菅原神社の太々神楽(東吾妻町岩下)



11月、東吾妻町の神社は秋季例祭がひしめき合っていました。一番最後が岩下の菅原神社(天神さん、天満宮)のようです。私の好きな神楽の奉納もあるというので、見に行ってきました。



  


せっかく時間前に行っていたはずなのに、デジカメの調子が悪くていったん原町の自宅に戻る事に。岩下に帰ってきた時には、神楽は始まっていました。この神楽の舞座は…「種蒔き」のような気がします。「吾妻町の民俗芸能」によると、

種蒔きの舞
保食神は黒髪に冠〔垂纓(すいえい)の冠〕を戴き、三宝と中啓(扇の一種)を持ち、種蒔きの所作をする。途中で悪神が榊の枝を持って出て、種を蒔く後から掃き捨ててしまう。保食神が悪神に気がついて、宝珠や鏡を見せ、刀で威す。悪神が善に帰り、面を換える。

うん、間違いないですね。凝ったお芝居…神楽です。




そして餅投げに。あらまあ、早いですね!一座でもう餅投げですか! もう、昔のように数多くの舞座はやらずに、一部だけをやっているのですね。



  


さて、神楽中ですが、神社の情報も探ってみます。とは言っても無知な私では何を見たら良いかもよく解りませんが…。とにかく、三島鳥頭神社がこの菅原神社とどういう関係があるのか、そしてその痕跡は私でも確認できるのかが知りたい。


吾妻町の民俗芸能」を読んで解ったことは、矢倉鳥頭神社の神楽で使っている面・装束、舞台の飾りなどは、この菅原神社から借りていること、そして矢倉鳥頭神社では古くから神楽は奉納されていたはずであるがどういう訳か一時とだえ、大正五年(1916)に岩下菅原神社、郷原榛名神社と共に松谷神社の大講長関庄八氏から神楽三十六座の伝授を受けた。その講習の場所は岩下の北野館(菅原神社の中にある?)だったということです。三島ではなく、矢倉の鳥頭神社と縁があるようですね。


もう一つは、青梅市御嶽神社 → 松谷神社 → 岩下菅原神社と伝わった神楽は、昭和30年頃(1955)には長野原町与喜屋の養蚕神社伝授されているということです。


しかし、拝殿内には明治三十四年雨宮太々御神楽の額が掲げてあり、やはり神社の中にあるものは訳がわからない…といったところです。



  


品の良さそうな本殿があって、その隣には最近奉納された他国の馬の神様がいて…は、何ですか?



  


混乱してきたので表参道からきちんと入ってみます。一の鳥居があって二の鳥居があって、



  


石段途中には、えらく新しい狛犬がいて、登りきると菅原神社拝殿です。あ、そういえばこの神紋はどこかで見たことがあると思ったら、天理教の家紋とよく似ていますね。「梅鉢」です。天理教は教祖の中山みき家の家紋が「梅鉢」で、それをそのまま神紋にしています。「左三つ巴」の紋は太鼓に見られ、日本の伝統的な文様です。





楽殿では天鈿女命(あまうずめのみこと)が鈴と鉾(ほこ)を持って舞っています。おお、定番の「岩戸の舞」ですね。

採物(とりもの)
神楽を舞う時、舞人は何かを手に持って舞う。これを採物という。古今和歌集(巻20)の中に「神遊びの歌」という分類があり、その中には「採物の歌」六首が採録されているが、そこに歌われている採物は榊(さかき)・葛(かずら)・弓・杓(ひさご)の四種である。古代歌謡の『神楽集』には、榊・幣(みてぐら)・杖・篠(ささ)・弓・剣・鉾(ほこ)・杓・葛の九種がある。そして最後の葛は後に省略されたとしているが、現在宮廷神楽で使用されている採物は榊だけである。
採物の原型はすでに古事記の天の岩戸の段に、天鈿女命が天香山(あめのかぐやま)の小竹葉(ささば)を手に持って踊ったと見えている。神楽は本来舞人が神を演ずるものである。そのためにはその身に神を宿さねばならない。その神を宿す拠り所がすなわち採物であると考えられる。これを依代(よりしろ)という。「神楽(かぐら)」の語源は「神座(かみくら)」つまり神の宿り給う場所をいうとされているが、してみれば神の依代である採物は、とりもなおさず神楽そのものであると言えるであろう。
舞人は神の宿っている採物を手にして、初めて神と一体化し、神を演ずることができるのである。
(脇屋)

  

岩戸の舞
黒髪に鉢巻をし、巫女の装束をした天鈿女命が、笹と鉾、また鈴を持って舞う。次に手力雄命が岩戸を開ける。

  


手力雄命が天の岩戸をえいやっとどけると、





天照大神様のおな〜り〜。(ノ゚ο゚)ノ オオォォォ-


この、天照大神を何で表しているかはそれぞれ違っていて面白いですね。太陽の神様ですから旭日です。旭日には古来よりいくつもの種類があり、光線が四方八方に雲なく広がる意匠はハレを表現し、慶事などの際にめでたさ・景気の良さを強調するために用いられていたそうです。別に右翼の象徴とかそういうことじゃないです、ハイ。



  


手力雄命が岩戸を持ってしばらく舞います。このお面、やはり三島鳥頭神社の物とは違いますね。



  


手力雄命が、岩戸を置き、人差し指を立てて天を仰ぎます。格好いいですね。





どこの神楽でも、岩戸の舞の後には、必ず餅投げがあるのですね。家族の分だけ、ありがたくいただきました。



  


菅原神社の御幣は五色で綺麗です。なんだか教養を感じさせますね。学問の神様だからでしょうか?



  


  


神楽が終わったところで改めて拝殿を物色しましたが、特に気がついた新たなものはありません。
読めない掲額、梅鉢の紋、鬼瓦…



  


  


天井を見ると、美しい天井絵があります。金箔も使われているのかな?動物と人の絵で、芸術的価値がありそうです。本殿社の上にはかなり鄙びていますが、龍の絵がありました。



  


  


おや、神楽殿では地域の方々の宴会が始まっているようです。神様のための舞台ではありますが、こういう風に人間も使っていいものなのですね。社務所もちらっと覗いてみると、これまた立派な天井絵があってびっくり。拝殿のものよりもはっきりしていて綺麗でした。神棚もあり、ここはどういう風に使うものなのか… もしや、先述した神楽の伝授で使われた、北野館だったりして?





菅原神社のことをきちんと教えてもらいたいので、こちらの海野宮司さまのところに、今度正式に訪問させていただこうと思っています。また一つ、楽しみができました。






人気ブログランキングへ にほんブログ村 環境ブログ エコツーリズムへ にほんブログ村 アウトドアブログ 野遊び・森遊びへ にほんブログ村 アウトドアブログ 自然体験へ