黒岩時子さんとクロコ



数年前にクロコプロジェクトでお世話になった独立行政法人種苗管理センターの三澤様から紹介され、(財)いも類振興会様発行の「ジャガイモ事典」に伝統的いも加工品“クロコ”に関しての紹介文を執筆することになった。


初め、どなたか実際の生産者の方に…と思ったのだが、すでに80才未満でクロコを作っている人はほとんど皆無状態。土屋けさよさんにお願いしようと思っていた年末、何と土屋さんは亡くなってしまわれた。これは、自分でまた聞き込み取材して、書けってことなんだろうな…なんて思っていたはずなのに、


げ、もう締め切りまであと4日!


さて、恩のある三澤さんに恥をかかせてはいけない、と、昨日から大慌てで書きだした。嬬恋村誌を読み、松島榮治先生のシリーズ「嬬恋の自然と文化」読み、自分たちの行ったクロコプロジェクトを検証してみたが、何かおかしい。つじつまが合わない。


やはり、もう一度、クロコの巨匠に会わなくては。と、いうことで大前のクロコの巨匠、黒岩時子さんのところにインタビューしに行った。



 


一番気になっていたことは、私たちが実施したクロコプロジェクトでは、初冬にすりおろした芋を、袋に詰めてぎゅうぎゅう絞った。
http://interpreter.jp/kuroko/2007/20071121.html


しかし、その年に黒岩時子さんにインタビューした時には、絞る工程があったとは聞いていない。あんなに大掛かりな作業なのに、工程として見なしていないわけがない。


嬬恋村誌に紹介されている、田代の松本相秀氏の『いもの原由記』には、


“夫より明治二巳年不作にて、 粟 稗 蕎麦実法らさるに芋大に当り 当村□に通し 右巳年より芋志ほりかす一切捨ず喰事に用ひ候又は売候事に相成今は少しも捨る者なく食に用る事と相成候”


とあり、松島榮治先生もシリーズ「嬬恋の自然と文化」郷土料理“クロコ”の中で、この文書を引用している。


片栗粉を取るために、本当に芋を絞ったのか?


しかし、時子さんは絞ったりしていないそうだ。


実際、かつての製法では片栗粉の商品価値を上げるために、純度を高くする必要があり、絞りの作業も行っていたかもしれないが、現在83歳の時子さんたちが子供の頃から初冬には絞ったことはないとなると、すでにこの世に生きていない人達の製法を紹介するわけにはいかない。現在、伝承されている製法を紹介することにしよう。


その他には、

  • 擦ったいもが樽の中で四層に分かれて沈殿した時、クロコの層とシロコの層にある中間の層は、そのまま別の樽に取り分け、いくさや味噌、ネギなどを混ぜて、焙烙の上で煎餅焼きにして食べた。
  • 芋擦りおろし作業は12月初めに行っていた。寒い方がシロコとクロコがうまく分離した。
  • クロコのアク抜きは、3月のお彼岸過ぎに実施していた。
  • 樽にクロコと水を入れて撹拌し、アクを取る作業は1日2回で一週間〜10日間位かかった。
  • 底に沈殿したクロコはすま袋と呼んでいた綿袋に詰めて絞った。
  • 握ったクロコは天日干しにして一週間位かけて乾かせる。
  • 現在、70歳代でもクロコを作れる人はかなり少なくなっている。


などの話をお聞かせくださった。今日はお仲間も見えていて、話が膨らんで良かった。



 



かつては焙烙で表面を焼き、囲炉裏の灰の中で焼き上げたクロコも、今は油で揚げて食べている。味噌とネギを混ぜこねるのは健在。クロコは熱いうちが命、シャキシャキした歯ごたえを味噌とネギの香ばしさが包み込み、クロコの味を引き立てる… んー?


クロコの味って?


クロコの味がどうしても思い出せない。時子さんにお願いして、乾燥クロコを出してもらい、そのまま食べてみた。


うーん、この味は…


はっきり言って、ほとんど味はない。かすかに土の味、繊維質の味、粉の味、それとほのかな芋の発酵臭がある。これがクロコの味。

一緒に試食なされた時子さんのお仲間は、「これは、天日干しした時の太陽の味だよ」と仰った。


帰りがけに、クロコを冬の間、外に放置してある様子を見た。ビニール袋の口は縛られている。かつては微生物を繁殖させ発酵を進めるためにムシロで包み混んだはずだが、今はビニール袋となり、しかも通気性は確保されていない。しかし、味は昔とほとんど変わらないという。不思議なもんだ。


今回の執筆内容は、著作権は(財)いも類振興会に帰属してしまうらしいのでホームページ上に載せるのはひとまず止めておく。知りたい人は2012年3月発売予定の『ジャガイモ事典』をお読みになってください。