岩櫃城址探勝エコツアー(北側遺構)のコース下見




11月1日(土)〜2日(日)に東吾妻町にて、岩櫃城、歴史、武士、忍者、戦国時代、真田氏…などをテーマにした 岩櫃城 忍びの乱」http://www.shinobinoran.com/) という複合イベントを行います。


今日は、「 戦国時代の城址をめぐるエコツアー:岩櫃城址(北側遺構)


の、下見をしてきました。





  


今回のルートは岩櫃城内ともいえるホテル、コニファーいわびつを発着にします。吊り橋をわたって、



    


キャンプ場を通り抜けます。突き当たりを左に進むと本丸方向ですが、少し右に寄り道します。



    


ここに、竪堀が一つあります。竪堀の上に道路が建設されていて、左右で確認できます。



      


その後は、北浦林道を上ります。途中、林道建設による破壊されたいくつかの竪堀が観察されます。





林道上部にある二重堀切。ここから南下していきます。



    


最初は堀の中を歩き、途中から作業道に入ります。モミの大木が心地よいです。



  


そして、土中から水が湧き出るところがあります。昔は水の手の一つとして使われていたのかもしれません。



  


このあたりの作業道は、あまり整備はされていないものの、広くて歩きやすいです。



    


左下の「志摩小屋」と呼ばれているところに降り進みます。小川と小川に挟まれた一段高い場所があり、そこは左右、二重掘になっています。何か重要な場所だったことが感じられます。



    


小川沿いに下に降ります。曲輪は段々畑のように下へ続いています。それにしても構造物が大きいこと。





広い曲輪が何段も続いた先にあるのが「志摩小屋跡」。禰津志摩守幸直の屋敷があったとされています。この下は切岸が深くありません。


  



「志摩小屋虎口」、沢への二重掘など、この場所は見所があります。



    


志摩小屋上部の曲輪群は、水の手に隣接していることから、有識者の方が、兵を待機していた場所では?と仰っていました。作業道まで戻って、西へ進むと岩櫃山沢通り登山道とぶつかります。





この、沢通りの沢こそが岩櫃城の「水の手」で、人的に石が組まれていることがわかります。もちろんこの石組みは戦国時代以前のもの。貞和5年(1349年)、岩櫃城吾妻太郎行盛は碓氷の豪族里見氏の攻撃を受け、里見軍は善導寺住職に水道を案内させこれを断ち、さしもの岩櫃城も飲み水に窮し落城した…という伝説がありますが、それがこの沢だったのだとしたら、面白い話ですね。



    


ここを道なりに行くと、平沢(一本松)登山口に行ってしまいますが、城址探検はこの右側へと登ります。竪堀と切岸のオンパレードです。





巨岩が乱立する急崖地形に、堀や曲輪を縦横に張り巡らした岩櫃城。要害、ここにありといった具合です。どこにでも城兵が潜んでいるような気がします。ここいらは詰の丸(西曲輪)と呼ばれています。



    


複雑な城構造を鑑賞したら、岩の裏側地形も確認したくなりました。いったん沢に戻って、沢通り登山道を登ります。



    


ここなら登れるかな?あ、ここにも城兵が隠れられそうな場所が。帯曲輪かな? もう自然地形なのか築城土木工事をしたのか見分けがつきません。



    


この天然の竪堀を登ったら、天然の土塁から矢や投石で狙われてしまいます。



    


通常のエコツアーではこういう探検はできないかもしれませんね。でも城址探検ツアーなら…



    


登山道に出ました。岩の上から下界を眺めます。川戸方面が見えています。大戸方面から、里見氏や北条氏の動きを監視したことでしょう。



    


先ほどのが「物見の岩」だとしたら、こちらは「狼煙台跡」の可能性があります。不自然な段差が見て取れます。観音山もそうですが、岩櫃山は、こういったかつての城跡による、不自然な人造地形が登山道に見えてしまい、迷ってしまうことがあるので要注意です。私は初めての際、この付近で別方向に降りてしまいました。



    


詰の丸の東にある竪堀も大きいものです。登山道を降り、本丸方向へ。





「北の枡形」に到着。四角い形状がよく残っています。



    


さて、沢通り方面にまた少し戻って、もう少し「詰の丸」を探検します。竪堀を確認し、切岸を登って…





先ほど、縦長の大きな写真を少し登ったところ。巨岩と堀の間にあるのは武者走りでしょうか…



    


そのまま尾根方向へ登っていくと竪堀にハマってしまう、なるほど。これで満足したので、本丸に続く土塁の道を進みます。





本丸への土塁切岸は30度の急斜面です。



  


そして岩櫃城本丸跡へ。富澤さんに言わせると、もっと正しく「楼台跡」にしてほしいそうです。



  


本丸と二の曲輪を隔てる堀はそのまま大きな竪堀(南の竪堀)となり切沢方面へ続いています。鉤十字型になっているのが解かりますか?



  


城址登山道を通り、中央竪堀を降ります。



    


城址登山道の突き当たりを右へ。(中央竪堀はその下に続いています)





ここが「殿屋敷」。現在、果樹園になっているところに、真田昌幸に逆心したとされ、誅伐されてしまった岩櫃城代・海野長門守幸光の屋敷があったそうです。


祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし

たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ



  


城址登山道を原町平沢(一本松)登山口方面へ。動物がヤマグリを食べた跡があります。



  


その、クリ畑付近が中城跡。この開けた場所をどのように使ったのでしょう。



    


城址登山道を降りながら、北東竪堀を確認。鉤十字、或いは食い違い構造になっています。



    


登山道を降りきって、平沢集落を通りコニファーいわびつへ。この集落の道も鉤十字になっているのです。山城だけではなく、城下町も一体化した要塞であった、それが岩櫃城址です。


では近々、このコースのエコツアープランを正式に発表します。どうぞお楽しみに!






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