石川原遺跡からみる臥龍岩と立馬岩帯(長野原町川原湯上湯原)
吾妻渓谷の長野原町に建設される八ッ場(やんば)ダムに沈むエリアで、着々と発掘作業がおこなられています。八ッ場ダム調査事務所から東吾妻町方面へ車で少し走り、一つ目の橋を対岸に渡ります。この橋の上からは、丸岩がよく見えます。
橋を渡った辺りにあるのが、上湯原という集落で、ほぼ、移転は終わっています。ここは「石川原遺跡」として、発掘調査が行われています。そこから、対岸の山を見てみると、
こんな風景です。手前にあるのは「不動の湯」という共同浴場です。民家の移転はほとんど済んでいますので、もう使われていないのかもしれません。
ここからは二つの岩脈がよく見えています。
右手前に見える岩脈は国指定天然記念物・臥龍岩の上あたり。なんと臥龍岩は、こんなに上まで伸びていたのです。樹木がまだ展葉する前、今の時期だからこそ、木々の隙間から地面が見え、浮き出てくる光景です。
臥龍岩は地中において岩の割れ目にマグマが貫入・固結してできたものと考えられています。看板には230万年前と書いていますが、浦野さんは220万年前と仰っています。これが沈むのはもったいないと思っていたのですが、あれだけ上に伸びているのなら、すこしは湖面から覗くのでしょうか?
折角なので昇龍岩も拝見。この看板がわからず、初めての時は苦労しました。ダムに沈む場所であり、駐車場も近くにない、崖崩れ防止のためにコンクリート擁壁工事が行われているし、見つけにくい…色々とあって、観光客に特に目立つようにはして来なかったのでしょうね。
昇龍岩の説明看板には、「角材を積み重ねたような形が龍の腹に似ているのでこの名前が付いた」とあります。私は、上部に左を向いた龍がいると思っていたのですが、実は上を向いていて、顎下の部分が見えているってことなのかな?
先ほどの、上原湯のあたりに戻ってみます。不動の滝へ行く道の左に、集会所のようなものがあり、脇に史蹟が置いてあります。
この道祖神は長野原町教委発行の『長野原町の道祖神』(1985年刊)によれば、宝暦6(1756)年のものだそうです。肩に回した手の指がいい感じですね。女性は困っているような、恥らっているような、微笑んでいるような、微妙な表情です。二人の仲は、良さそうですね。
二社の石祠は何を祀ってあるのかわかりませんが、下の方には「男女子供之守神三」と彫ってあります。道しるべは、この覆った布の中にあるのでしょうか?移動したのかな? それにしても、ここに「左大戸 右草津」の道しるべがあったということは、吾妻川右岸を通っていく、大戸への道があったということでしょうか。いや、まさか…。では、この道は吾妻川を渡って道陸神峠越え道を通り、松谷に出たのでしょうか。須賀尾を通る道は、もっと上流、草津と同じ方向のはずですし…謎です。
左奥に見えるのは立馬岩帯。これは新しい国道からもよく見える岩です。230万年前にできたそうです。あの尾根は王城山につながっていて、その道は空通と呼ばれ、さらに奥にある頂は天上山(或いは殿上山)と言い、そのまま尾根を伝っていくと王城山に行けるのです。どうですか、行ってみたくなりませんか?
私は、どうにも呼ばれているような気がしてなりません…
地元住民のみが利用する共同浴場「不動の湯」。泉質は「含硫黄−カルシウム・マグネシウム−塩化物・硫酸塩温泉」で、源泉は78.9℃、利用場所46.7℃だそうです。硫黄の匂いがぷ〜んとします。温泉成分の種類も多い様に見えました。しかし、かなり熱いお風呂なんですね。川原湯岩脈の上で、岩石のスープのような温泉を46.7℃のお湯で入る…これは効きそうです。地元の人は草津や万座の温泉に行く必要は無さそうですね!