草津ロイヤルコースで森林セラピー&大谷地の睡蓮



ホテルクアビオ様よりネイチャーウオッチングのご依頼をいただきました。


草津温泉 ホテルクアビオ http://kurbio.com/


お客様は4名様です。


草津温泉ロイヤルコースと大谷地池でネイチャーセラピー
http://ecotourism.or.jp/shinrinyoku/kusatsu01/index.html







そよ風の広場でゆっくりしました。ボーっとしていると、やがて森のリズムとシンクロしていきます。心身に森の揺らぎが浸み渡って行きます。







時間があるそうなので、大谷地にもご案内しました。







もうお盆過ぎだというのに、スイレン(睡蓮)の花がまだ咲いていました。




「蓮は泥より出でて泥に染まらず」



中国・北宋時代の儒学者である周敦頤(しゅう とんい/1017−1073年)氏の述べた「愛蓮説」に出てくる言葉です。


「愛蓮説」は、蓮の花が泥から出て泥に染まらない高潔さをたたえながら、華美なものばかりを賛美する当時の世相を風刺したものなのだそうです。



愛蓮説 (蓮を愛するの説) 周敦頤引用元


水陸草木之花,可愛者甚蕃。
水陸草木の花、愛すべき者甚だ蕃(おお)し。
山海の草木を愛する人は甚だ多く、


陶淵明独愛菊;
晋の陶淵明、独り菊を愛す。
晋の陶淵明は菊を愛した。


自李唐来,世人盛愛牡丹;
李唐自(よ)りこのかた、世人甚だ牡丹を愛す。
唐代以降、世の人は甚だ牡丹を愛してきた。


予独愛蓮之出淤泥而不染,濯清涟而不妖,
予独り蓮の汚泥より出でて染まらず、清漣に濯(あら)はれて妖ならず、
私は蓮の泥から出て泥に染まらず、清らかに水面に波紋を描いて俗に流されず、


中通外直,不蔓不枝,香遠益清,
中通じ外直く、蔓(まん)あらず枝あらず、香遠くして益々清く、
茎は中が通り外は真っ直ぐで、蔓(つる)も枝もなく、遠くまで清らかな香りを漂わせ、


亭亭浄植,
亭亭として浄(きよ)く植(た)ち、
真っ直ぐに清らかに立ち、


可遠観而不可亵翫焉。
遠観すべくして褻翫(せつがん)すべからざるを愛す。
ただ遠くから眺めて、穢すことのできない(そんな君子のように高潔な)ところを愛する。


予謂菊,花之隐逸者也;
予謂へらく、菊は花の隠逸なる者なり。
私は思う。菊は(俗世間から逃れる)隠逸の花であり、


牡丹,花之富貴者也;
牡丹は花の富貴なる者なり。
牡丹は富貴の花であり、


蓮,花之君子者也。
蓮は花の君子なる者なりと。
蓮は君子の花である、と。


噫!菊之爱,陶後鮮有聞;
噫(ああ)、菊を之れ愛するは、陶の後、聞く有ること鮮(すくな)し。
ああ、菊を愛する人は、陶淵明の後、ほとんどいなくなってしまった。


蓮之愛,同予者何人;
蓮を之れ愛するは、予に同じき者何人ぞ。
私のように蓮を愛する人はどれだけいるだろうか?


牡丹之愛,宜乎衆矣。
牡丹を之れ愛するは、宣(むべ)なるかな衆(おお)きこと。
牡丹を愛する人はこれほど多いというのに。


私はてっきり、
蓮の泥から出て泥に染まらず…というのは仏法用語かと思っていました。儒教者の言葉だったのですね。


それでも、調べると法華経の中に、同じような意味の言葉がありました。


不染世間法 如蓮華在水 (ふぜんせけんぼう にょれんげざいすい)
世間の法に染まらざること、 蓮華の水に在るが如し


この教えは、困難・苦悩・誘惑に満ちた社会の中でもそれに染まったりせず、濁水泥土から凛として美しい花を咲かせる蓮華のように、心清らかに生きましょう…という意味です。


でも、それだけでは無かったんです。悪しきを排除するだけでは解決しません。実際には蓮の華は、濁った泥水の中にあってこそ、それらを栄養にして清らかで見事な花を咲かせるように、濁水泥土にも感謝すべきなんです。


また、泥と蓮華は常に共に在るものです。泥の中に既に蓮華の種子が秘し沈められているからこそ、蓮は泥の中より生じます。


しかし、これらは全て他人さまの言葉。私がそこまでの悟りを得るためには、いったい何百年必要なことでしょうか…。


草津温泉ロイヤルコースと大谷地池でネイチャーセラピー
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