顕徳寺(東吾妻町)
高崎に行った帰りに、気になっていた顕徳寺に寄ってみました。
顕徳寺の本堂は、潜龍院の護摩堂が移築された(ものだったと)聞いています。近年再建されてしまったそうですが…
そもそも、潜龍院とは武田氏が織田徳川連合軍に攻められ敗色が濃くなった時期、天正十年(1582年)、真田昌幸によって武田勝頼を迎えるために岩櫃山直下南面の古谷付近に急遽御殿が建築されたのですが、それが叶わず勝頼は自刃してしまいました。その後、御殿は真田氏とその一族である祢津潜竜斎昌月という人物がもらい受け、巌下山潜竜院という山伏寺としたそうです。ここでは忍者が育成されていた…という話まであるんです!
祢津氏により代々院主は務められてられてきましたが、明治2年(1869年)に山伏寺廃止が政府により決定されて、さらに明治17年(1884年)には護摩堂が顕徳寺に移築されたのであります。
旧道145号線の原町下之町付近に参道があります。読めない門石の後ろに門柱があり、真言宗御室派(しんごんしゅうおむろは)密教山顕徳寺とあります。
常緑の境内木はシラカシでした。近所にシラカシの大木があるなんて。昨年はドングリが豊作だったようです。
参道のような民家の裏道のような…でも古そうな石仏・石像が並んでいます。
顕徳寺本堂です。かつて移築された潜龍院の護摩堂はすでに建て替えられているらしいのですが、なんとなーくは面影を残したりしていないのでしょうか?大きくはありませんが雰囲気はとても良いお寺です。真言宗御室派の寺院は皆、このような品格があるのでしょうか。
本堂にかかっている額だから本堂額かな? 顕徳寺の文字、格好いいですね。(ボロカメラのため?)オーブも写っているし…。
近辺の神社ではこの部分に鳳凰が彫られてある場合が多かったのですが、お寺だからなのか、違った彫刻でした。
こちらのお堂もいいですね。なんか座禅とか組みたい感じです。
この「北辰堂」は倉庫かな?確か斉藤さんが開放してカフェにでもすべきだと仰っていたような気が…
宝筐印塔(ほうきょういんとう)もあります。この梵字は大日如来かな?
とりあえず、顕徳寺に寄ったことは寄らせていただきました。今度は中央公民館で東吾妻町の文化財の本なんかを読んでからもう一度来ようと思います。