畔宇治(くろうじ)神社の獅子舞



11月は秋祭りシーズン。東吾妻町大戸の畔宇治(くろうじ)神社の獅子舞は、以前からぜひ見たいと思っていました。畔宇治神社には上州一の豪商で分限者・加部安左衛門が文政9年(1826)に寄進した石灯籠があり、東吾妻町重要文化財になっています。加部安左衛門は天明三年の浅間山大噴火の際、壊滅した鎌原村を黒岩長左衛門(大笹)、干川小兵衛(干俣)らと共に救済し復興へと導いた人物で、そんな背景もあり畔宇治神社のことは気になっていました。



  


12時半頃に旧大戸小学校を出発のはず…げ、誰もいない!情報が間違っていたか?今日だけはグラウンドに駐車しても良いのでしょうか?見城沢のナメ滝(鳴瀬滝)を下目に進みます。



  


信州街道大戸宿。当然ながら、現在営業している宿屋は一軒もありません。



  


宇治神社の場所は、きっとあそこに違いありません。しかし、以前確認した通り、道なりに行くと川に阻まれて進めません。最終的に、人様の田んぼのあぜ道を歩かせていただきました。



  


神社につくと、すでに獅子舞は始まっていました。12時半に旧大戸小学校を出るのではなく、12時半に神社に着く予定だったみたいです。まずは大人が舞っていました。



  


宇治神社の獅子舞は、文政四年(1821)よりも昔から奉納されていたことは文書により確認されていますが、具体的に始まった年まではわかっていません。また、近くにある古賀良神社は文政二年(1819)に奉納舞されたことが古文書に記されていますが、同一のものだったのか、別のものだったのかはわかっていません。口伝によれば、この獅子舞はもともと古賀良神社のもので、明治の神社合併により、畔宇治神社でも奉納舞をするようになった、そうです。つまりは、一度畔宇治神社の獅子舞は絶えてしまい、明治以降、復活した、ということになります。



    


しかし、昭和50年(1975)頃、後継者不足によって一旦は中止となり、浦野芳夫氏と黒岩進氏等が中心となって広く大戸全域に呼びかけて、昭和62年(1987)に獅子舞保存会を結成、12年ぶりに復活したのだそうです。





勇ましく、美しい舞です。



  


舞っているのは5人。前獅子(黒獅子)、中獅子(赤獅子)、後獅子(黒獅子)、狐(カンチキ)、花笠(ささら)。



    


ここの獅子舞は、たまにジャンプします。以前は舞いが終わるとすぐに次の舞いをしていたのだそうですが、「何なのかよく解らない」というリクエストにお応えして、現在は舞いと舞いの間に解説を入れています。サービス精神旺盛ですね!



    


ぐるーっと周りを回ってみました。大戸中の老若男女がみんな出てきて、出店が出て、赤ちゃんが泣いて、子供が駄菓子を買って、年寄りが挨拶をして、奥様方が世間話をして、男が張り切っています。おお、控えの選手は子供たちですね。



  


大人の部が終わって、一旦小休止。みんなでお参りします。畔宇治=「くろうじ」という変な名前、元々は黒牛から来ているのだそうです。牛は江戸時代の半ば頃まで熟語では「ウジ」と濁音になることが多かったそうです。



  


お賽銭を入れると、ありがたい御札をいただけます。ケヤキでできたこの御札は、なんと畔宇治神社の昔の鳥居を加工して作ったのだそうです。神社の鳥居、肌身離さず持ち歩きたいですね。



  


次は子供獅子、小学生の部です。小学生は体格的に無理なこともあって、獅子頭は身につけず、祭りのハッピに鉢巻と小太鼓の姿で舞います。



  


小学生でもジャンプ!します。この日のために一生懸命練習してきました。





晴れ舞台、真剣に舞っています。



  


一人、大きな子が入っていますね。んー中学生かな?





そ〜れい!



  


小学生の部が終了しました。お疲れ様でした。家族一同が駆けつけて、「よくやった」「ごくろうさま」「良かったよ」。そしてみんなで記念写真です。


こういう、地域住民とその地を守る神様と感謝と祈りと祖先とが、肩を組んでがっちりスクラムを組んでいる姿、本当に素晴らしいと思う。私の育った北海道では、こういう風景はなかった。そして、そういう、「土地の神との関係が希薄」な状況で暮らしている人達がどれほど多いかと思うし、そんな人達がこの吾妻山村の年中行事に触れれば、どんなに、心の中にある故郷への渇望を満たすことができることだろうか、と私は思うのであります。こんなに素朴で、人情味があり、味わいのある、東吾妻町。歴史だってありますよね。



  


次に中学生の部です。大人と同じ衣装と獅子頭ですが、体の線が細いですね。ぜい肉がついていないからかな?





体が軽いだけあって、見事な跳躍を見せてくれます。



  


獅子頭の上部にヤマドリの羽。後ろにはカラフルな紙垂。神の獣って感じしますね。



  


揃いハッピ姿の笛方が社前に並び、吹く曲に合わせて獅子が舞います。たまには、唄が出ます。



  


それにしても、「岩櫃城 忍びの乱」で大変お世話になった、合気道の黒岩進先生が獅子舞を復活させた中心人物だったとは…先日も群馬県知事から生涯スポーツ推進に尽力したとかで文化功労賞(だったかな?)を受賞されていましたが、すごい人物だったんですね。おみそれいたしました…



  


そして、餅投げ! 無病息災のお餅、こっちにちょうだ〜い!!



  


そういえば、獅子舞の皆さんって草鞋だったんですね。慣れない人はこんなに激しく舞ったら、豆できちゃいます。かなり練習していますね。



    


最後の舞いが終わり際に、「ハナ」呼ばれている飾りが傾けられ、参加者に配られます。これも、お守りの意味があるのでしょう。



  


獅子舞、囃子方が帰っていきます。道中獅子。最終章、勇ましい舞いは中学生の皆さんによるものでした、ご苦労様でした。



  


そして私も、畔宇治神社の本当の参道がわかりました。なんてことはありませんでした。畔宇治神社の獅子舞は、駐車場も広いし、見学するにはオススメの獅子舞です。吾妻の民俗芸能をぜひ一度はご覧下さい。





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