東吾妻町大戸、坂上、奥田地区文化財めぐり



岩下城址視察のあと、妻と一緒に東吾妻町文化財をいくつか訪問しました。



  


いつも、忠治地蔵に行く際に、「畔宇治神社の石燈籠」という看板が気になっていました。なぜかって?それは、字が全く読めないからです。「くろうじ」と読むそうですが、畔=あぜ 以外の別の読み方があったとは知りませんでした。


国道406号線から参道の階段を上ります。





これが東吾妻町重要文化財の「畔宇治神社の石燈籠」です。台座というか基礎が高いためか総高は350cmもあります。神社の社頭にありますから対になっており、二つあります。



  


台座には「寄進 加部安左衛門」「文政九年酉戌四月」の文字が彫られているのが見えます。文政9年とは1826年ですから、約190年前。190年前でこの位の風化具合だということです。加部安左衛門は大戸関所の関守であり、加部家は当主になると代々安左衛門を名乗っていました。この時の当主は十一代目。国定忠治とも仲がよかったそうで、忠治が処刑される時に最後に望んだのは、加部安が造った銘酒「牡丹」だったそうです。



  


台座には「ひょうたんが倒れて馬が飛び出す絵」と「海の中にいる龍のような鯨のようなオバケ」が彫られています。うーむこの辺は私には意味不明なのですが、石工は信州伊那郡赤木村の手塚曽助知魚と下牧村の池上仙蔵繁吉だそうで、精巧で優美な造形は県下に知られている…そうです。



  


それにしても、この神社は移転してしまったのでしょうか。社殿が見当たりません。とりあえず、坂上の別の文化財を目指すことにしました。(※実は国道406号線の下側にあったらしいですが、気づきませんでした。)





大戸の信号を左へ。坂上小学校の手前あたりで、右の方から視線を感じます…え!あれは?







え〜人面岩!!ヽ(゚Д゚;)ノ



まあ、怖い感じではなく、漫画のキャラクター的で可愛い感じではあります。Facebookで情報を収集したところ、「チチ岩」と名付けられているのではないか、とのことでした。

※後日判明「へそ岩」だそうです。坂上の人から聞きました。



  



次に、坂上地区で最も古いと聞いた、吉岡神社へ。境内の杉巨木群にまずはビックリ。幹周4m位あります。





吉岡神社の随神門(ずいしんもん)。趣があります。



    


神社山門という言い方がいいかもしれません。仁王様がいるはずのところに随神さんがいれば随神門なのですが、今日は確認せずでした。昔は、神社建築と仏教建築の混ざった神仏混淆(神仏混合)様式の建築が結構あったらしいです。だから仁王門であるかもしれません。





鳥居ではなく、山門をくぐった先に拝殿。私は、好きですね。



  


拝殿で参拝。改めて近くで見てみると、とても凝った彫刻でした。



  


拝殿目貫の彫刻は女性のように見えます。御祭神の神様のどなたかでしょうか。



      


一番上にいるのは雷様? 鳳凰、龍など、神社お馴染みの彫刻があります。



      


にゃんこの様なトラ、ニワトリもありますね。神楽殿もあります。




そしてひときわ目立つ巨木。弘法大師が挿したまま置いていったとされる、「逆さホオノキ」 です。


東吾妻町文化財の指定は受けていないようですが、幹周は4mを軽くオーバーしています。日本一のホオノキは幹周10mなのでそれには程遠いものの、嬬恋村草津町長野原町・旧六合村でもこのサイズのホオノキは見たことがありません。至急天然記念物に指定して欲しいですね。


東吾妻町 文化財一覧
http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1346140548768/index.html



    


「指定名木ほう」の看板はありますが、これがどの位の保護力を持っているのかわかりません。他に気になることは、樹幹からの萌芽が激しかったこと。見たところ、母体がかなり弱っているようです。砂利を敷いたのはいつですか?根が呼吸できなくなって苦しがっているかもしれませんよ。



  


とりあえず、私と幹のサイズを比べておきました。参道にあった、二本が繋がった杉ともパシャリ。



  


取材の順番が逆でしたが、坂上の吉岡神社は別件でいくつも文化財になっています。本殿にある薬師像、句額、そして入口にある石灯籠と石橋(太鼓橋)です。

石灯籠は、信州高遠の石工によって天保4年(1833)に造られたものだそうです。





東吾妻町指定重要文化財「吉岡神社の太鼓橋」です。かつてはこの下を小川が流れていたそうです。



  


