岩櫃山登山記録 その1(一本松登山口〜沢通り〜山頂〜密岩通り〜郷原)



岩櫃山






標高802mの岩山で、吾妻八景を代表する景勝地です。南面は約200mの絶壁で奇岩、怪石が連なる切り立った山容は日本離れした景観を生み出しています。山頂からの眺望はすばらしく、眼下には東吾妻町中之条町の市街地、眼前には榛名山塊や上州の山々が広がり、晴れた日には遠く富士山も望めます。


先日、11月3日に行われた恒例の岩櫃山紅葉祭では、登山イベントがあると勝手に思っていたのですが残念ながらありませんでした。しかし昨日、『戦国真田の岩櫃城跡探検隊』に参加させていただき、岩櫃城の理解を深めることができました。そんなことで、初めての山ですが一人でも登れそうですし、今日は城ではなく、岩櫃山の方をじっくり体感しながら登ってみます。



  


原町方面から、コニファーいわびつ方面に車で向かう途中、左折すると、岩櫃山登山道の中で最も人気のコース・沢通りコースを通る登山口があります。休憩所で地図をゲットし情報を得ます。



  


岩櫃山そのものはそんなに時間がかかる山ではないので、今日はいくつかの登山道を歩いてみようと思います。この登り口は天下の名城・岩櫃城跡にも繋がっていますので、最初のうちは岩櫃城の痕跡を見ながら登っていきます。空堀跡や、



  


根津志摩守の屋敷があったとされる志摩小屋などがあります。





天然の斜面なのか、岩櫃城の土塁なのか…。両方なのでしょうね。



  


岩石がごろんと転がっています。たくさんの礫が集まって、それが目地埋めされて固まったように見えます。凝灰岩の一種でしょうか。ここには大昔、どんな火山があったのでしょう。



  


岩櫃城探勝路と岩櫃山登山道の分岐点を右へ。まもなく沢に到着します。



  


沢の石積みは人工的なものだそうです。岩櫃城と関係があります。沢を登り始めてすぐに「左原町」の看板がありますが、一体どこに出るのか不明です。



  


左は急崖。足元は石がゴロゴロ。





大きな岩塊を横切って進みます。



  


岩櫃山は長く禁伐林だったので大きな樹木が残っています。





巨石の谷間を行きます。想像はしていましたが、見事な景観です。



  


沢は二手に分かれます。岩櫃山山頂がある左側に進みます。小さな看板に「平沢へ」とありますが、これは来た道のことを指しているのかな?公の設置ではなさそう。誤解を生じるような看板は撤去してもらいたい。



  


露出している岩石は、ここまでほとんど変わりありません。大小の礫が固まっているものです。ん?やや礫の大きさが大きくなったかな?登るにつれて火口に近くなったので、飛んで着地した火山弾の粒が大きくなっていく可能性があります。



  


岩櫃城跡との分岐は右に進みます。「天狗の蹴上げ石」という奇岩があります。



  


このあたりから急になります。岩の間を通ったりして、





ここを登ってゆきます。



  


モミの大木の上は割となだらかになります。



  


鎖を使ってひょいと登れば、八合目です。



  


立入禁止の看板。この山容では正規ルートではない道でチャレンジする冒険家も結構いるんですかね?尾根道を歩いて、





ぶわっと周囲が開けます。山頂手前のピークです。下から見える山頂岩塊の一部に立っています。



  


天気が悪くなってきました。先に進みます。ここで、鎖を使って岩を降りる場面が初めてあります。この先は、こういう場所が何度か出てきます。



  


山頂へと続く尾根道です。



  


山頂の岩にアタックします。鎖を使って一歩々々丁寧に。





岩櫃山山頂(802m)です。いやー素晴らしい。眼下に見えるのは郷原の集落。そこから続く平野左右には東吾妻町中之条町の街並みが続きます。岩櫃山は眺めても登っても良い山。こういう名山は案外少ないのです。



  



吾妻川の向こうに見える山塊は榛名の山々です。後ろを振り返り尾根道を眺めて、岩櫃山とはどんな火山だったのか、どこに火口があったのか、本当に知りたくなりました。原町付近には湖があったそうですが…



  


