『吾妻渓谷』と『道陸神峠越えむかし道』探索エコツアー 〜 『ムラサキツツジ(ミツバツツジ)』咲く渓谷 〜 を実施



【新シリーズ】戦国真田の吾妻侵攻と、あがつまの山・里・花を訪ねるエコツアー
http://ecotourism.or.jp/sengokusanada.html


の3回目、


『吾妻渓谷』と『道陸神峠越えむかし道』探索エコツアー

〜 『ムラサキツツジミツバツツジ)』咲く渓谷 〜
http://ecotourism.or.jp/sengokusanada/agatsumakeikoku-tsutsuji01.html


を実施しました。


同様なエコツアーは研修会として昨年も実施していますので、今年は(なるべく)新たな情報を追記していくだけにします。ツアーの詳細情報は、昨年のものを見るといいかもしれません。


芽吹きの吾妻渓谷エコツアー研修会(2013年4月30日)
http://d.hatena.ne.jp/akagi39/20130430/1368039681



  


長野原町のミスターインタープリター・浦野安孫さんの吾妻渓谷エコツアーの始まり始まり〜。今日の参加者は14名です。

まずは吾妻川左岸を歩きます。かつてのコンクリート吹付け工事跡がチラリと見えました。長い年月が経つと内部が空洞化してしまうのですね。これは怖いです。



      


水位の上がった吾妻川を「八ッ場大橋」から眺めます。この位置からは、まもなく沈む三つの橋と、新しい湖面第一号橋「八ッ場大橋」が見えます。今、立っている「八ッ場大橋」は沈み、あの高いところにある多きな「八ッ場大橋」として生まれ変わるのです。

  • 明治31年(1898)滝見橋完成 馬車が通れるようになる
  • 昭和8年(1933)八ッ場大橋完成 車往来が可能 省営バスが通る
  • 昭和20年(1945)第二吾妻川橋梁完成 貨物専用の鉄道・長野原線開通 鉄鉱石の運搬からやがて客車便へ


そして平成32年(2020年)八ッ場ダム試験湛水開始だと聞いています。新しい「八ッ場大橋」が通行可能になるのも間もなくなのでしょう。



  


滝見橋は、この春からは通行禁止となりました。





そして、新たに出現した「栃洞の滝」です。「栃洞の滝」自体は、前々からあったのですが、吾妻川に合流するところは渓畔林があったために見ることができず、上部のナメ滝部分を「栃洞の滝」としていたのです。ダム湖となるエリアに樹木などがあると、やがてそれが詰まるなど悪さをするそうで、ダム湖の容器内は異物を全て除去してしまうのだそうです。



    


「栃洞の滝」のすぐ横が、流路口の引水口となっています。引水口の下側にはショベルカーが入っています。滝から流れてきた水はポンプで流路口の上部に戻しています。この光景は凄いですね。



  


おや、対岸に見えるあの穴は一体何ですかね?不明です。



  


八ッ場ダムができたら、小蓬莱は、もっと高いところから見ることになります。天馬の蹄跡は残ります。上手に工事して、右岸のミツバツツジも残して欲しいですね。



  


おや、小蓬莱の左下には、宇宙人みたいなのがいますね!また、もう少し下流の龍頭岩は、ダム完成後は見られない岩となるのでしょう。



    


浦野さんは樹木を中心にしたインタープリテーションを好みます。森林インストラクター的でありますが、指導者ではなく、解説者としての案内で私好みです。この樹木は、アサダです。俗名でカワハギ、ミノカブリ等と言う呼び名があるそうです。



  


アワブキ、ハルニレ、キブシ等の樹木を紹介してくださいました。草本ではブットレア=バタフライブッシュのこと、キブシの葉を食べるアカスジキンカメムシのこと等…





小蓬莱を過ぎたあたりから見る吾妻川



      


遊歩道沿いの公衆トイレは使用禁止になっていました。この時期に使用禁止になるということは、ダム完成後はこの場所へは人はこれなくなることを意味します。来年あたりは旧国道が通れなくなるかも?!





