観音山でプチ遭難?!



岩櫃山の隣に、滝や洞窟がある「観音山」というのがある…Facebookのお友達からそんな情報をいただきました。『洞窟』なんて探検心を刺激される言葉を聞いて、私が黙っている訳には行きません!今日は直美が家にいたので、夕方だったのですが、天気も持ちそうだし、ちょっくら「観音山」とやらの様子を見に行きました。



  


今日は珍しく、叔母さん(お祖父ちゃんの娘さん)夫婦も見えていて、中之条町出身の叔父さんは「子供の頃、遠足に行ったねえ。いい滝があってね、魚が釣れるんだよ。」と仰っていました。お義母さんに道を聞き、出発。コニファーいわびつに行く途中、右に看板があり、そこを右折。橋を渡ります。



  


直美もよっちゃんと子供の頃、走り回った記憶があるそうですが、なんせ○十年前のこと、どこでかけっこしていたのか…?駐車場に車を止め、右に続く道を進むと看板がありました。





観音山(龍峨山)案内図』には、驚くほどたくさんの洞窟の絵が書いてありました。これはビックリです。

観音山(標高530m)
古くは松山あるいは岩鼓と呼ばれていたが、延享4年(1747)に百所(百基)の観音石像が祀られてから観音山というようになったという。東山と西山があり、東山に西国33番と坂東33番、西山に秩父34番が安置されており、麓に龍峨不動尊の堂がある。滝もあり、不動の滝(三重の滝)と呼ばれ、その左横に岩櫃山へと通じる道に抜けられる石門がある。


岩鼓って、大宮岩鼓神社と関係があるってことじゃない!もしかして神社が里宮で、この山が奥宮・御神体ってこと?…とにかく、大宮岩鼓神社と関係があるならば我が家にも縁があるっていうこと。ますます興味が湧いてきました。



  


しっかりとした造りのあずまやもあります。



  


これが「龍峨山不動尊の堂」、いわゆる不動堂ですな。不動堂には剣を奉納するみたいですね。



  


不動堂の隣には、鄙びた石仏が並んでいます。どうも、七福神の神様たちのように見えます。…真ん中の石仏は恵比寿様かな?なんだか、お祖父ちゃんの写真にそっくりです。不動明王の姿もあります。





てな具合に不動堂と石仏を観察していると、先に滝の方に行った直美が「きゃあ怖〜い、何か大きな音が巻いているー」と言って逃げてきました。そんな馬鹿な…行ってみましたが、何も聞こえません。



  


それでも直美には、何か聞こえていたそうです。これが「不動の滝」。かつて、お祖父ちゃんが生存の頃は、ここで地域の子どもの為にマスつかみ取り大会などを催していたそうです。ここは、お祖父ちゃん縁の滝だったんです。





別名「三重の滝」だそうですから、上部にはまだ滝があるはずです。それにしても見事。原町に住んでいながらここを知らなかったのは問題ですね。失礼しました。


直美が聞こえた声は、お祖父ちゃんの声だったのでしょう。間違いありません。今日は珍しく叔母さんも家に泊まるし、魚釣りが大好きだったお祖父ちゃんにそっくりの恵比寿様もいるし、もしかしたらいつもここにいるのかな…この時は、お祖父ちゃんがなんで直美に声をかけたかまでは、よく解りませんでした。



  


焚火の跡がありますね。キャンプするにはどうでしょう、蚊が多くて参ると思いますが…。滝の脇には別のあずまやもあります。かなり汚れていました。



  


幹肌がつるつるした古木。樹種を確認することよりも、この奇妙な形に感心してしまいました。三又の樹は神様がお休みになられるところです。っていうか、この樹なにか宿ってるでしょ?!



  


そして、まだ何とか日没までに帰ってこられると判断し、観音山の東山を登ってみることにしました。早速、一つ目の岩窟、「胎内窟」があります。



  


なんだ?中に入れるみたい…梯子を登って進んでみると…



  


ハーイ、ただいまー。こんな感じなので、地下迷宮のようなイメージでは無いようです。沢の横に北向観音窟があります。あっちは西山に数えられるのかな?



  


小さな山ですが岩山なので足場が悪く、油断できません。分岐を右に進みます。



  


「金堀穴」という名前の穴は、先ほどの岩窟とは違い、人為的に掘削されています。金が出た?まさか…



  


いったん、登山道は地面が岩から土になります。





「象ヶ鼻」と言われる奇岩です。大蛇にも見えるかな、エイリアン?



  


この分岐は左へ。最初は良かったんですが、



  


すぐに道に迷ってしまいました。理由は(後で気づいたのですが、)国土調査で使ったピンク色のビニールテープの印を、登山道の印だと勘違いしていたためでした。この根株の左側は急崖になっています。ここが登山道のはずはありません。しかし小さな山なので登山道には戻れるはず…




  


確かに、すぐに戻ることができました。しかし、今考えると、こういう偶然が続いたせいで勘がくるってしまい、後で迷ってしまったんだと思います。



  


この辺りまで来ると、ほどなく山頂に到着しました。





観音山山頂からは原町が一望できます。



  


山頂から先に進みます。尾根道を下ると、左側に棚のように広くなった場所がありました。





なんか好きだなーこの場所、この森。巨木がある訳ではないのですが、適度な樹木間、そして適度な照度です。



  


なーんてのんきにしていたら、どういう訳か山頂に戻ってしまいました。もう一度、尾根を下る道を進み、よく見てみるとさらに下りて行けるようです。



  


三又のアカマツには、神様は座っていたかな?なかなか、お洒落な椅子ですね。
鎖ロープが掛けてある急なところを下って、先に進みます。





右側に大きな岩壁が立ちはだかります。それにしても、長野原町以東の吾妻谷にある山は、こういう風に絶壁の岩山が多い。旧い火山が浸食されると、厚く硬い溶岩流の部分だけが取り残されるのか?…などと、勝手なことを想像しながら進みます。





そして、その岩壁沿いに東大岩窟。大きな仏像でもあるかと思いきや、そんなことはありませんでした。小さな石仏がいくつも安置されています。



  


そしてこの後、道は全く解らなくなります。どの方角にも道肩らしきものはあるのですが、その先はたいがい笹の密集地となってしまいます。ピンク色のテープが国土調査のもので、登山道を示すものではないと解ったのは暗くなってから。100m先に車道が見えてはいたものの、もう一つ下りていく踏ん切りがつきません。…結局、直美の意見で今来た道を戻る事にしました。



  


何とか、真っ暗になる前に戻ることができ、助かりました。あの、東大岩窟の後、そのまま強硬に直進してしまっていたら、南大岩窟の先が土砂崩れで進めなくなっていたらしいことも後で知りました。


やはり、この山に来た時、最初に直美が「不動の滝」で聞いたあの『大きな声』はお祖父ちゃんだったに違いありません。今日はどうやったって迷ってしまうから帰れ、そういう事を言いたかったんだろうと思います。そして、無理にでも下ろうとする私を引き止め、道を引き返させた直美の英断にも、お祖父ちゃんがきっと関係していたのでしょう。先に行って調査してくるから待っていろって言っても「だって怖いもん」と言って着いてきてしまうから、直美に何かあってはいけないと思い、あきらめて引き返すことができたのです。直美を怖がらせてくれたんでしょうね。お祖父ちゃん、本当に感謝しています。


うーん、もう一度、御霊前で頭下げて参ります…。






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