四阿山開山祭(平成27年度山家神社奥社例祭)
今年、四阿山と真田氏のことを取材していく中で、四阿山の信仰に触れることになりました。上田市真田町山家郷の産土神で、四阿山をご神体とする山家神社が、毎年六月一日に四阿山中腹の中社、山頂の奥社で開山祭を行っていて、一般の人も参加できるそうです。ずいぶん長い間、群馬県側(嬬恋村)とは一緒にやっていなかったらしく、そんな情報は私も知りませんでした。今回、山家神社関係の方々がお声がけくださり、参加させていただくことができました。
それにしても凄い車の数です。今年は特に、四阿山山頂にある二つの奥社のうち、上州側を向いている「西の宮」を約半世紀ぶり?に改修工事を行うので、山家神社氏子方、地域住民、その他関係者が造営のための資材上げを5/30、5/31、6/1の3日間で行っているので、例年よりも大勢見えているようです。
ボランティア参加の受付をすると、なんと山家神社の「水分神(みくまりのかみ)鈴まもり」がもらえます。水滴音が反響する不思議な音色で神秘的です。
登山にはそれぞれペースがあるので、ゆっくりな方は早くから出発しています。私はとりあえず、押森宮司についていくことにしました。ほとんどの人が出発したのを確認してから、ようやく登り始めました。すぐに前の長蛇の列に捕まりました。
菅平牧場に出てからはかなりハイピッチペースに。バンバン抜かしていきます。
車で来られる最高地点に、奥社の資材は置いてありました。材質は押森宮司の希望により木製=腐朽しにくいクリ材を使用。1kg〜11kgの70個に分け、すでに荷揚げする担当者が決まっています。
それに、プラスアルファで社の周囲に敷き詰める玉石を1袋以上持っていきます。一袋約500g。私も、10袋ご奉仕させていただきました。
ムラサキヤシオの花が綺麗です。
里宮(中社)に到着。中には、体を鍛えるためと、四阿山への崇敬を込めて、40袋=20kgを上げている方もいらっしゃいました。
押森宮司は、一番最後の方に出発して、参加者の安否を確認した後、凄いペースで登ってきて、いち早く到着し、神事の準備をします。今日の神事を務めるためにアドレナリンが全開になっていることもあるでしょうが、神様の力でしょうね。四阿山の護りを背負って登っていますから、誰もついて来られませんし止められません。
里宮社の中には「山家神社中社」の木札が入っています。ここは西花童子とも呼んでいます。
四阿山中社での例祭が始まりました。なんと、雅楽(竜笛)の生演奏つきでした。
修祓(しゅばつ)、玉串奉奠(たまぐしほうてん)…等、内容は普通の山開き神事と同じです。奥宮だけではなく、里宮(中社)でもやるのが特徴ですね。
直会(なおらい)はキャンディー。まだ上に登りますからね。
それにしても押森宮司の体力には頭が下がります。登山中にいろいろと話を聞かせていただきました。話しながら登るのは相当きついはずですが、全然堪えておられない様子。「四阿山に登れないようでは山家神社の宮司は務まりませんから」…確かに。押森宮司にとって四阿山登山道は細部まで神経が行き届いている、目をつぶっても登れてしまう「うらやま」なのでしょう。
できれば、来年は山頂にあるもう一つの奥社、群馬県の土地に建つ「東の宮」も改修工事を行いたいとのことで、NHK大河ドラマ「真田丸」も放映となることだし、群馬県と合同で行いたいと考えていらっしゃいました。それは素晴らしい。私もできる限りご協力させていただきます。
この登山ブームですから、「6月1日の四阿山開山祭で奥宮資材を荷上げする」ことをヤマケイの雑誌なんかに載せたら、荷上げボランティアはたちまち何百人も集まってしまうと思います。そして来年は長野県のあずまや高原からではなく、群馬県の鳥居峠からのルートで登り、里宮神事は東花童子で行う。神社社殿を荷上げすれば霊験あらたか。パワースポットブームでもあるし四阿山開山祭宿泊プランも設定し、1000人登山イベントを目指す。そうすれば派手なことが大好きな熊川栄嬬恋村長がノッてこないとは考えられません…。しまいには、全国から寄付を募り東花童子宮を再建してしまうとか!
「神域に来ましたね」。ええ、空気が変わりました。
南側から登ってくると、まずある社が「西の宮」です。「西の宮」は菊理媛神(くくりひめのかみ)を祀っています。伊邪那岐神が伊邪那美神を追って黄泉国に至り、そこから逃げ帰ろうとして黄泉平坂で争った際に、間に立って二神の調停をした神様で、白山権現の垂迹です。
担いできた玉石を下ろして、様子を拝見しました。西宮社殿はすっかり解体され、基礎工事が始まっていました。2.4kgの荷上げを担当されたやまぼうし自然学校の加々美さんは「大変な仕事だけど、こういうことを地域のみんなで協力して行うことで、地域の絆や結束力が高まっていくのでしょうね」と。本当にそう思います。
登って来るのは大変ではありますが、なんという景色の良い現場なことでしょう。こんな仕事なら毎日したいですね!
