刈ったスゲのその後と、イワスゲを探しに





先日実施した、「ねどふみ」からやるこんこん草履づくり学習会、第一回目のスゲ刈り学習会で刈ったスゲはその後どうなっているのか、インタビューを兼ねて「ねどふみの里保存会」中村さんのところに伺ってきました。







義司さんは用事があるらしく、すぐに出かけてしまわれました。千代子さんにお話しを伺います。

  • みんなで玄関先に干した刈ったスゲを、晴れていたので、まずは一日そのまま放置した。
  • 翌日、朝から雨だったので、丸太を2本敷いて台をつくり、その上にスゲを並べてシートをかけ、2日間置いた。
  • 雨が上がった後、シートを外して2日間干した。
  • 乾いたスゲを、一本ずつ選別したり、根元を持って掻きだしたりして、選り直した。
  • 乾燥させたらみじゃける(バラバラになる)ものがあった。葉の先が茶色くなるのは刈るのが遅かったんだと思う。そういうものは省いたり切ったりもした。
  • 縄には短い方がいいので、少々切る分には都合が良い。
  • 根元を縛ってあったものを上にあげて、ふたとこまるった。中ほどで締めなおし、さらに上にもう一か所縛った。
  • 小さい束はまとめたりもした。
  • こうして、千代子さんが2日間かけてほとんどまるった。まだ一部乾ききっていないものはまるっていない。
  • 乾いてまるったスゲは、ねどふみまで濡らさない様にして置いておく。丁寧に扱わないと切れてしまう。落とすのもアウト。ムシロを織る時に傷があるとそこから切れてしまう。
  • ムシロは長いスゲで織る。

  


こちらがまだ乾ききっていないスゲ。前回は根元を一か所しばって干していたものが、先端の方に移動し二か所になっています。右の写真が千代子さんが選って捨てたスゲ。部分的に枯れていることが解ります。



  


最終的に「まるった」スゲがこちら。ねどふみまで濡らさない様に、そして丁寧に扱います。えらく人懐こい猫が住んでいます。



  


倉庫に干してあったものは稗(ひえ)と黍(きび)。こういう、雑穀の育て方、作り方も学習した方がいいかなー。誰か一緒に学習したい人いますか?



  


中村さんは、シナノキの皮を縄にする技術も持っています。皮を剥いて木部だけとなったシナノキは、この後、こんこんぞうりの型にするそうです。倉庫にはぶどうのつるも。うーん興味はつきませんが、今日はこの後予定があります。千代子さん、ありがとうございました。



  

※(2013/11/17)この日、見つけた「イワスゲ」は、根広の方々が言っている「イワスゲ」ではないことが判明しました。
※(2014/6/22)この植物は、根広では「みちばっとう」といわれている植物だということがわかりました。


そうして移動したのは、実は野反湖です。今日は、スゲが枯れてしまう前(常緑なのかどうかも知りません)に、どうしても根広の方々が「イワスゲ」と呼んでいるものが何なのか調べたかったのです。しかし、野反湖富士見峠付近は足元の草がみんな枯れてしまっていて、さっぱりわかりません。そこで、下に下りながら道路脇の単子葉植物を観察し、1㎞程下ったところで駐車できそうなところがあり、そこに止めてみました。そこいらは笹っ原でスゲなど全くない…と思ったら、足元の砂利の中にあった、細い葉の植物に眼がとまりました。これは…



  


この質感、そしてはっきりとしたM字型の葉形、間違いなくスゲの仲間です。もしやこれかも?



  


車に乗り、ゆっくりと下に降りながらもっと群生しているところを探します。道路脇の土手、笹畑と道路の間にまとまって自生していました。




野反湖にあるのはみんなイワスゲだよ」と中村義司さんが仰られるほど、この付近には同じスゲがいっぱいあるのですから、このスゲこそが根広の人が「イワスゲ」と呼んでいるものです。しかし、日本の標準和名で「イワスゲ」と称されている植物とはちょっと違うように見えますが…



  


葉を一本拝借しました。あれ?M字じゃ無い…と思ったのですが、先端の方はやはりM字。M字が弱いものもあるみたいです。



  


どんどん下りていきます。大きくジグザクになる辺りでは、群生という言葉を使えるほどの群落になっていました。



  


根元は綺麗なV字型で、葉の縁に棘はありませんが、真ん中くらいから両縁にびっしりと棘があります。同じ場所辺りから葉の断面が顕著にM字型を呈します。
「イワスゲは、そのままでもなえるので、ねどふみせずになう人もいた。もちろんねどふみした方が具合が良くなえた。」と中村義司さんが仰られたように、このままでもなえそうなくらい柔軟でした。



