軽井沢町、旧碓氷峠遊覧歩道(旧軽井沢二手橋〜旧碓氷峠)、熊野皇大神社付近を下見



TV局から急遽、軽井沢町の森林浴ハイキングコース取材の申し込みをいただきました。私としては白糸の滝〜竜返しの滝〜小瀬のハルニレ−ミズナラ林コースがオススメなのですが、TV局側としては熊野皇大神社への参拝と、旧碓氷峠からのサンセット、そして碓氷峠名物の「ちからもち」を食べるコースがご希望とのこと。うん、確かにそれもいい癒しコースですね。


そもそも信濃路自然歩道は環境省が制定した長野県各地にある自然歩道で、そのうち「浅間高原ルート」は本来、峰の茶屋〜白糸の滝〜竜返しの滝〜小瀬〜旧軽井沢メインストリート〜二手橋〜旧碓氷峠までのロングコースであります。なので、私の提唱するコースの先の方、ですから何ら問題ありません。しかし夏の熊野皇大神社と旧碓氷峠にはしばらく行っていないので、至急、現在の状況を下見してきました。



  


レトロな木造建築物の軽井沢観光会館は旧軽井沢商店街(メインストリート)のシンボル的存在です。この道を北東へ上り、



  


商店街を抜けると、浅間石を石垣に使っている昔ながらの別荘地。芭蕉句碑もあります。



  


軽井沢ショー記念礼拝堂、ショーハウスなどがあります。アレキサンダー・クロフト・ショーは1886年の夏、家族と共に軽井沢で夏を過ごし、たいそう軽井沢を気に入って、軽井沢の気候風土が心身に良いとして「屋根のない病院」と呼び、友人たちに軽井沢の素晴らしさを伝えたのだそうです。それが避暑地軽井沢の始まりとされ、ショーは「軽井沢開発の父」と呼ばれています。



  


二手橋は軽井沢宿に泊まった旅人とそれを見送る旅籠の人が互いに手を振りながら名残を惜しみ、二手に分かれたことから名がつきました。ここには公衆トイレがあって、



    


バス停があり、この先は自転車の乗り入れ禁止の看板が出ていました。広い道ではなく、すれ違いが大変そうです。途中から、右の別荘地の道に入ります。



    


オニイタヤ、オオモミジなどの看板が設置されていますがこの付近、何本かだけのサービスです。ミツバっぽいのは残念ながらウマノミツバでした。



    


別荘地の中は、舗装になったり、砂利道になったりを繰り返します。



    


この吊り橋から先は、旧碓氷峠まで建物はありません。足元には大蛇が出てきそうなところに生える、ウワバミソウが群落を成しています。



      


道なりに登っていきます。勾配は緩やかです。





このコースは、いくつかの小川を横切りながら進みます。



      


表土に現れて出た軽石の中に火山礫(直径2-64mm)が混じっています。231年前の浅間山大噴火の際には、約12km離れたこの場所まで火山礫が飛んできたのでしょうか。山火事になるわけです。





この位のサイズのだと、とても樹齢231年には達していないでしょう。それでも、中径木以上の林で気持ちがいいです。



      


少しガスってきました。迷う道ではないとは言え、案内人がいないと心細いでしょうね。





霧の中に現れた巨木…のように見えたので寄ってみたら、ハルニレの大木でした。巨木ほどではありません、が、綺麗な姿をしています。きっと見てもらいたかったのでしょう。



    


野生動物の足跡、アブラチャンの芳香成分、オオツリバナの実、ツル切りされ、管理がうかがえる森…お話するネタはありますが、森林浴セラピーにつながるかな?