その次にあるのが岩室つきの「中の宮」。石積社とも呼ばれています。最古の斎場で、大己貴神 (おおなむちのかみ )を祀っています。大己貴神とは大国主神(おおくにぬしのかみ)の別名ですが、押森宮司曰く、火山に関係するところは大国主神ではなく大己貴神を祀っている傾向がある…そうです。大国主神は須佐之男神の六世孫で、出雲の神として有名ですが、国造り、国譲り神話の中心的な神で、広く全国を統べる神格を持ちます。
山家神社は元々、大国主神を祀って旧山家郷の産土神としたものであり、景行天皇(71〜131)時代に日本武尊を合祀しました。その後、泰澄の弟子・浄定が養老2年(718)に四阿山に白山権現を勧請し、神仏習合により一時は白山寺が旺盛となったが神仏分離令により白山寺は廃寺となり現在に至っています。
「東の宮」に到着。ここに伊邪那美神(いざなみのかみ)が祀られています。伊邪那美神は神世七代の最後にイザナギとともに生まれた女性神で、国産み・神産みにおいてイザナギとの間に淡路島・隠岐島からはじめやがて日本列島を生み、更に山・海など森羅万象の神々を生みました。しかし火の迦具土神(かぐつち)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなり、黄泉国の神となりました。
本日、地図とコンパスを持ってこなかったことは痛恨の極みですが、私が気になっているのは社や祠の向き。一般的に真田郷山家神社を向いているといわれる「東の宮」の向きは、真田郷よりもやや西を向いています。また、群馬県を向いているといわれる「西の宮」は「中の宮」と同じ方向であることも気になります。社の向きに何か秘密があるのではないかと。とにかく気になります。
押森宮司が出している「山家慎聞」。新聞の新の字を慎とした、低い姿勢に感心します。平成27年6月号には、四阿山の名前の由来が記されていてとても良いです。ぜひ、山家神社に参拝の上、手にしてください。
山家郷塾理念
一、自然の恵みと祖先の恩とに感謝し、日々お陰様の心を持って郷生の道を歩むこと
一、地域の歴史・伝統・文化を学び考え今を照らし、故郷の振興と再生を図ること
一、永遠と続く歴史の中にある今を意識し、祖先から受け継いだモノを守り伝えること
真田町長小学校5・6年生たちも登ってきました。菅平牧場管理事務所から中四阿ルートです。都会の子供では、まず無理でしょうね。真田の子は強い!
「山家慎聞」より
四阿山は水分神(みくまりのかみ)として、広い崇敬を受けた御山であります。江戸時代に記された『四阿山縁起』には以下の様に書かれています。
この山より流れ出す川
滝川 大明神川 一致して加賀川(神川)と云う
北の方へ落る川を越川 と云う
南へ落る川は 上州利根川 の上なり
合わせて 四流絶頂の雨 を垂ると云う
その名前の由来にはさまざまな説がございますが、信仰の面から感じるところでは、この四つの川の流れにより、裾野に広がる土地土地に絶えず恵みをもたらし、平穏な暮らしを支えることから、四阿山と呼ばれるのではないかと感じております。
“四流”の“四”には四海波静「天下がよく治まって平和である/四方の海が波立たずに静かな状態にある」に通じるものがあります。
現在でも川の長さ一位信濃川二位利根川、流域面積一位利根川三位信濃川を支えている山であり、生きとし生けるものの命を支えている尊い御山であります…
開山祭が始まりました。今現在は6月1日に開山祭としてのみ行っているこの例祭も、かつて(明治初年まで)は6月15日と11月17日に「神送り・神迎え」神事として、例大祭に次ぐ祭事だったそうです。6月15日には親神様を本社から涼しい奥社へ送り、子神様を本社へ迎え、11月17日には逆に親神様を本社に迎え、子神様を奥社へ送ったそうです(ただし、親と子が逆という説もあります)。この神事は農耕の田の神信仰だと考えられますが、親子神が山と里を交代するという形は、全国でも珍しいそうです。
四阿山山頂で雅楽生演奏付きの神事を体験できるなんて夢のようです。「御霊分け」で押森宮司が鈴を振ると、心が安息する、何ともいえない良い音色がしました。まるで水の中で振った鈴音のようでした。あの時、水分神である四阿山の神様が降りてきたのを感じました。神楽鈴とも少し違っていますが、後で聞いたところ、特注ではなく普通の鈴だそうです。神様が出した音だったのですね。
一通り拝礼が済み、押森宮司が挨拶をしました。皆様による奥社造営のための尊いご奉仕のおかげで、天気予報では当初雨だったのにいい天気となりました。まさに至誠通天、誠を尽くせば、願いは天に通じるのだと感じます。できれば来年はこの「東の宮」も改修し木材の社にしたいと思っております。決定しました暁には、ぜひ、ご協力を賜りたくお願い申し上げます…とのこと。 ええ、もちろんですとも。
このブログをご覧になられた皆さん、来年6月1日はぜひスケジュールの調整をお願いいたしますね!