嬬恋村ウオーキングマップ考察 西窪、門貝、干俣、田代大山祇神社、鹿沢湯尻川歩道





嬬恋村ウオーキングマップ、コースを検討中。今日は西窪、門貝、干俣、田代大山祇神社、鹿沢湯尻川歩道…などの素材を再調査した。


 


おや、西窪神社も石の鳥居だったのか。前回、田代吾妻山神社の鳥居だけが嬬恋村内で石の鳥居と書いたが訂正します。ここも、社殿に行くには階段を上がる。集落を見渡せる高い場所に神様はおいでなのだ。
ここから車で数分上ると、西窪城址跡があるらしいので行ってみた。


 


嬬恋かるた そ

「外堀に 名残を残す 西窪城址


と嬬恋かるたの立て札がある…が、周りを見渡してみて、どうも外堀らしきものが見当たらない。松島先生が書いていたように、西窪城はもう少し高い位置にあったのかもしれない。また、ここに観光者を連れてきてもイメージしようがないので、コース内に入れるのは止めておこう。

※参考 松島榮治シリーズ「嬬恋村の自然と文化」(九十三) 西窪城に想う


 


西窪から鳴尾に向けて進むと門貝あたりで人だまりが。その中心には雄のツキノワグマが。なかなかでかい。今年は嬬恋村では頻繁に出没したので、この秋は結構間引かれるんじゃないかな。打ち取った後、のどをかき切るのか。猟にも興味があるのだが、気の弱い私にはこういうことはできないかもしれないな。


 


干俣で見せたいものに、円通殿がある。方形造りの小型仏寺建築で、小ぢんまりしているが雰囲気の良い建物だ。嬬恋村名刹・常林寺の和尚が閉居した庵が隣接していたそうだ。


 


円通殿の材は全てセン(ハリギリ)であると聞かされていた。確かに縁側部の床材は環孔材だが、上がる階段部分は早材・晩材の境がはっきり出ているように見える。これは恐らく針葉樹。どうやら、全てがハリギリという訳ではなさそうだ。


 


円通殿の柱、厚く塗料が塗られている部分もチェック。うん、ここは環孔材の孔が見えている。きっとハリギリだ。いずれにせよ、当時はその場所にあった樹木で建築物を建てただろうから、ここにハリギリの大木があったことは間違いないだろう。


 


また、干俣神社は、源頼朝将軍様が陣馬で蹴鞠をして遊んだ場所に、将軍様が帰った後に建てたらしく、古くは蹴鞠神社と言ったらしい。

上信高原民話集 蹴鞠神社と音無川

旅先で聞く思いがけない伝説としてはいい。サッカーの神様として、広めることができないだろうか?

境内のカラマツ生立木にヤマブシタケがついていた。立ち木をも枯らす白色腐朽菌だが、あれ、針葉樹にもついたっけかな?


 


田代集落もう一度チェックしていると、大山祇神社があった。以前は放任状態だったものを、近年になってきれいにしたらしい。田代村の誕生と同時に創建されていたのではないか…とのこと。


 


午後からは、鹿沢温泉に行って、前からある湯尻川歩道を歩いてみた。この歩道は緩やかな湯尻川沿いに沿って作られた歩道なので、見方によってはハイキングではなく、ウオーキングコースとも言える。歩きやすい道が続く。


 


玉だれの滝に立ち寄り、木賊橋(とくさばし)を経て旧鹿沢温泉へ。帰り道は同じ自然歩道を歩くもよし、気分を変えて県道(94号線)を歩くのも良いでしょう。