上州三原散策ツアー



さて、今日は嬬恋村インタープリター会の総会の日なのだが、せっかくなので午前中に観察会を行うことにした。私が集落としてのインタープリテーションをし、安田滋さんが建築物の案内をしていただけることになった。地元の宮崎秀昌さんも参加し、ご助言をいただきながらのインタープリテーション、スタート。

駅を出て草軽電鉄の話や少し古い写真をお見せした後、かつての鉄橋跡へ。

今日は安田さんがいろいろな資料を用意してくださっていた。ボランティアだというのに大変ありがたい。しかし安田さんも三原の路地裏まで入ってじっくり聞き込み調査はやってこなかったらしく、三原で最も古い阿弥陀堂(現在は車庫として利用されている)を見て感激してくださったようだ。解説にも熱が入っていた。


  


阿弥陀堂の中を覗くと、梁に雲の彫刻が。さすがは仏様のおわす所だ。

安田さんによると木造建築物は100年で3mm風化するそうだ。だからこの建物は100年は経っている。そんなに昔からこんな細い木の釘でもたせているの?木って本当に丈夫だよなあ。

そして嬬恋村初代村長の篠原仙吉さんの旧家を訪問。…ここで、私が以前とあるインタープリターに教えてもらった「ウダツ」という言葉は、間違っていると指摘された。いやあ、参ったなあ。やはり先輩が言ったことでも鵜呑みにしちゃ駄目だ。これからはきちんと調べよう。


  


そして次に移築された阿弥陀堂へ。ここは、廃仏毀釈で打ち壊されたためか傷みが激しい。安田さんは初めて見る建物なのによくいろいろと解説が出てくるな。組ませていただいて良かった。

この坂は上りはとてもきつかったのだが、ふと振り返ると、とても感じが良かったので思わずパシャリ。

そしてもう一人の名インタープリター、剣持豊彦さんをここで紹介。三原ジオラマと共に現れた。


  


剣持さんは話し出したらまず止まらない。要するに、それだけ多くのメッセージを持っているということだ。

南木佳士(霜田哲夫)さんとの幼なじみの話や小説の話、鬼押出し・鎌原集落紙芝居のお話、愛妻神社(三原神社)と日本武尊のお話、絵馬を作ったお話…。

これだけ、地元を愛しているインタープリターは滅多にいない。どうしてこの人がこの三原集落でインタープリテーションで活躍するシステムを作って来れなかったのだろう。本当に残念でならない。


  


手作りの絵馬もどうやら売れたみたい。ああ、良かった良かった。

さて、この辺まで少しゆっくりしすぎた。現在の阿弥陀堂では湯窪と薬師如来の話のほか簡単な説明をし、そそくさと進んだ。ここで篠笛を吹こうかとも思い準備をしてきたのだが、またの機会にしよう。

黒岩憲司先生の旧家はさすがは元街道一の大きな商店だっただけあって、美しい扇子型化粧彫り頬杖がある。ここでは安田さんは信州型と上州型を説明していた。


  


中居屋旅館跡では、下の食堂との関係や、電話があった話、基礎が玉石であること・・・などを話していたようだ。

ここで、もう一人のインタープリターを紹介。山口岩美さんは中居屋重兵衛の研究では当会で右に出る者はいない。ここで、中居屋重兵衛と養蚕・生糸の関係、近代日本経済の基礎を作った話、幕末の不穏な噂話の真相は…!?など、さまざまなお話を聞かせてくださった。今回は時間がなかったので、今度は何か資料を用意していただき、じっくりとお話を聞かせていただきたいものだ。