在下稲荷神社例祭(東吾妻町原町)



東吾妻町歳時記カレンダー2014に、2月11日(火)は「在下稲荷神社例祭」とあります。我が家は上之町なのですが、実際には家は大宮巖鼓神社のある在下にあります。曾々祖父さんの小池源八さんは在下で長く神職を勤めていた人で、稲荷神社は縁が深い神社と聞きます。ご挨拶がてら参拝していまいりました。



  


在下稲荷神社(吾妻郡東吾妻町原町2747)は2本の杉大木が目立つ社頭となっています。祭りの日はのぼりが立っていて雰囲気が良いです。





参道の石段を上がっていくとすぐに、「小池源八翁寿碑」があります。小池源八さん=曾々祖父さんのことを讃えた碑で、数代前の大宮巖鼓神社神主の高山昇翁が建てたものです。高山昇翁の血筋の方から、「小池翁が郷里の神社を万全にお守り頂いたからこそ、高山昇は晩年まで全国的に活躍することができた」というお言葉も頂戴いたしました。石碑の裏にも、そのように書いているようです。


源八翁の子供(名前が不明)夫婦の長男が鳥一郎さんで、一番下がうちの彌八お祖父ちゃんです。しかし、今99歳のお祖母ちゃんがお嫁に来た時は曾祖父さんは他界しており、さらにすぐに彌八さんと一緒に中国に行ったので、彌八さんの家族構成をお祖母ちゃんはよく知りません。何人兄弟だったのかも、曾祖父さんのお名前も…


とにかく、戦争から帰ってきた、彌八お祖父ちゃんは在下を出て、上之町で家具屋(小池家具店)をすることになりました。彌八お祖父ちゃんの息子、孝彦さんが店を継ぎましたが、10年前、59歳で他界し、今は店をたたみ小池家はまた大宮巖鼓神社の近くに転居してきました。私はその家の婿です。



  


石の台輪鳥居の真ん中にある額束(がくづか)には「稲荷大明神宮」とあります。





石段を登るとすぐに、稲荷神社拝殿があります。「原町誌」によると、『本郡中公祭を受けた独立の稲荷祠としては唯一のものであるという…』とあります。公祭とは何なのかよく解りませんが、氏子がいる稲荷社は珍しいと聞きます。



  


拝殿額は比較的新しいです。稲荷神社の神紋は稲が入るようです。御祭神の主神は(当然ながら)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ、倉稲魂命)で、稲の精霊を神格化した神様で神名の「宇迦(うか)」は「食(うけ)」と同じ意味で食物のことを指していて、基本的には五穀・豊穣を司る神様です。


他にも、火産霊命、市杵島姫命、大野新三郎正家、大山津見命、菅原道真品陀和気命、手力男命などが奉られています。

ここは、鎌倉時代〜室町・戦国時代には当地を治めていた吾妻太郎氏が代々居住していた重要な城があったところ(稲荷城)でしたが、最終的には大野新三郎正家が城主となっていました。しかし領地争いから始まった戦で敗れ、75名の家老共々自害したらしく、その際に全員大蛇になったとか、或いは築城する際に白蛇が現れた…など、大蛇に関する言い伝えがあります。稲荷城付近で蛇を捕って殺すとその人に祟りがあるのだそうです。



  


おや、福笹までありますね。ここのものは長さがあります。どんどん焼きがついこの間、終わったところですので、いつ、どのように始末したら良いのかを役員の方に聞きましたが、別に拘らないで良いとのことでした。サービスの甘酒もご馳走になりました。



  


裏手には弁財天がありました。今日は福引も行っています。



  


拝殿内では、神事が始まった模様です。やはり神主は、大宮巖鼓神社の神主さん=高山さんでした。在下在住の方は大宮巖鼓神社の氏子であり、稲荷神社の氏子でもあり、二重の氏子になっています(他にもあるかもしれません)。が、誰もそれを疑問視してはいないようです。こういうのが、日本の「八百万の神」信仰なのでしょうね。





参拝者が増えてきました。



  


在下地区の参拝者には、火炎宝珠の神紋が入った稲荷大明神シールが配られています。あれ?稲荷神社の神紋には稲が入るんじゃないのですか?二通りの神紋があるみたいですね。


坊や、いい福、引けそうかい?






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