  



歩道橋のところにあるモミ。気軽に触れることができる大きな一本。これは交流したいところです。



      


歩道橋を渡ると、直径77cm程の切り株を発見。年輪はかなり細かく、樹齢200年以上のものでした。うん、この年輪をナイフで削り出し、樹齢を数えるプログラムをしよう!ではあの、とっておきのナイフで…



    


歩道橋を越えると、道はかなり平坦になってきます。あ、さっきと同じくらいの太さのモミの木。それにしても、ヤマアジサイの多い道でした。ヤマアジサイは装飾花がピンク色とかみず色とかになるといいのですが、ここのはみんな白色でした。軽石土の特徴なのでしょうか?





イロハモミジが綺麗。なんとも言えませんね。



      


タカアシガニのような根の樹木を越えると、また木に呼ばれたが葉が見えず種を同定できず。ミツバカエデがありました。



    


「右 ごんげんさま」「左 下り歩道」。残念ながら、今日も碓氷峠は雲の中…ここは、ただでさえ霧が多いところ。軽井沢が何故涼しいのかって、碓氷峠に埼玉方面からの空気が到達し、それが上昇して霧が生まれます。日射時間が少ないので涼しく、苔が多い。それが軽井沢の夏気候なのであります。



    


万葉集(7世紀後半〜8世紀後半)にも歌われた碓氷峠


「日の暮に うすひの山を こゆる日は せなのが袖に さやにふらしつ (巻14)よみ人知らず」
「ひなくもり うすひの坂を こえしだに いもが恋しく わすらえぬかも (巻20)他田部子磐前」


ここにも公衆トイレがあります。



    


では、熊野神社熊野皇大神社へ。この神社は長野県と群馬県の境が神社本宮のど真ん中を通ってしまっている、大変に珍しい神社です。長野県側では「熊野皇大神社」、群馬県側では「熊野神社」と呼ばれています。今回は軽井沢の取材なので、「熊野皇大神社にスポットが当たることでしょう。



  


この神社の狛犬は、室町時代(1333年〜1573年)中期のものとされ、長野県では最も古いものだそうです。とにかく、可愛らしい。サンショウウオに前足がついたような狛犬、ぜひ、見に来てください。



      


髄神門を抜けて、まずは群馬県側の神楽殿を覗いてみると、見事な「わら馬」が奉納されていました。しかし、奉納者は小諸市の方。参拝者はあまり群馬県長野県にこだわっていないのでしょうね。



      


そして長野県側へ。

熊野(皇大)神社の縁起(長野県軽井沢町群馬県安中市

第十二代景行天皇(71年〜130年)の頃、日本武尊の東夷征伐凱旋の途中、武蔵、上野を経て坂本にさしかかった時、荒ぶる山神が白鹿に化けて日本武尊を苦しめんと姿を現したが、蒜(ネギやノビルなどの植物)を白鹿の目に打付けて殺してしまった。

ところが、たちまち濃霧が発生して何も見えなくなり、道に迷われてしまった。

そこに一羽の八咫の烏が現れ、紀の国熊野山の椰の葉をくわえて来て、日本武尊の御前に落とし前導するように飛んで行くので八咫烏について行くと、無事に碓氷峠に到着した。
日本武尊は、熊野神霊の加護に感謝し、この碓氷の嶺に熊野大神を勧請したのが当社の起源。
景行天皇四十年十月のことであるという。


この神社には、八咫烏の社も祀られています。


ところで、神社の縁起で白鹿が出てくるところは気になります、嬬恋村の鹿沢温泉発見伝説に出てくる白鹿の伝説はこんなです。

鹿沢温泉の開湯伝説

約1700年前のこと。日本武尊の東征の時、この山中で一頭の白鹿を見つけ、これを目がけて放った矢のために白鹿は傷つき、そのまま姿を消したがその後を追って行くと、この谷間の湯気の立ち昇る中で白鹿がじっと傷を癒していたという伝説である。


うーむ、この鹿は同じ鹿だったのではないか、或いは本当に神が鹿に変身して降りてきたのではないか…そんな気にもなりますね。



  


そして樹齢850年、シナノキ巨木とご対面です。





今日のシナノキ様は、確かに顔を持っていらっしゃいました。私が先日実施した、シナノキ縄ない体験学習が成功したことを祝福してくださっているかのようでした。



    


