小池源八翁のこと



奈良県の高山様(大宮巌鼓神社の高山家の縁故の方)から以前、いただいた資料を、ここに公開させていただくことにしました。



      



昭和17年1月、うちのひいひい祖父ちゃんである小池源八さんが百歳で他界した際に発行された「百歳小池源八翁略歴」。ここに、小池家の先祖や親戚の名前が書いてあります。

  • 天保14年(1843) 源八出生 父源蔵16、母よか21
  • 弘化元年(1844) 木村卓堂原町に開塾 高山茂樹(十歳)入門す
  • 弘化4年(1847) 高山真滝没す年81
  • 嘉永元年(1848) 上原政右衛門に就きて手習いを始める
  • 嘉永6年(1853) 高山茂樹大人に就きて学ぶ
  • 萬延元年(1860) この頃より一宮剣客山口藤十郎、多々良勝信に就きて剣術を学ぶ
  • 文久3年(1863) 妻つるを迎ふ
  • 元治元年(1864) 長男友市生る
  • 明治16年(1883) 長男友市に妻を迎ふ
  • 明治20年(1887) 父源蔵没す年60
  • 明治25年(1892) 翁、教導職試補となる
  • 明治27年(1894) 長孫静一生る
  • 明治29年(1896) 高山茂樹大人没す、之より後翁高山家の為に特に盡くす所有り
  • 明治30年(1897) 孫鳥一郎生る
  • 明治35年(1902) 翁、教導職訓導に昇進、高山茂樹夫人佐伊子没、翁の母よか没す年80
  • 大正2年(1913) 長孫静一没す年20
  • 大正9年(1920) 孫鳥一郎に妻を迎ふ
  • 大正10年(1921) 曾孫房枝生る
  • 大正12年(1923) 曾孫勝正生る
  • 昭和12年(1937) 孫彌八出征す
  • 昭和13年(1938) 翁、中教正に、長男友市没す、高山昇大人翁の為に壽碑を建立す
  • 昭和15年(1940) 曾孫延吉生る(家庭曾孫13人目)
  • 昭和16年(1941) 大宮巌鼓神社郷社に列格、翁家督を孫鳥一郎に譲る
  • 明治17年(1942) 翁健やかに超歳、郷人相謀りて祝壽の会を組織す、1月6日臥床、同月23日長逝す


うちのひい祖父さんは、友市さんという名前だったのですね。




百歳記念

 皇国の民と生れて百歳のよはひを重ね得ました事は私の此上ない幸福と深く感謝して居ります所へ皆様から御祝ひを戴きまして誠に光栄の至りと辱く存じます。
御返しの印迄に私の身に着けました装束を皆様の敷程に裁ち此の紙に包み肖像絵葉書を添へて御頒ち致します。さゝやかなものではありますが私の心の籠りましたものとして御納め下さいますれば幸甚であります。
 昭和17年1月吉日  百歳翁 小池源八

  



高山昇宮司は元々大宮巌鼓神社の跡取り宮司として生まれた方で、富士山本宮浅間大社宮司時代には懸案であった富士山頂奥宮の境内地を八合目以上と認定したり、伊勢神宮神部署の初代署長、厳島神社宮司伏見稲荷大社宮司大日本神祇会顧問、神社本庁顧問などを歴任し、生涯を神道に捧げ全国的に活動をしたお方で有名なお方です。その高山昇様が「小池源八翁壽碑々陰記」として讃えてくださったり、以下のような祝歌までおくってくださっています。

  • 七十路を世に稀なりとたゝへ来しに 小池の老翁はもはや百とせ
  • もゝとせを十度かさねて千よを経む 君がすがたをこゝにうつし絵
  • うつしえをとはに仰がむ玉ちはふ 紙につかへて生きとほしの人

 昭和17年1月14日 後進79隻 高山昇拝



小池翁壽碑前写真





巌鼓神社前写真



源八ひいひいじいちゃんは、神道一筋に生きたお方だったようです。美しく生きた祖先を持っていて私は誇らしいです。


烏帽子を被っている年長の人は高山昇様で、若い神職は嗣子である彌兵衛様だそうです。






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