志賀高原がっちり下見、〔自然探勝コース〕蓮池〜〔信州大学志賀自然教育園〕〜木場の広場〜クロべの巨木まで



万座温泉に宿泊する修学旅行/教育旅行のお客様のコースについてご相談をお受けしました。
もちろん、草津白根山系でいくつものトレッキングコースは取れますが、学生団体受け入れの歴史がある、志賀高原のコースを無視することはできないでしょう。私も当分歩いていなかったので、目ぼしいコースを歩いてみることにしました。




  


まずは蓮池ほとりにある、志賀高原総合会館98へ。ここには、長野県志賀高原自然保護センターなどがあり、先に寄っておくのも良いと思います。




  


広くて綺麗な資料館です。志賀高原の岩石、地層、動物、植物、歴史など、大概の情報は手に入ります。




  


さて、歩きだそう…としたら、なんとスズメバチの巣が。気をつけて!




  


蓮池からスタートする「自然探勝コース」は、国道に沿って歩く割には原生林や多くの湖沼、湿原などを巡ることができ、志賀高原の自然を満喫するのに最適なコースです。アップダウンも少なく、山歩き初心者でも十分に歩くことができます。夏にはヒツジグサが湖を埋めつくします。




  


いったん、道路を横断します。




  


道路を渡ったあたりで、コースを見失いがちです。ここでは、古ぼけた看板を頼りに、藪化した道を進むのが正解です。




  


トンネルを抜けると、蓮池スキー場があります。このリフト乗り場付近も、夏はゼンテイカやヤナギランなどが群生して咲くポイントです。




  


リフト乗り場を過ぎて、左に上るのですが、本来の道は藪の中を通るのですが、謎の舗装路があり、そこを進んでみました。するとその先が二股になっていて、ここを右に進んでしまいました(本当は左に進むところです)。




  


その先でまた二股になります。ここも右に進んでしまい、どんどん登山道っぽく無くなっていきました。ゲレンデの中を歩きました。




  


そのうちリフトの上に出て、にっちもさっちも行かなくなります。ノスリのつがいが頭上を大きく旋回していました。




  


とりあえず今来た道を戻って、一番最後の二股を左に進んでみます。何らかのコースに出たようですが…




  


どうも、登山道ではありません。馬場のようでした。そして、砂利道を下っていくと、




  


ありゃま、国道に出たものの行き止まりです。仕方がないので、国道を少し戻ります。国道から見下ろすシラカバ林は綺麗でしたが…




  


あ、左下に通る予定だったはずの、「下ノ小池」の木道が見えます。本来の道はずいぶん手前にあったようです。この先でようやく信州大学志賀自然教育園の入口を見つけました。




  


偶然であった山歩きパートナー達とはここでお別れです。今日はこの「信州大学志賀自然教育園」をどっぷり歩きたいのです。下の広場から上ってゆきます。




  


初めのうちは歩きにくかった登山道も、次第に具合が良くなってきました。







おやおや、チョウセンゴヨウの実を食べ散らかしたのは誰かな?(答え:ニホンリス)それにしてもいくつも転がっていました。地上で食べたように見えます。捕食者にやられないのでしょうか?




  


クロベのまずまずの巨木が左側にあり、これを越えると上の広場。ここからが本格的に亜高山帯の針葉樹極相林となってきます。看板には、こう書いてあります。

上の広場(標高1,656m)から「おたの申す平」は、オオシラビソやコメツガ等の針葉樹にダケカンバなどの夏緑樹がまじった、亜高山帯針葉樹林の原生林でおおわれている。人の手がほとんど加わっていない原生林は、さまざまな野鳥やカモシカ、オコジョなど、たくさんの野生動物たちの本来の生活場所となっている。


  


淀股栄氏の解説とされる看板には、こう書いてあります。

≪志賀自然研究路について≫
このあたりは志賀山の噴火によってできたわが国でも他に類例がないといわれている渦巻状溶岩流の入口です。この溶岩流の内部は巨岩のつみかさなりで複雑に入りくんだ山ひだの間には小さな池や湿原も点在して美しい苔がじゅうたんを敷きつめたように全面をおおっています。きびしい自然の中にできた岩と苔と樹木とのみごとな造形や、静かで神秘的な原始林、その中をいろどるミズバショウシャクナゲ・イワカガミなどの群落…原始のままの自然が皆さんを待っています。


上の広場から、奥に入って行くのにあった二つのコースのうち、左のコースを選んで進みました。




  


すぐにある看板。風穴についての説明が書かれています。

風穴とヒカリゴケ
洞穴に近づいてみましょう。ヒヤリとして涼しいでしょう。風穴です。急斜面からこの平に溶岩がいくつもころげて重なり、すき間がつながっているからです。中で黄緑色のぶきみな光を出しているのはヒカリゴケです。


確かに、洞穴に近づいてみるとひんやりしていました。以前、鬼押出し園の入口付近の洞穴で万年氷を見たことがあります。そのような天然の冷凍庫と繋がっているのでしょう。




  


急な階段を上って、石の上のマツ。原生林ぽくなってきました。




  


歩道を歩き、杭看板を左に進みます。







ビューポイントに出ました。ここが「木場(こば)の広場」です。いい休憩場所です。




  


木場の広場の看板には、

志賀高原の生い立ち
東館山(標高2030m)から西館山・焼額山竜王山・五輪山、西は坊主山が見える。この尾根木場(標高1690m)の台地は、まわりの山々に取り囲まれた中央に噴出してきた、志賀火山のもっとも新しい溶岩流(5〜10万年前ごろ)の縁である。下に見える蓮池なども同じ志賀火山の溶岩台地だがその噴火の時代はずっと古く、溶岩流は、ふもとの上林温泉付近まで流れ下っている。遠くに妙高山黒姫山北アルプスも望まれる。


とあります。広場を出て、木場湿原へと向かいます。




  


ここが木場湿原。湿原と言っても、もうかなり遷移は進んでいて、笹が繁茂していました。




  


木場湿原の説明看板がありました。

木場の湿原
木場とは切り出した材木を集める所です。終戦直前に、やむなくこのあたりの原生林の一部が伐採されました。ここに集めた材はさらに尾根木場の広場に運び、谷に落としました。すべて、雪を利用しての運搬作業でした。


なるほど、戦時中はこの山奥からも木を伐り出したそうです。完全な原生林では無かったようです。







クロベの巨木。戦争前はもっと大きいものがざらにあったことでしょう。




  


このあたりはクロベがとても多くなります。とんでもない数の幹を延ばしているクロベがありますが、あれが名物クロベ巨木です。

クロベの巨木
尾根すじには、クロベ(別名ネズコ)の大木がたくさん生えている。クロベは、乾燥しやすい尾根や岩の上だけでなく、水分の多い池や湿原のまわりでも生育し、雪や風で折れたり倒れたりしても、枝はまた立ち上がって幹のように生長する。この巨大なクロベの株は、一本の木がまわりに多くの幹を分けながら伸びてきたと考えられる。根本の古株は、腐って空洞となっている。





これが、信州大学志賀自然教育園コースの目玉の一つ、クロベの巨木です。感覚的には樹齢500〜600年程度と感じましたが、このような実生更新では無く萌芽更新の形態では見当がつきません。1000年を越えているかも知れません。このやまの主であることには間違いないでしょう。畏敬の意志を表して挨拶し、先に進みました。


この続き (〔信州大学志賀自然教育園〕クロベの巨木〜展望台〜ふたご岩〜岩上の木道〜まが玉の丘〜たこ松〜長池)
http://d.hatena.ne.jp/akagi39/20120926/1354966308






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