嬬恋村ウオーキングマップ考察 直路、五文路、細原、大笹神社、駅の上、田代吾妻山神社



嬬恋村ウオーキングマップ、コースを検討中。今日は、直路、五文路、細原、大笹神社、駅の上、田代吾妻山神社…などの素材を再調査している。


 


JR吾妻線大前駅の近くに嬬恋村農村環境改善センターというのがあり、この横から、軽トラでも上れないほど細い道路が続いている。これが、直路(すぐじ)と呼ばれるもので、大前から三原を経由しないで直ぐに鎌原へ行ける昔からの道、いわゆる“むかしみち”である。1783年浅間焼けの際に、被災著しい鎌原村に食糧・物資を運んだ道である。


ジグザクの道を登りきると直線的な道になる。森を抜ける前に、どうしても確認したい場所がある。


 


右の森に入ると、炭焼き釜の跡があった。
そして、この崖が見たかった場所。高羽根沢に露出する湖底堆積物層。この地層を見られるのかな?と期待していたのだ。しかし残念。崖の自分側(手前側)はうまく見れない。早川由紀夫先生の地質図ポイント13は、載せることをやめることにした。


 


鎌原城址と信州街道の間には、物見台が設けられていたという。その跡が見られるというので、鬼押しハイウェーの三原に出る手前のカーブに無理やり車を止め、左の藪に入ってみる。
するとすぐに、不自然な高まりが見える。これを登ってみると、


 


少し広い場所に出た。恐らく物見台は、この辺にあったのだろう。尾根状の地形は土塁でも摘んだのだろうか。
とても狭いところに生えた立派なカエデの木。まだまだ頑張って、たくさんの子供たちを残しておくれ。



ここは細原。そしてこの場所は早川由紀夫氏地図のポイント37である。なんと、ここには23万年前の土石なだれが露出しているという。確かに、これまで浅間北麓の地表に出ていた岩と全く雰囲気が違う。もっと密というか、固そうというか…とにかく、見てもらえばわかります。


 


そこから五文路に向かって少し歩いたところ、草原の中にポツンと一つ、大岩がある。距離があったが、先ほどのとても古い岩に似ている。これも、浅間山が形成される以前の、別の火山の岩なのではないだろうか。よく、こんなところにポツンと現れたもんだ。どうやって運ばれてきたのか?


 


細原地区は、細原開拓という位だから、近年になって開拓された場所だとばかり思っていたが、神社は割かし立派で、しかも唐沢雅夫先生の解説文によると、細原天満神は350年以上前から奉られているらしいから驚いた。


 


そして、大笹神社に。嬬恋村の神社の中では、この大笹神社が最も荘厳に見える。やっぱり参道の石畳と燈篭の雰囲気だろうか。社殿も一回り大きく見える。


 


大笹神社には、

「雲雀啼く なかの拍子や、きじの声 ばせを翁」

と、芭蕉の句碑がある。しかし、これは芭蕉がここで詠んだ…ということではない。芭蕉群馬県内を来遊したことはなかった。これは、1853年に草津坂上竹烟という人が、芭蕉の俳句の作り方、「蕉風(しょうふう)」を正しく伝えようとして建立したものらしい。嬬恋村指定重要文化財


 


大前神社は、国道沿いにあり、ここも駐車場が無いので大変に行きずらいところ。嬬恋村役場か大前公民館に車を止めて歩く他ない。細い道の先にある長い階段を登らなくては鳥居にもたどり着けないので、案内看板がないと行けないかもしれない。


 


そして芦生田から鎌原の田んぼに向かうルートで、いい道を教えてもらった。JR万座鹿沢口駅の上、笹平の崖の上に出る道だ。


 


ここから見下ろす三原地区の風景はなかなかのもの。ぜひ人に紹介したい。


 


最後に田代に行って、吾妻山神社の様子を見たところでタイムリミット。この神社も割としっかりしている。鳥居がコンクリートでできているのは村内で唯一かも。最近、松島榮治先生が神奈川県から来た調査団の方をご案内し、説明をされていたのを見た。あれはどうなんだろう、やっぱり日本武尊のことを話されていたのだろうか?