東吾妻町にサクラを求めて



先日、東吾妻町をまわって見たばかりなのですが、インターネットで調べ物をしているうちに、東吾妻町には結構、サクラの名所があることが解りました。


身体が活動を求め始める4月こそ、何かエコツアー商品を考えたいと思っています。今年はサクラの開花が特別早いので、大急ぎで町内をまわって参りました。




  


旧岩島第二小学校の隣りに堂々と立っているのが、東吾妻町天然記念物の おまき桜 です。高台から生えているので、とても高いところに花をつけています(今年はもう葉桜でした)。






東吾妻町天然記念物 おまき桜
古来から麻づくりの盛んであったこの里の人々は、桜が咲く頃に種を蒔くと立派な麻が育つことを知り、いつしか「おまき桜」と呼び、伝え親しんでいました。
岩島は、気候も温順で風水害も少なく、土質も麻の栽培に適していました。古代から栽培が盛んになり、麻の特産地として全国一に品質を誇っていました。その製品は金白色に輝き、高級服地や弓の弦などの原料として出荷され、里の人々の暮らしを潤していました。
時代は移り、この地に小学校が開校されると、毎年入学してくる子供たちがすこやかに育ってくれることを願っているかのように、美しい花を咲かせてくれました。
春、暖かくなると、この里ではどの桜よりも早く咲き、ふっくらと子供達を温かく包んでくれました。
大空高くそびえる「おまき桜」が、いつまでも里の平穏な暮らしを見守ってくれることでしょう。

  • 樹種名 エドヒガンザクラ
  • 樹 齢 250年(推定)
  • 樹 高 22m
  • 根元周 6m25cm
  • 枝張り 23m

平成13年8月31日 町天然記念物指定





桜の樹は巨木になると幹が崩れてくるものですが、このおまき桜はとてもしっかりしています。力強いです。さすがは岩島を見守ってきたサクラです。







ここから、道を間違え田中から榛名湖の方に行きかけてしまいました。田中の上の橋あたりからは、岩櫃山と麓の集落がバランスよく見えます。







かつて宿場町として栄えた大戸にあるのが、大運寺 です。







仁王門とシダレザクラです。

一.本尊 阿弥陀
一.由緒
 興国年間(1340〜1346)、宝誉上人、京都より恵親僧都の親作なる宝冠の、阿弥陀佛像を負い来たり、信者を勧奨し堂宇を大戸村寺原に創立す。
是れ、当山の開山なり。
天正年間(1573〜1592)、現在の地に移る。
当時既に、大戸・本宿・萩生の三村は、挙げて皆檀徒なり。
殊に大戸の加部安左衛門なる者、上州第一の富豪たるにより、寺観を荘厳にせり。
 平成二年二月、不慮の火災により平成六年再建す。
世々浄土宗にして、開山より現在に至る。
六百五十余年に及べり。

文化財
 本尊            町指定重要文化財
 加部弌法翁昭先碑      町指定史跡
 加部喜翁墓表 河 三亥書  町指定史跡
 加部家墓地
 仙人窟 (ここより中之条方面へ四○○米位)にあり

 坂上史蹟保存会
 大運寺淨友会

   




独特な雰囲気を放つ大運寺のシダレザクラ。高さは約10m。この中に入って一杯やりたいですね。

大運寺には上州一の富豪、加部安左衛門の歴代の墓があります。7代目安左衛門は大運寺の外観を荘厳にしたそうです。







隣接しているのが、旧大戸小学校 。ここの正門にも、見事なエドヒガンザクラがあります。




  


しかし、その大戸小学校校舎には「婦人服は東京スタイル 小川繊維吾妻工場」の看板が。そして窓ガラスが割れたままになっているところを見ると、廃業してからもしばらく経っていることが解ります。




  


大戸の関所跡を通過します。以下は大戸宿のパンフレットから引用。

信州街道は高崎で中山道より分岐し室田、大戸、須賀尾、鎌原、大笹、福島(須坂市)と至る街道で、草津温泉をはじめとする湯治客、善光寺参り、そして江戸と信濃を結ぶ最短距離ゆえの荷物や産物輸送路として、中山道を凌ぐほどの活気を呈していたとされています。文化5年(1808年)には、71軒の宿屋があったそうです。


上州吾妻郡大戸村には、加部安左衛門を名乗る上州一の分限者がいました。皆から加部安と呼ばれて親しまれていました。
初代は富沢掃部といって、戦国時代に生きた武士だったようで、三代目から加部姓を名乗りました。三代目から五代目までは八右衛門を名乗っていて、六代目から安左衛門を名乗っています。
七代目の加部安が立派な人だったようで、酒造業を始めて、麻の仲買いなどもして財産を蓄えます。
八代目も立派な人で、父親の家業を継いで財産を増やし、巨万の富を蓄えます。天明三年(1783年)に浅間山が大噴火を起こして鎌原村をはじめとして吾妻郡の村々は壊滅状態となり、避難民が溢れます。八代目は財産を惜しまず、避難民の救済に当たります。翌年の正月、その功績によって幕府より帯刀を許されます。天明六年の大洪水の時も、避難民たちを救っています。
九代目は婿養子で、松井田の分限者、儘田又兵衛の次男でした。
十代目は八代目の長男で、学問を好みましたが、それ以上に遊興を好み、江戸に出ては吉原遊郭で派手に豪遊していました。おかげで、父親の残した財産も使い果たしてしまいました。晩年は江戸で暮らしていたようです。
十一代目は江戸で生まれて、江戸で育ちますが、郷里に戻って、家業の建て直しを図ります。この十一代目は侠客の国定忠治とも仲が良く、忠治が処刑される時、最期に望んだのが、加部安が造った銘酒「牡丹」でした。
十二代目は琴堂と号して、俳譜に熱中します。明治の時代になって、横浜に進出して大きな店を出し、貿易に手を染めますが、どうやら失敗したようです。現在、大戸の関所跡の近くに、加部安の屋敷跡がひっそりと残っています。


