東吾妻町大戸の桜



東吾妻町大戸の桜を見に行きました。





入口の門の脇にある桜は満開です。看板にはこう書いてあります。

大運寺の本尊東吾妻町重要文化財 昭和47.3.1 指定)

大運寺は、南北朝時代の興国年間(1340〜1346)に宝誉(ほうよ)上人によって「浄土布教の地」として信者を勧請し、堂宇を創建して開山したといわれる。
上人が、京からこの地に下って来た際に恵心(えしん)僧都の御作による仏像を背負ってきたと伝えられるのがこの本尊である。
本尊は宝冠を戴いた木彫座像。鎌倉時代の仏像の特徴とされる鋭い衣紋の線が何ともいえず美しいものであり、大戸の地の繁栄と共に檀家500余戸といわれた名刹にふさわしいものである。(像の高さは51cm)



大運寺山門とシダレサクラ。美しいです。ここにも看板があります。

由緒沿革 浄土宗 鎮西派 大運寺

一、本尊 阿弥陀
一、由緒
 興国年間、宝誉上人、京都より惠親僧都の親作なる宝寇の、阿弥陀佛像を負ひ来たり、信者を観奨し堂宇を大戸村寺原に創立す。
是れ、当寺の開山なり。
天正年間、現在の地に移る。
当時既に、大戸・本宿・萩生の山村は、挙て皆檀徒なり。
殊に大戸の加部安左衛門なる者、上州第一の富豪たるにより、寺観を荘厳にせり。
 平成二年二月、不慮の火災により本堂、庫裡を消失。
平成六年再建す。
世々浄土宗にして、開山より現在に至る。
六百五十余年に及べり。

文化財
本尊 町指定重要文化財
加部弐式翁昭先碑 亀田興書 町指定史跡
加部喜翁墓表 河 三亥書 町指定史跡
加部家墓地 町指定史跡
仙人窟(ここより中之条方面へ400米位)にあり

 坂上史蹟保存会 大運寺浄友会

  


ここのしだれ桜は樹幹が空洞になった古木です。古刹・大運寺らしい、いいサクラです。





本堂前のサクラは、もうお終いのようです。






その隣にあるのが、旧大戸小学校です。大戸小学校は昭和49年(1974)に廃校となりましたが、その後、校舎は小川繊維という会社が工場として活用したそうで、「婦人服は東京スタイル」という文字が書かれています。小川繊維も撤退し工場は閉鎖され、現在は地域の公民館として利用されているそうです。



  


とても大きなエドヒガンザクラが何本もあります。岩島のスラッとしたエドヒガンザクラと違って、仮軸型の幹枝ぶりが横に大きく広がっています。正門横の一本はかなり太く、幹周400mオーバーであることには間違いありません。





芝生ではありませんが、花見には、最高の場所ですね。




  



最後に、国定忠治処刑場跡(忠治地蔵があるところ)のサクラを訪問。いわゆる「忠治地蔵の桜」です。残念ながらまだ六〜七分咲きといったところ。ここは陽があたりにくいですからね。ここの桜もよく見るとかなり太いです。旧大戸小学校よりは一回り細いです。


この大戸地区の桜がいい頃に、この辺の山をハイキング&花見ツアーをしたくありませんか?
いいハイキングコースを探してみますね。






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