恐怖の岩下り。登ったところは降りなきゃなりませんからね…。岩を降りて、右の郷原方面(密岩通り)に行きます。今来た道ではなく、別のルートで下山します。



  


この道は山頂にそびえる岩を回り込むようです。足場は悪く、注意が必要ですが景色は凄いです。



  


回り込んで岩を下って穴をくぐると、



  


野鳥の羽がおびただしい程、散乱していました。鷹が食事をした痕です。この先を進むと「鷹の巣遺跡」という看板がありました。せっかくなので寄ってみることにします。



  


この位置で下りの寄り道は気が重いですが…。行ってみると大きな岩に穴がたくさん空いています。鷹の巣は、作りやすそうなところですね。この右下から、弥生時代のお墓があったそうです。

岩櫃山鷹の巣岩陰遺跡【いわびつやまたかのすいわかげいせき】

岩櫃山の山頂から20mほど下にある鷹の巣岩陰には弥生時代の墓がありました。壺や甕などの土器19個が4群に分かれて出土しました。土器の中からは人骨がみつかっています。弥生時代には再葬の風習がありました。いったん埋葬した遺体を掘り上げて骨を土器に入れて再び別のところへ葬ったのです。このような墓を「再葬墓」と呼んでいます。月夜野町の八束脛洞窟遺跡も再葬の遺跡と考えられています。岩櫃山鷹の巣岩陰遺跡から出土した土器は、東京国立博物館明治大学考古博物館に保管されています。
群馬県生涯学習センターHPより)

  


火の跡があります。どなたかがここでキャンプしたようですね。板状摂理の岩を初めて見ました。岩櫃山の岩は全部が集塊溶岩なのではなさそうです。



  


分岐まで戻って、再度、郷原方面へ





すると、足もすくむような鎖場が出現します。これは、初心者は降りられないでしょうね。すると、密岩通りは降りるのではなく、登るルートの方が望ましいのかもしれません。



  


降りたところあるのが「天狗のかけ橋」です。今のところではなく別にある?とりあえず、右はとても行けそうにないので、すんなり行けそうな左に進むことに。



  


岩の隙間から、象の鼻のような奇岩が見えたと思ったら、橋です。うわっ、さっき行き止まりだと思った崖が「天狗のかけ橋」?下から写真を撮りました。いや〜、これは今日のような雨あられが降っている時、そして今日の私の作業用靴ではとても行けません。天狗になるのは次回にしましょう。



  


それにしても、ここから降りていく道を見つけることができません。東吾妻町観光協会にも聞いてみましたが、どうにも埒が開きません。やっと下る道を見つけましたが、なんと道探しに30分以上かかってしまいました。





しかし、辛い後には福があります。この景観、さすがは岩櫃山




  


真っ直ぐには道はありません。左に降り、紅葉と奇岩が連なる密岩通りを降り進みます。



  


見事なグラデーションとなった、カエデの紅葉。カエデの窓から見える里は、郷原かな?



  


岩肌にはイワヒバがびっしりと生えています。ヒカゲノカズラ植物門イワヒバ科に属するシダ植物です。高山植物のイワヒゲと混同しませんように。イワヒバは温帯域に出現します。小池家にも立派な株がありましたが、誰かに盗難されたそうです。山からの盗掘はもっと激しいのでしょうね。



  


登山道が切れているところもあるので注意。しかし、階段で使っているこの素材は、濡れていると滑ります。経年劣化しないのでしょうが、別の素材では何かないのでしょうか?



  


スギの植林地を抜けると、郷原の集落に出ます。





密岩通り出たあたりから見た岩櫃山



  


このまま、郷原にある別の登山口に向かうと、春に下見した、あの名桜があります。東吾妻町で最も太い桜・大隅桜(おおすみざくら)です。エドヒガンザクラで高さ18m、幹周り7.4m、根回り10.9mの巨木です。



岩櫃山登山記録記事が長くなりすぎたので、2つに分けることにします。続きは以降で!


岩櫃山登山記録 その2(郷原〜赤岩通り〜尾根通り〜岩櫃城本丸址〜一本松登山口)
http://d.hatena.ne.jp/akagi39/20131111/1385376671






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