酒蔵見学・酒造り体験&八ッ場ダム関連工事現場見学(吾妻郡東部町村連携講座「ふるさと探訪」)に参加



吾妻郡東部町村連携講座「ふるさと探訪」の2回目は長野原町。あれ?長野原町は西部のはずなのですが、聞くところによると、吾妻町村の中で東部も西部も受け入れする町村が必ずあって、持ち回りで実施しているのだそうです。




今日の午前中は浅間酒造観光センター様で、酒造りについて学んだり体験したりします。最近、うちの協会のI氏など、私の周りの人物が何かと接点があると聞いています。いい機会でした。


浅間酒造株式会社
http://www.asama-sakagura.co.jp/



  


3階の大レストランにて開講式があり、今日の講師の方々が紹介され、浅間酒造株式会社の櫻井武社長が酒造りについて講義してくださいました。


浅間酒造は群馬県で最も西にある酒造で、江戸寛永年間に長野原町大津にて櫻井酒造店として始めたのだそうです。明治5年に県庁より酒造業免許を受け、そこから数えて創業147年、現在六代目でいらっしゃるのだそうです。長野原町浅間山草津白根山などの火山灰土であるために、常識的にはいい酒は難しいとされてきましたが、地元の食材を大切にしたい気持ちから、3年前から長野原町内の米で酒造りをしており、また東吾妻町岡崎の農家と契約し米を卸してもらっている、とのことです。


お酒の種類、造り方、醸造酒のアルコール生成メカニズム、日本酒の並行複発酵は世界で唯一の製法、そしてなんと最も古い日本酒は「口噛み酒」と言われるもので、卑弥呼などの時代にさかのぼり、若い女性が米を噛んで吐き出したものを龜にためて造った…というびっくりな話など、いろいろと聞かせてくださいました。


また、社長を含め通年スタッフ4人で日本酒を造っていて、酒好きである自分たちが心から飲みたいと思うお酒、一杯目よりも三杯目四杯目に飲みたくなるお酒、日本一○○に合うお酒、そのためには酵母を上手に育てる、新鮮でじんわり良さが伝わるお酒を…


熱く語ってくださった櫻井社長。お若いですが大きな人間力を感じました。とても魅力あるお方でした。



  


次に工場の中に入り、洗米の体験です。気温、水温、吸水率、浸ける時間など、とても繊細に管理されていました。私達が入っていいのかな?この写真、もしかしたら企業秘密もあるかもしれません。その時はある日突然ブログ記事が消去されます(笑)。



    


お米は外側の40%をカットして、芯部の6割を使うそうです。外側に行けば行くほど、雑味成分が多いがそれは味わい深いともいえる。お米の種類によってカットする割合は異なる、水は大量に使うので、横壁の美味しい山水を使っている…などお聞かせくださいました。



    


お米が醸造されていく、お酒になっていく過程も拝見しました。もろみを仕込むと一ヶ月くらいで辛さや甘さができてきます。一番右の写真は氷で冷やしています。高温になりすぎると酵母菌が死んでしまうのだそうです。



  


この辺から、解説はマッチョな彼から小林さんに交代しました。地下の巨大タンクでは次々に炭酸ガスが発生しています。ここでの「臨死体験」は最高でした。一皮むけたような気がします(笑)。



  


「こしき」という蒸す機械、そこから風速30mの風で別の場所に移動させる機械…など、浅間酒造さんはオートメーション化・機械化がかなり進んでおり、群馬県内で最も早い時期に新酒が出せるのだそうです。それでも、全て機械ではなく、手をかけるところも幾分残してあるのも特徴だそうです。



  


酒粕は酒の搾りかすなので、プレスのかけ方によって味が変わってくる、大手が100%のプレスをしているとしたら、浅間酒造は7割ほど。だから酒粕に日本酒の味が残っていて美味いのだそうです。


それにしても、綺麗に生理整頓されている工場で驚きましたが、それもこだわりの一つで、小林さんは仕事の7割は掃除だと仰られました。見学に来た人ががっかりしないように、作り手の気持ちを表現するためにも、掃除が一番大切だと。頭が下がりました。


