長野原町、林のだんご相撲 −王城山神社里宮大祭にて



今日は長野原町林地区、王城山神社の里宮大祭日。毎年8月28日に行われるこの大祭日には、前から目をつけていた珍しい神事「だんご相撲」があるのです。どういう風に行っているのか、見に行きました。



  


せっかくの機会なので、同地区にこの春にできた「道の駅」八ッ場(やんば)ふるさと館で昼食をとることにしました。旬菜レストラン「ほたる」に入ります。


http://yambamichinoeki.com/ 「道の駅」八ッ場ふるさと館




「ほたる」の名前は、この近くにゲンジボタルが舞う沢があるので、そこから来ているのだと思います。しかし、メニューにある「ほたるタンメン」は、ゲンジボタルが入っている訳ではありません。



  


私は八ッ場タンメンのハーフセット、連れは五目あんかけタンメンのハーフセットを注文しました。五目あんかけタンメンの方が美味かったですね〜





長野原町名刹・王城山神社です。今回、もう少し詳しく王城山神社とだんご相撲の事を調べるにあたり、長野原町教育課の白石様より専門書のコピーをいただくことができました。

王城山略縁起群馬県の祭り・行事 ―群馬県祭り・行事調査報告書―)より


抑王城山神社の由来ハ日本第一軍神と崇め奉る信州諏訪大明神の同躰なり、往昔吾妻太郎藤原行盛常に信仰深かりし処、或時難戦の砌御守ハ矢疵に損し候といへとも一身に少の疵もあらされハ、是偏に御守の威徳なりと弥々信心肝に命し、領内勘波木村に勧請し信仰年久し、其後真田一徳斎初老にして子なく、此御神に祈誓して別当において三七日男子誕生の護摩供を修行せし処、不思議に男子出生ありけれハ信仰益深くして天正十三年に今の御山江社を移され、御祈祷料も御寄附せられし処なり。王城山虫切鎌と云ハ、吾妻太郎落城の後、藤原家重宝の鎌を則ち此御山に奉納しけれハ、名将の持れし鎌なるゆへに何のころより一ヶ月二ヶ月或一年御借請申、信仰する時は小児の虫、蚕の虫、鼠、五穀の虫其他虫の難を除る事秋風の雲を吹沸か如し、又右の鎌を返納する時ハ二丁にして納るなり、これによりて鎌も数百丁にふえて、利益も又日々に盛なり。
七月廿七日廣庭において団子相撲という例祭あり、団子相撲と云ハ米の粉にて人形を作り、参詣の砌小児に投させ、斯の如く勇力に成長する処を守らせ、いへいへ心願してして吉端をねがう祭礼なり、何の地よりか男子相撲と唱へ十才以下の子どもに相撲をとらす。是も寿命長久の祭礼なり、斯の如く利益莫大なる御神なれハ、常に信仰する輩は子孫永盛・剱難矢除守護疑なしと云

  上毛吾妻郡林村 別當 大乗院


真田一徳斎とは吾妻太郎を滅ぼし吾妻を治めた真田幸隆のこと。王城山神社に祈願したところ、初老にして男子を出産したとあります。私はこの故事から、神様に感謝をささげて男子相撲を奉納することになった…とも考えていたのですが、男子出産の話と団子相撲は別で書かれています。さらに、真田氏が厚く信仰していた諏訪神社(御祭神:建御名方命は軍神)には相撲土俵があるのかな?…との読みも、中軽井沢の長倉神社は、ご祭神が誉田別尊でも土俵も相撲神事もあるので見当違いでした。つまりは、境内に土俵があり、相撲を奉納する神事がある神社は王城山神社だけではなかったのです。(そういえば草津町白根神社の横にも土俵があるが、あれは神社のものかな?)