左 那智宮 祭神:事解男命(ことさかのおのみこと)
中央 本宮 祭神:伊邪那美命日本武尊
右 新宮  祭神:速玉男命(はやたまおのみこと)


群馬県側の新宮で何か宝物を公開していました。



      


720年前に奉納された古鐘や随神様が拝観できるようです。さて、しっかり参拝してお腹が空いたところで…



  


碓氷峠で最も古い「しげの屋」さんで名物「ちからもち」を注文します。何がいいかな〜

ちからもちのいわれ


源頼光の四天王(碓氷貞光、坂田金時渡辺綱、ト部季武)の一人として有名な碓氷貞光は、この碓氷峠の出身であると前太平記に記されています。幼い頃から大力無双で、京に上がって立派な武将となり、大江山の鬼退治などで活躍しました。ちからもちはこの碓氷貞光の力持ちに因んで生まれ、名物となりました。

中山道を歩く旅人が一番の難所と言われるこの碓氷峠を越える際、しげの屋のちからもちを食べて峠を越えて行きました。…云々


私は胡桃のちからもちを注文。ウッマーイ! (*´艸`)〃 モグモグ


注文を受けてから作るそうで、ひと皿500円は安くはないが、いい味です。また、熊野神社と同じく、しげの屋も県境に建物が建っており、長野県側と群馬県側の住所を持っているのです。そういう縁もありますし、熊野皇大神社ご参拝の際にはぜひ、立ち寄られることをオススメいたします。



    


しげの屋さんのテーブルには、スタッフ手作り感のある素敵な付近の観光案内図が置いてあります。ちょっと見るとそういえば、駐車したあたりに大きな樹木がある神社がありましたね。諏訪神社ですか。よーし、きちんと参拝に行ってみよう。あ、そういえば碓氷川の水源が近くにあります。行ってみましょう。





ここが、碓氷川の水源、名水です。梅雨時に初めて来ましたが、かなり水量多いですね!
明治11年明治天皇の北陸・東海御巡幸の際に御膳水とした理由がわかりました。
最近では、アニメ「風立ちぬ」の水源地風景に似ている、と言われています。そうでしたっけ?
パワーのあるところは水が湧いたりマグマが噴いたりします。熊野皇大神社は、本当にパワースポットです。



    


この後、もう少し進んで「数字の歌碑」を解読に行きたかったのですが、雷雨に見舞われ、あえなく退散。軽井沢町の循環バスに乗って軽井沢テニスコート前へ。





すると、この巨木です。


なんですか、このサイズのトチノキは!?



  


いやーびっくり。遠目にはでかいなとは思っていましたが、まさか旧軽井沢にこんな巨木があるなんて考えられなかったもので、今まで見過ごしていました。幹周りはなんと8m近いです。



    


えーこのケヤキだってかなり大きいですね。幹周6m位あります。トチノキ巨木ももう一本ありました。そう、パワースポットには巨木もあるもの。安定できる、健やかな場の力があるんですね。あ、トチノキは稲作ができない軽井沢だから実を食用にするために残されてきた?でも、クリだって育つはずですからね。



    


ぐるっと回り込んで、ようやく諏訪神社の鳥居、入口を見つけました。諏訪神社の社叢(しゃそう=境内林・鎮守の森)は軽井沢町の天然記念物に指定されているそうです。これは良かった。長生きしてほしいですね。


創建年代は不詳ですが、軽井沢地方開拓当初、信州一宮諏訪大社から分霊勧請されました。軽井沢宿にとっては大切な鎮守産土神だったことでしょう。隣接してユニオンチャーチがある、というのも軽井沢町らしいですが、日本の神様も西洋の神様も、やはりパワーのあるところに居られたいのでありましょう。


よーし、イメージが整いました。TV撮影では、「巨木とパワースポットを訪問する森林浴」のイメージでいきましょう。決まった!






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