そして合間にちゃんと宣伝も入れます。日本酒は美肌効果がある、お酒と同量のお水を飲めば二日酔いはしません…



  


主力銘柄・大吟醸「秘幻」はモンドセレクション2年連続金賞受賞とのこと。試飲コーナーに行ってみると、



    


「ヨーグルト酒」は地元川原湯の豊田乳業のヨーグルトを使い、大吟醸「八ッ場の風」は地元大津の米で造っています。浅間酒造さんの地産地消精神に敬服いたしました。



    


その後は、マイクロバスに乗り、八ッ場ダム関連工事現場を見学に行きました。開通した八ッ場大橋を見下ろす川原畑神社前で解説です。



  


10軒のクラインガルデンには27件の申込みがあったほどの人気だったそうです。家賃は4万円で畑付き。いやーいいですね。この物件、うちの協会の事務所に貸してほしいくらいです。あの黒いのが、川原湯温泉のタンクなんですね…



  


川原畑地区の墓地と詣り墓の石塔群。川原畑では、死者を埋葬する墓(埋め墓)と石塔を立てて霊魂を祀る墓(詣り墓、またはヒキ墓)を別にする「両墓制」という風習があります。遺骨のけがれを忌む考え方と、清らかな霊魂は別の場所に先祖として祀ろうとする霊肉別留の考え方から生まれたものだそうです。



  

(境内石碑より)
 川原畑諏訪神社は、川原畑西宮に鎮座し、御祭神は健御名方神を祀り、他十余柱が合祀されている。
 由緒不詳。明治元年(1868)12月に火災に遭い本殿拝殿共に焼失し、その後昭和3年(1928)12月に再建されたが、ダム建設により移転の巳むなきに至り、平成18年(2006)8月2日、ヘリコプターにより本殿を此の地に移転した。その際本殿下より一字一石経が発見され、その中に寛延2年(1749)と書かれた経石も見つかった。
 また、信州高遠の石工によって施工されたと思われる石垣も移設し復元した。
 平成18年9月15日遷座祭を執り行い、同月26日此の地に新諏訪神社が竣工となった。
  川原畑諏訪神社 宮司 海野信義  文責 坂寄 富士夫


この立派な石垣は、新たにつくられたものとばかり思っていましたが、これも運んだのですね。まだ道ができていなかった時代、石に番号を書いてヘリコプターで運び、ここで組み直したのだそうです。石段も昔風で急傾斜です。



  

(境内石碑より)
一、種別 重要文化財
一、名称 宝筐印塔
一、所在地 川原畑字西宮127
一、指定年月日 昭和53年2月28日 四号

川原湯諏訪神社の宝筐印塔

 この宝筐印塔は、供養塔として川原畑村中の人々によって文政12年(1829)年の10月に建立された安山岩による石像建造物である。
 信州高遠の石工(久保田賢次郎)等の手によって造られ町内只一基の塔として貴重なものである。
 高遠石工の作は細かい細工が特色とされているが、本塔はそうした技術が省略され屋蓋も普通木造建築の軒廻り様式を用いているのに一見自然石と思われる蓮花を型どった簡素な美を表現していて秀でた石匠の手によって造られたことがうかがえる。
  平成8年3月吉日  長野原町教育委員会


えーっと、この宝筐印塔は古い石材と新しい石材が混じっていますよね?でもそういうことは書いていませんね…



  


この後、八ッ場大橋を渡っていくらか周遊しましたが、日本酒の試飲が効いてきたのか、途中で眠くなりダウン。閉講行事が終わって浅間酒造さんがくれたお土産は、なんと前回の講座の写真がラベルになったカップ酒でした。しかもおやつまで。地域を大切にする心意気、しかと受け取りました。ありがとうございました!






人気ブログランキングへ にほんブログ村 環境ブログ エコツーリズムへ にほんブログ村 アウトドアブログ 野遊び・森遊びへ にほんブログ村 アウトドアブログ 自然体験へ