この先、1キロほど走ると 忠治地蔵の桜 があります。




  


ここは国定忠治が磔の刑にされた場所だそうです。忠治は博打うちとはいえ、天保の大飢饉では農民の救済に励んだりと、ある種の「英雄」でした。その「英雄」の最後を見とどけたいと思ったのか、周囲には1500人もの農民が集まりました。はるか遠方からやってきた者もいたようです。四方を竹矢来で囲んだ処刑場には、忠治奪還を恐れた役人300人が槍や刀を手にして警戒にあたりました。目隠しを拒否した中風病みの忠治は、十五槍刺されて絶命。その後、二夜三日間晒し首とされました。享年41歳。土地の人々は忠治の冥福を弔って墓碑と地蔵尊を建立したそうです。


忠治は特に赤城山麓で20歳代に名を馳せた大親分です。そして赤木姓となり、42歳になった私が今ようやく忠治の墓参りに来ることになったのは、偶然とは思えない導きを感じます。







道路の上から見ても解りませんでしたが、下から見るとこの桜もドでかいエドヒガンザクラです。







その後、道路工事のせいでかなり迷ってたどり着いたのが 三福寺のしだれ桜 です。


昭和59年に建てた看板に「222年前にこの寺を建てた時の記念に植えた」とありますから、251年前位の話です。




  


4月下旬に咲くという情報でしたが、今年の陽気では今が旬でした。かなりの古木で弱っています。あと何年花を咲かせてくれるか…。健康そうに見える不定根が出ていますから、自らの更新がうまく成功してくれればいいのですが。洞に見られた小動物の糞のようなものは一体なんだったのだろう?




  


郷原に向かう際中、岩鼻と呼ばれるところでしょうか。まるで岩櫃山の絶壁を彷彿させる岩塊がありました。岩櫃山と同じような地形の成因だったのではないかと思ってしまいます。郷原に向かう途中の岩櫃山もなかなか美しいです。







このサクラは人家のシダレサクラを勝手に撮らせていただいたもの。春の岩櫃山をバックに桜の写真なんて素敵でしょ。







来ました。本日、最も太い桜、大隅 です。
高さ18m、幹回り7.4m、根回りは10.9mもあるエドヒガンザクラ。







人家があって撮りにくいですが、裏手の畑にちょっとお邪魔して、全貌を撮ってみました。







岩櫃山直下の大ザクラです。あと3日早く来るべきでした。来年は満開を目指します。







そして此処こそがあがつまの知られざる桜の名風景、應永寺 です。
菜の花とサクラなんて、飯山市の菜の花公園以来です。このコントラスト、最高です。スイセンよりも断然、菜の花のほうがいいに決まっています。







本堂のサクラも上品な枝ぶりです。







ここも、あと3日早ければ最高でしたね。




  


さて、サクラはもういいとして、すぐ近くにある、善導寺に行ってみました。善導寺は前回、箱島湧水を訪問した時に、伝説で「円光上人」という僧が出てきたお寺です。しかし、そんな情報はみじんもありません。檀家をいっぱい持つ、大きなお寺だということは解りました。


さて、吾妻太郎一族諸霊追善碑というものがあり、とりあえず写真を撮っておきましたが、 帰ってからインターネットで検索してみると、ゾクッとしてしまう怖い記事を見つけました。この内容は書くと夜に一人でトイレにも行けなくなってしまうので、各自で読んでみてください。


善導寺の怪火
http://www.geocities.jp/nachtmahr_3rd/F-tales/zendouji.html




  


さて、ランチは中之条町ふるさと交流センターtsumujiのつむじカフェで。お冷を注いでくれたウオーターサーバーにはレモンが入っています。スッキリ(するような気が)します。




  


私たちは豆入りキーマカレーを注文。身体に良さそうなランチです。


この春から中之条町観光協会がtsumijiの中に移動しているので、中之条町のサクラ名所も聞いてみました…が、先日行った林昌寺が一押しだとの事で、他には巨木系は無さそうです。もう一本巨木を紹介してもらい、行ってみました。伊勢宮にあります。






これが、お神明さんのサクラ です。

目通り約4.95、樹高約14。伊勢町の伊勢宮の鳥居をくぐると、正面に文化・文政期(1804年〜1829年)の画家小板橋吾阜(ごふ)の絵碑があり、桜はこの碑の西側にある民家に寄り添うように立っています。樹勢は旺盛で、桜の木としては珍しいものです。


とのことで、確かに立派な巨木だったのですが、完全に人家の敷地内で、立ち入りはとてもダメ。
でも、これで東吾妻町中之条町のサクラ見所はマスターしました。来年の企画を楽しみにしてお待ちください。






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