鳥居峠−華童子の宮跡−古永井分岐−四阿山−古永井分岐−的岩−鳥居峠ルート(下見登山)





四阿山登山道を再調査中。花童子の宮跡コースはしばらく行っていない。また、古永井分岐〜嬬恋清水までの区間も、まだ歩いていないのだ。この、鳥居峠からのルートで四阿山に登った友人は「得たものは大きい」と言った。私もじっくりと味わいながら歩いてみた。






  


以前は鳥居峠から林道を歩いて行ったが、ここ数年間は嬬恋村役場が林道を国から借りていて、乗用車ならかなり先の駐車場まで入っていくことができる。今年は6/1〜11/3の期間が解放されているようだ。ただし、「山菜、キノコの採取は禁止されています」のうち、三文字が気になるが…




  


カラマツ林をしばらく進むと、二手に分かれる。ここを左へ進む。




  


さらに林道を進んでようやく駐車場へ。この間を歩けば片道1時間以上かかってしまう。全くありがたい。




  


登山口付近はミズナラ林、その後、すぐにカラマツ林となり、やがてミズナラ−ダケカンバ林となる。ここいらのミズナラは萌芽更新した後の様子が見て取れる。




  


尾根に出てしばらく進むとこれまでと雰囲気の違う木道階段がある。もうすぐ華童子(げどうじ)の宮跡だ。




  


童子の宮跡に到着。西暦718年に加賀(石川県)の白山比竎大神(しらやまひめのおおかみ=白山権現)を四阿山に勧請(かんじょう)した修験者の名前が華童子(げどうじ)という。山頂に白山権現山麓に里宮を設置し、中間には「華童子の宮」という中社を設けた。ここは当時修験者たちが加持祈祷(かじきとう)などを行う場所であったそうだ。
ところで、“げどうじ”さんのお名前は、華童子とも花童子とも書かれる。一体どちらが正解なのか?




  


立派な石碑があり、小さな祠もいくつかある。昔はこの先は、女人禁制だったそうだ。




  


同じ場所にあずまやがあるが、寂れてしまっている。もう華童子について気にかける人もいないのであろう。まあそれで良かろう。
登山道にたびたび現れる祠は、駐車場から約1町(109.09メートル)ごとに設置されているそうだ。この登山道は白山権現にお参りする参道(上州古道)なのだ。




  


オヤマボクチも花の時期にはアザミに似たような赤みがかかる。そしてアザミにはアカタテハがやってきた。山で見るチョウチョは優雅でいい。




  


途中、何度か右側が開け、浅間山が見え隠れする。雲がかかってきた。
祠のある登山道。これが四阿山登山道だ。




  


登山道沿いの明るい地面は、動物が実を隠すのに適しているのだろう。近くに気が無いのにミズナラの赤ちゃんがいた。




  


古永井分岐までの途中地点で、似たようなところがあり、休憩・食事場所に最適。




  


古永井分岐は高山植物の保護のためかロープが張ってあり、大人数は休憩できない。あずまやが使える時はラッキー。




  


この後、山頂かと見間違えるほどの立派な尾根ピークが出現する。登り道はかなり急だ。




  


この尾根ピークの頂上付近の景観は、これぞ登山という感じ。本当の四阿山山頂よりも山頂らしい。





南東方向。登山道とマツムシソウ北アルプス。そして南西方向は下の動画にて。





このところ、このマツムシソウクジャクチョウの動画ばかり撮ったが、この浅間山とのショットは簡単には撮れないと思う。記念の映像になった。




  


ところで、1町ごとにあるとされるこの祠だが、向きがだいたい南西の方向に設置されているように思う。槍ヶ岳よりも南側。どこかな…?と考えていたが、よく考えると上田市真田方面と考えるのが妥当かも。となると、祠を設置したのは華童子の時期よりもずっと後か、設置しなおしているということだ。




  


雄大な景色を後にし、また森の中の登山道となる。




  