中軽井沢長倉神社
http://www.genbu.net/data/sinano/nagakura_title.htm



  


門前にも、本殿にもお祭りの飾りがなされています。




ぐるっと回って上に来ました。このポジションもかなりいいカメラアングルだと思うのですが、誰もスタンバイしていません。これには、訳がありました。



  


「ハチの巣 注意」 の看板が!なんと獰猛なチャイロスズメバチの巣が、杉の老木内にあったのです。

なんとこのチャイロスズメバチは、キイロスズメバチ或いはモンスズメバチの巣にもぐりこみ、女王蜂を刺し殺して巣を丸ごと乗っ取ってしまう、凶暴なスズメバチなんです。これは近づけません。


チャイロスズメバチについて
http://www.8hiro.com/tyairo.html


  


朝から里宮大祭が行われ、13:30頃になると子供たちが集まってきます。毎年8月28日と日程が決められているので、今年のように平日(水曜日)であることが普通です。なのに、地域の学校はだんご相撲があるからと学校を早仕舞いして、学校行事として先生方も一緒にだんご相撲に参加するのです。役場の方々も何人も参加していました。


集まってきた子供たちを男女に分け、土俵を通過して拝殿へと進みます。



  


拝殿の前で宮司がお祓いをし、行司を先頭に神社のまわりを時計回りに七回歩きます。



  


行事の掛け声に子供たちが続きます。「ワッショイ、ワッショイ」



  


一行は一回まわるたびに神前で頭を垂れますが、行司は一回まわるたびにお神酒を飲まされ、どんどん酔っ払っていきます。



  


七回まわり終わると石段をかけおりて土俵のまわりに座り、出番を待ちます。



  


まずは普通の相撲と同じように取り組みます。男女別で小さい子から。
見合って見合って、ハッケヨーイ、



  


のこったのこった〜



  


熱くなってきました!思わず、もっと近くで見たくなり、土俵際まで来てしまいました。軽量級、重量級、がんばれがんばれ〜





おお、激しいあたりです!



  


この名勝負、もっと詳しく解説したいのですが、「記事が長い」と苦情が出ているので(たぶん)、画像でお楽しみください。



  


真剣にやっているから、見ていても気持ちがいいです。





投げが決まりました。勝負アリ〜





さて、2回目の取り組みは、昔ながらの団子相撲の方式で行われます。力士が向かい合って、両手を出して指を組み合わせ、左右に「ヒイ、フウ、ミイ、ヨウ、イツ、ムー、ナナ、ヤー、コー」と両腕を左右に振り、「トウ」で取り組んで相撲を取り始めます。





長野原町の民俗より】
左右に腕を振ることをフリタマといって、「王城山神社略記」には「だんご角力神事 上古は米の粉にてつくれる人形を社前に投げたりと云ふ、今十歳前後の小児をして角力はしむその作法中一般角力の如き仕切りなく力士互に手を取り合ひ霊振りしつゝ鎮魂歌を歌ふ状何時の頃より始まりしや詳かならずと雖(いえど)も石上の布留の神事など思はれてゆかしき手振りなり」と説明しており、魂をふるいたたせる所作と考えられていたことが知られる。(中略)「王城山略縁起」によれば団子相撲は、米の粉で人形を作り、参詣の子どもに投げさせた行事に起こるといわれ、それがいつのころからか男の子が相撲をとるようになったのだという。団子が男子に代わられたというのである。これは団子相撲の起源説話として興味深いが、おそらく事実ではあるまい。ただ、その伝説にこめられた信仰の意味については、十分に吟味してみる必要があろう。



相撲が終わると、氏子総代がおやつを配ります。私も、キャラメルをもらいましたー。キャラメルを配るのは昔から決まっているんだそうです。何十年も前から子どもたちも大人も見物人も甘ーいキャラメルを舐めながら、このだんご相撲にかかわってきたんですね。皆さん、お疲れさまでした。






人気ブログランキングへ にほんブログ村 環境ブログ エコツーリズムへ にほんブログ村 アウトドアブログ 野遊び・森遊びへ にほんブログ村 アウトドアブログ 自然体験へ