旧国道から見上げる道陸神峠道むかし道の石積み。午後にはあそこを通ります。



  


吾妻渓谷の芽吹きや紅葉が美しいことの要素の一つに、アカシデが多いことが挙げられます。紅葉・芽吹き共に赤くなります。エゾエノキはこの付近では国蝶オオムラサキの食草となりますが、テングチョウの食草でもあるそうです。テングチョウは越冬しますが、春はアブラチャンの花に集っているそうです。



  


深谷トンネルのあたりには、もう一つの竜頭岩があります。しかし、このくらいのサイズの岩脈は渓谷内のいたるところに見られる、と言ってもいいでしょう。トンネル前は垂直のような断崖です。



  


断崖の底、吾妻川の川床にあるのが、龍ノ剣磨岩です。甌穴でほじくる様にして磨いたのではありません。私は川床には角材を並べたような岩脈がいくつも通っているので、それをヤスリ代わりにして、八丁暗がりの断崖に合わせて前後に動かして剣を研ぐ…というイメージだったのですが、浦野さんは龍ノ剣とは爪のことで、爪を川床で水流に対して横方向にひっかくようにして研いだために、角材を並べたような岩ができた…というイメージだそうです。





吾妻渓谷の中で最も狭いところ、鹿飛はここからよく見えます。このあたりは、さすがに来られるようにしてほしいのですが、どうなるのでしょう。



      


鹿飛橋に向かって降りていきます。鹿飛と呼ばれる場所と鹿飛橋の位置は少し離れています。



    


鹿飛橋から見る吾妻渓谷。おや、上流に何かコンクリート構造物が流れ着いていますね!





ここからは、吾妻川右岸を歩きます。



        


鹿飛橋を越えたあたりは姥子平といって、かつての砦があったそうです。ケヤキ、チドリノキ、ミズメ等の樹木を解説してくださいました。



        


チドリノキの花、イヌブナの樹形などを観察。



      


ようやく、ミツバツツジが見えてきました。





今年は春の陽気で一気に咲いてしまったミツバツツジも、北斜面ではまだ見られます。ミツバツツジ長野原町では「ムラサキツツジ」の名前で町花としていて、子供が生まれると苗をもらえるのだそうです。しかし、北軽井沢に植えたら寒くて枯れてしまったそうです。なので、嬬恋村あたりでは、トウゴクミツバツツジはあってもミツバツツジはあまり無いかもしれません。



    


  


この、変わった形の花はフタバアオイウマノスズクサカンアオイ属)と言います。



      


渓畔林に生えるフサザクラ。フサザクラやカツラなどは、主幹以外にも根元から複数の枝を出します。崩れやすい渓谷では、主幹がダメになっても別の幹から根に栄養を送れる予備システムを構築しておくほうが得なのだそうです。



      


三種類の樹木が一緒になっている場所は、樹木の違いを観察するのに最適です。イマイチ同定できなかった足元のキク科植物は、オクモミジハグマだそうです。



    


見晴台へ。ここはミツバツツジの回廊となる場所です。



  


見晴台に到着。水のなくなった吾妻川を見下ろします。今まで見たことのない風景です。



      


      


その後、ミツバツツジの回廊を下り、龍ノ剣磨岩前の広場に来ました。向かいの道路下には大きなスズメバチの巣が。昨年はずいぶん飛んでいたらしいです。



  


森に囲まれてのランチタイム。贅沢なひとときです。



      


参加者で植物に造詣が深いN様が、ユクノキを教えてくれました。

吾妻渓谷はソハヤキ要素の北限だと言われています。漢字では襲速紀要素と書くのですが、南九州の古い呼び名「襲の国(そのくに)」と九州と四国の間の豊予海峡の「速吸瀬戸(はやすいのせと)」、紀伊半島の「紀伊の国(きいのくに)」のそれぞれの頭文字を取って「襲 速 紀」としています。ソハヤキ要素の代表的な植物として「ユクノキ」「エゾエノキ」「ミツバツツジ」「イワタバコ」が挙げられるそうです。