この後の下りは長い。しかしこのルートは不思議なくらい何度も下りがある。下から稜線を見ても下りがあるようには見えないのだが。
結構歩いて、【四阿山】の杭が見えた時は「おお、ついにか!」と思ったが、木々の間からわずかに見える遠くの山頂が四阿山。登山道が長く感じるのは何度もある下りのせいだろう。




  


登山道の足元に転がる山の実。シラビソの球果を割ってみるとこうなっています。リスが大好物の実を食べてみたが、ヤニの味が強烈。うえっ、ぺっぺっ。




  


こちらは頭皮の球果同じように長細いが構造はかなり違っている。こちらは、味見ができるほどのサイズの実では無かった。




  


嬬恋清水分岐点に到着。少し寄り道をしていく。




  


ここが嬬恋清水。古くは“熊野清水”ともいわれ、修験者たちの命の水だったそうだ。標高2200mの湧き水はなかなか飲めるものではない。関東最高地点の湧水だそうだ。
上州古道に戻って、さらに30分ほど登る。




  


最後の木道階段では、山ガール達が歌いながら目の前を通り過ぎて行った。
この付近には高山植物タカネナナカマドがある。




  


3日間連続で四阿山山頂を踏む。お参り登山ではないが、四阿山登山を今後無事にご案内できますように。





この時点で午後2時だったが、それでも北アルプスが眺望できた。





四阿山根子岳・浦倉山の裏側の凹みは、実は四阿山火山の旧火口だった。28万年前に最後の噴火をしているが、その時の爆裂火口だったかどうかは解からない。その火口を撮ってみたが、伝わるかな?




  


さて、日が暮れる前に帰りましょう。今年は、シラビソの実が豊作です。




  


うわっ、馬?それともカバ?しかし、愛嬌のある顔なのでまあいいでしょ。
長い長い稜線を下りていく。




  


古永井分岐付近。右側、的岩方面に進む。




  


分岐から10分ほどで、不思議なコメツガ林がある。山では尾根沿いの崩壊地などで、このようにコメツガの純林が出現することがある。しかし、このコメツガ林のすぐ横の沢沿いは、大木がゴロゴロする針広混交の天然林だ。また、これまで同様の条件のルートを歩いてきたが、ここだけがどうしてこんなに顕著なコメツガ林になったのか不思議だ。崩壊からあまり経っていないのだろうか。例えば嬬恋村全域が水害に見舞われた明治43年の大雨でここも崖崩れが発生したとか。




  


国指定の天然記念物・的岩に到着。将軍源頼朝が狩りの際に、家来と弓を引いてこの屏風岩を狙っていると、どこからか異形の大男が現れ、「わしならこの握り飯で当てて見せる」と言い、見事命中した。その時の穴がこれで、握り飯の様に見える岩も転がっている。


火山学的には、この的岩はダイクという。元々地下に割れ目があって、そこにマグマが流れ込み固まった。そして長い年月が過ぎ、周囲の柔らかかった岩石は風化浸食され、硬く固まったマグマの方が洗われ出てきた状態。この的岩の上に登った写真を見たことがあるが、高所恐怖症の私には無理。




  


ここも、嬬恋村が近年下草刈りをしているので、的岩中央部まで行くことができる。





的岩中央部。このあたりが東側から見て最も高いところである。ここに、源頼朝伝説の大男が投げたおにぎりが当たった窪みがある。なんと綺麗なクレーターか。その伝説が本当で無くても、太古の昔、日本にいた神々が現し世に現象をもたらしていた頃、ちょいと悪戯をしたのではないだろうか。




  


的岩をたっぷり堪能して、駐車場へ向かう。ミズナラの森を約30分間下る。




  


最後の出口付近はカラマツ林。写真や動画を撮りながらの登山だったが、約6時間ほどかかった。駐車場から鳥居峠まで車で悠々と帰ったが、この林道を歩くことになれば+2時間以上となってしまう。なんとか、このまま途中の駐車場まで車で入れるような体勢を維持していただきたいと思う。