  


「イワスゲ」と呼ばれているものが何なのか解ったところで、気になる看板を発見。「史蹟 小栗清水」と書いてあります。

史蹟 小栗清水


この上約150mを左に折れたところに清澄な湧き水があります。明治維新の動乱に際し権田村(現・群馬県倉渕村)に隠棲した小栗上野介主従は、明治維新軍に罪なくして殺されました。夫人道子・母堂らは慶応四年閏四月村人に護衛されて権田を脱出、当村和光原(ヤマニ方)に逗留の後、野反湖畔より新潟・会津へ逃れる途中、この清水で渇を癒したといわれています。後年当村民が当時を偲び、小栗清水と名付けました。


平成十二年十月

  山田正人(和光原)
  小栗上野介研究会(倉渕村

  


少しのぼると確かに二手に分かれます。ここを左に。



  


小栗清水の看板がありましたが、…湧き水というよりも溜まり水っぽいです。味見は止めておきました。





その付近でも、似たようなスゲを見つけました。今日見たものと同じなら、日陰に生育したものはより大きく長くなることになります。植物は一般的に日陰のものはたくさん日光を得て光合成をしようと大きくなる傾向があるのです。



  


先日、スゲ刈りをしたところに行って、今日見たスゲとの違いを比べました。うーん、やはり、野反湖付近にある「イワスゲ」と呼ばれるものは、全くここのスゲのミニチュア版です。大きさといい、V字型とM字型のバランス、棘の位置といい…そして硬さも「イワスゲ」は小さくなった分、少し柔らかくなっている、そんな感じでした。



  


さて、今日のミッション達成しました!もうすぐピークとなる六合の紅葉を車窓で楽しみました。



  


いい機会なので中之条町役場六合支所に寄り、ラムサール条約登録湿地を目指している芳ヶ平湿原周辺の資料展示室を見てきました。



  


中はそんなに広くはありません。しかしきちんとパンフレットが作成されていました。



  


どなたがお書きになったのか、平兵衛池の大蛇伝説の絵がありました。こんなお話です。

六合村の民話 平兵衛池


むかし、六合村に平兵衛さんというたいそうなお金持ちがいました。
平兵衛さんには、とても美しい娘がひとりありました。
ある年の夏、娘はお供の人を連れて山へわらび取りに行きました。
わらびを取りながら山の奥へ、奥へと入っていくと美しい池がありました。
池は周りの木々を水にうつし、さざ波ひとつたたず鏡のように静まりかえっています。
娘は吸い寄せられるように近づくと、赤いくしをとりだして、池の水をつけては髪をとかし、水をつけては髪をとかしていました。


すると、突然水がざわざわと波だって、この池の主の竜がグーッと立ち上がってきたのです。
娘はあっという間にさらわれてしまいました。
お供の人は驚きのあまり声も出ません。
ところが娘は池の主の背に乗って手をふりながら水の中に沈んでいきました。
そして池はもとの静けさにもどり、ポツンとひとつ赤いくしが浮いていたそうです。


お供の人から話を聞いた平兵衛さんは、大勢の人をたのんで山へ行き、池の水を干そうとしました。
池の淵を掘って水を流してしまおうとしたのです。
その時、娘が池のまん中に姿をあらわしました。


「おとっつあん わたしはここの主と暮らします。池の水を干されたら命はありません。どうかこのまま帰ってください。」


そういうと、娘の頭にはもう角が生えていました。
これでは、平兵衛さんもあきらめるしかありません。
娘が池に入った日を命日と定め、供養することにしました。
それから、毎年その日がくると、ごちそうをつめた重箱を持って池へ出かけます。
平兵衛さんが池に重箱を浮かべるとフワフワとまん中までただよっていきます。
やがて、うずがまいて重箱はグーッと池の中に引きこまれ、一時もすると空になって浮いてくるのでした。


この池のことをいつの頃からか平兵衛池と呼ぶようになりました。
それで今でもこの池の淵で髪をとかしてはいけないと言い伝えられているそうです。

  


他にもいろんな資料が展示してあります。民話集の本は絵本になっていて、雰囲気いいです。



  


穴地獄とチャツボミゴケの研究成果とか…。おお、「六合村の民俗」があった!これは絶対に手に入れなくては!あれ?普通に二千円で販売しているのかな?とにかく、調べたいことが山ほどあります。すぐに購入しようっと。






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