これまで、わからなかった「ユクノキ」の特徴は、葉が互生なこと、葉の根元が袋状に膨らむこと(夏の葉の葉柄基部が来年の冬目を包んでいるから)、冬目の色が違う等…だそうです。これまで遠目に見てアオダモの類だと思っていた樹木は、実は「ユクノキ」だったかもしれません。



        


        


昼食後、CONE研修会【“身近な自然で楽しく遊べる”ネイチャー・レクリエーション】から帰ってっきた福地さんが、学んできたレクリエーションを披露してくれました。

「じゃんけんゲーム」「うまく結べますか」「フライングディスクでねらえ」「空き缶ゴルフ」などを披露。体を動かすゲームは楽しかったですね。今度はもう少し長く時間をとって遊びましょう。福地さんありがとうございました。



        


その後、対岸にわたり、町境まで戻りました。森がいっそう鮮やかになったように見えます。



      


町境からは、本日のメインイベントとも言える、「道陸神峠越えむかし道」を歩きます。松谷トンネルの付近、八丁暗がり・龍ノ剣磨岩に急落下してしまいそうなあの絶壁の上を通ったむかし道があるのです。





むかし道とは思えないほどの大掛かりな土木作業により造成されています。しかし、法面に樹齢100年以上の巨木が見られることから、近代の道ではないことがわかります。



        


この場所を左に登ってしまえば、屏風岩の上を通る尾根道へ簡単にでられます。しかし、屏風岩の上は荷物を持ってはとても行けない細尾根なので、あえてこの斜面を真横に横断する道を作ったのでしょう。




道かたが狭くなってしまっているだけでなく、落ち葉の蓄積がすごいので、足を取られます。この道は磨崖碑があることから、19世紀半ばに行われた民衆による大開削のはずですが、18世紀後半に野口円心が整備したとされる道も同じだったのでしょうか…



        


石積みのあるあたりが最も狭くなっており、危険です。やはり、熊手を持ってきて、掃きながら歩くべきだったかな…





道陸神峠につきました。盛土がなされています。土居というのでしょうか。中世には道陸神峠要害、ここに砦があったのです。雁ヶ沢城の横谷氏の支配だったそうです。



    


道陸神峠の先端です。木々の間から屏風岩が見えます。吾妻川の対岸には姥子平があり、道陸神峠要害と同じように姥小平要害がありました。それも横谷氏の支配です。ということは、吾妻川の右岸と左岸で長野原からの侵入を防いでいた?いや、川原湯峠にも要害があり、それも横谷氏の支配だったそうです。であれば川原湯城も横谷氏でしょうし、吾妻渓谷はほぼ横谷氏の支配するところだったのでしょうか。三平屋敷、立馬砦、林城も全て…?


飯森康広さんという方が、「中世の吾妻渓谷をめぐる街道と城砦群」(群馬文化294)というものを出しており、それにかなり詳しく書いてあるそうです。どうにかしてその本を入手したいのですが…



  


道陸神峠のトチノキ巨木で、はい、チーズ。



        


帰り道、やはりこの足場の悪いむかし道を、発掘整備して欲しい、という意見がありました。見たところ、被さってしまった落葉落枝や土砂等を丁寧に除去すれば、登山道としても十分に使える広い道が出現しそうです。


また、入口付近、つまり蓬莱岩に近いあたりはずいぶん掘り下げてあります。ここまで掘り下げる理由は一体なんだったのでしょう。そういうことも、発掘すれば見えてくるかもしれません。



    


流路口の出水口から出る水流の激しさに驚き、あるはずのないハクサンシャクナゲに驚きつつ川原湯温泉駅前駐車場へ。道路脇のツツジは雄しべが10本。トウゴクミツバツツジでした。



  


皆様、大変お疲れ様でした。浦野さん、丁寧でわかりやすい解説、本当にありがとうございました。


帰り道、吾妻渓谷中の旧国道に枯れ木の枝が転がっていました。一瞬、私たちが散策した際に落としたのか!と思い、ヒヤヒヤしましたが、そのずっと先だったので、自然に、もしくは動物が落としたのでしょう。でも、これから道陸神峠越えむかし道をエコツアーで利用する際には、こういう注意も必要だと思いました。肝に銘じます。






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