなり解らなくなっているそうです。




  


片斜面を登りながら、焙烙岩の塊、岸壁に接近していきます。







ものすごい絶壁です。普通、こういう崩落しやすい岩の下は通れない場合が多いのですが、霊山・王城山では一味違います。奥宮に続く参道ですから行かなきゃ仕方がありません。




  


岩塊を回り込むと船窪というところです。おや、こんなところに穴がありますね。




  


一体、こんな山奥にどうして…?ここが古城だったことから、思わず、ここに伏兵を忍ばせていたのではとか考えてしまいます。そう思うと上の岩だって…?
(後でみんなの意見を聞いたらやはり炭焼き窯だということに落ち着きました。)




  


船窪の名前にふさわしい、谷間を登ります。整備された木道ですが、斜度は結構急です。そしてようやく八合目の中棚尾根です。ベンチがあってひと休憩です。




  


この先は古城があったところです。左の道から進みます…が、行く手に樹木が倒れ、道を塞いでいます。







しかし何のその。倒木の根株を乗り越えて進みます。




  


右手に岩壁が見えます。左下は奈落の底。その昔、この谷の向こうにあった長野原城を攻める際に、樹木を伐って谷に落とし、橋を作って攻めた…という話があるそうです。でもまさかここからじゃ無いでしょう?




  


ここが九合目・御籠岩(みこもりいわ)です。昔は日本武尊が御東征の折に御駐屯されたという、大きな岩陰があったそうですが、崩れやすい凝灰角礫岩なのでもう残ってはいないそうです。




  


先ほどの標石にも書いてあった御手洗(みたらい)の池の湧水が見えます。日本武尊が手を洗った水と伝わっていて、この水を持ち帰り、井戸に注ぐと一年間の無病息災が約束された「水分け神事」が昔はあったそうです。水道の普及により今は行われていません。


ここから、まず先に奥にある王城山神社奥宮に、向かいます。




  


奥宮広場にあったのはオキナグサです。これでわかりました。







おや、ここにも御仮屋がありますね。王城山神社について考察すると、この奥宮は、やはり真田幸隆が王城山古城を攻め落としてから、勘場木場にあった上社をここに持ってきたと考えるべきだそうです。武田家は軍神である諏訪明神建御名方命(たけみなかたのみこと)への信仰心は厚く、落とした王城山の後ろに上社を置き、岩櫃城を攻める体制を整えた…と考えるとつじつまが合ってくる…そうです。




  


それでは、王城山山頂を目指します。少し戻ってあずまやを越えて、階段を上って…




  


王城山山頂に到着。先ほどの奥宮よりもこちらの方が少々、景色が良いです。







頭上に現れた虹現象は環水平アークといいます。まるで祝福を受けているみたい。




  


王城山山頂でお昼ご飯です。ここで高間山との関係の話がありました。元々の王城山は高間山と繋がっており、溶岩の流れた方向、谷筋から推定すると、当時の山頂は高間山付近が考えられ、現在の王城山は当時の成層火山の山裾の一部だと考えられるそうです。


さて、下山します。




  


このコースの中で最も足のすくむ場所です。両側はどこまでも転がっていきそうな奈落の底。







冬は、とても来たくない場所です。が、今は整備が行き届いているので大丈夫です。とてもスリリング。かつての城時代はどうやって行き来していたことやら。




  


船窪を降りて行きます。頭上のとても高いところに熊棚が。




  


七合目の標石を越え、左に回り込むと、







大焙烙岩の大崩落地です。




  


ヒトリシズカが咲いています。




  


萌芽更新したケヤキが世にも不思議な形に成長しています。うわっ、怪物!?




  


五合目から下、アスファルトのあたりまで来ると新緑が現れます。




  


堂巌山に向かって降りていきます。堂巌山の名前の由来は、山の中腹にお堂の屋根のような三角形の岩があるからだそうです。途中から右の住宅造営地に入ってゆきます。




  


カタクリの里につきました。カタクリは、雪解け直後に地下深くの球根から植物体を伸ばし、地上に花を咲かせます。花の期間は短く、群落でも2週間位です。本格的な春が来る前に、いち早く春先に花をつけ、夏まで葉をつけると、あとはまた地下で過ごします。こういう春植物(はるしょくぶつ)を別名でスプリング・エフェメラルと言って、直訳すると「春の短い命」「春の儚いもの」というような意味で、「春の妖精」とも呼ばれます。登山の疲れも、妖精たちの饗宴のおかげで吹き飛んでしまいます。







品がいいというか、清楚というか。元々、林の中に点在して咲いていたそうですが、20年ほど前から地域の皆さんが春と秋に手入れをするようになってから、現在は60アールものの群生地になりました。




  


山から降りてきて、最後にカタクリを鑑賞するのはいい流れです。私はいつも逆順番で鑑賞していました。上の道を歩いたのも初めてです。




  


カタクリは種に脂肪分が多く栄養価の高いエライオソーム(種枕:しゅちん)というものをつけています。それを蟻が好み、アリの巣付近にまで種を運んでくれます。種が発芽しても、7年目までは葉は一枚のみで、約8年目でようやく双葉になり初めて開花します。花の向きが常に下を向いているのは、受粉を脚力の強いハナバチに頼っているからです。







カタクリの咲く里山風景。聞いた話ではカタクリの葉は天ぷらにすると最高に美味しいらしいですが、可憐な花を見るとその希少性から私には手が出せません。心配なのはイノシシですが、カタクリの根は地下25〜30cmにあるらしく、イノシシが面倒なので手を出していないのかも?とのことです。







地面から伸びる長い鳥の足のようなものは、ルイヨウショウマだそうです。




  


帰り道に、不思議な場所を訪問。神明照四海(稲荷社らしい)と書いてある社の裏には「つぶらっこ様」と呼ばれる石があります。この石は小さな石を生むといわれ、「子宝縁起」として親しまれているそうです。





ゴミ収集場になってしまっていますが、「王城山入り口」の石柱が埋め込まれている岩の路頭はデイサイトで、王城山の地質よりもはるかに古く、約300万年前のものだそうです。横壁層の一員だそうです。


いやいや、それにしてもよく勉強しよく歩きました。ここまで整理するのはホントーに大変でございました。今日の学習内容を生かした、エコツアー商品を作ります。皆様お楽しみに〜






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