彫刻はずいぶん風化しています。トラの顔がガイコツみたいですね。



さて、まだ日没まで時間があるので、先日、インターネットで「吾妻五神杉」 というものを見つけたのでここに紹介します。道の駅「八ッ場ふるさと館」のスタッフの方が以前アップしてた記事のようで、現在は削除されています。


吾妻五神杉

吾妻には、樹齢が400年〜1400年という神様の杉が5つもあります。


1.王城山の神杉長野原町林王城山神社)
周囲一丈四尺(420cm)、高二十有余間(36m以上)、枝葉繁茂し、森々として雲際に聳え、数百年の樹齢たるを覚えしむ。


2.矢倉宮の脇の神代杉(岩倉村矢倉)
鳥頭神社内、古老の説によれば日本武尊の御手植の杉として尊崇し居たるに、凡二百年前、高さ二十四尺(727cm)の所より、折れ枯木となり、空洞中に植栽しなるも杉も百五十年程の樹齢を重ねたり。
神代杉の樹齢千四百年。


3.柳倉の不動杉(東村大村箱島)
柳倉不動尊境内の老木。
樹齢四百年、高さ三十三間(60m??)、周囲一丈八尺五寸(560cm)。


4.宮貝戸の白鳥杉(東村大村奥田)
日本武尊を祀る白鳥神社境内に有り。
樹齢六百年、高さ十間(18m)、目通り一丈四寸(315cm)。


5.竜澤寺の妙全杉六合村日影合の畑)
竜澤寺旧址大門の入口に有る。
住吉尼僧妙全なるもの行脚して細き杉枝を曳き門前に至り、之を土中に挿し置きたるも自然に発芽して漸次大木となりし。
樹齢七百年、高さ二十間(36m)、周囲二丈三尺(696cm?)。


この中に、どういう訳か嬬恋村の鳴尾の熊野神社大スギ(鳴尾の大杉、幹周り8m以上)が入っていないということと、箱島の柳倉不動尊=箱島不動尊だとしたら、確かに杉巨木はあるものの、そんなに大きくはないはず。妙全杉もちょっと大きいぞ?!中之条町大岩不動尊の三又スギ(幹周7.7m、樹高55m)はどうした!!!


…ま、とりあえず、白鳥神社を探してみました。



  


どうやら、かつては奥田村の村社だったようです。山道を登っていく途中に、確かに杉の大木はありました。



  


しかし、この大杉が樹齢600年?王城山神社のものよりもかなり若々しい感じで、ふた回りは小さい。巨木ではなく、大木の域です。さっき見た吉岡神社の杉の方が大きいし…。ただし、樹冠先端部分が枯れているので、幹の肥大成長はとても遅い可能性はあります。



  


すれ違ったおじさんにインタビューしてみると、「ああ、あまりに大きくて邪魔になったからクレーンが来て伐ったんだよ。」 あーなるほど、この隙間に巨木があったんですね!しかし覗けど大きな木の切り株は見つからずでした…?



  


また、「白鳥神社の彫刻」は東吾妻町重要文化財となっています。これも見つけられませんでしたが…



      


稲荷社、末社、石碑など確認しましたが、どうも情報不足すぎているのでとりあえず参拝して帰ることにしました。



  


その帰りに、東村時代の観光案内看板があったので見てみると、もっと大きな杉があるらしいではないですか。



  



「平五良(へいごろう)観音の大杉」 です。

平五良観音の大杉

(町天然記念物 昭和48.3.23 指定)

観音堂の庭にひときわ高くそびえる巨木で、東地区の名木十選の一つでもある。この杉は目通り約5m、高さ約30mを計り樹齢400年と言われ、町内の杉の中でもその大きさ、美しさからひときわ目立つ樹木であるといえる。
以前の大杉はその根元から2本に分かれ仲良く夫婦杉の様相を呈していたが、大正時代の落雷により1本の杉の根元が痛み、傾きかけて近隣の民家に危害が及ぶおそれがあったことから、残念ながらその一本は伐採されたという。残った1本は樹勢も盛んで枝振りも良く、現在の落雷の痕を少しずつ表皮がおおって成長している。

  


これで二股だったのですから、かなり大きかったですね。根回りがすごい。この、治療した部分、どうなっていたのか見たかったな〜



  


大正時代でこの施工…もしかしたら日本樹木保護協会の樹医の施術かもしれませんね。兄者、私もこの地で頑張りまする。見守っていてくださいませ。






人気ブログランキングへ にほんブログ村 環境ブログ エコツーリズムへ にほんブログ村 アウトドアブログ 野遊び・森遊びへ にほんブログ村 アウトドアブログ 自然体験へ