群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館に行ってきました



公益財団法人 群馬県埋蔵文化財調査事業団が運営する、発掘情報館に行ってきました。
http://www.gunmaibun.org/index.html


「発掘」は、最近の私の大切なお仕事の一つです。作業内容によっては土方のようにキツい日もありますが、当地をご案内するエコツアーガイドとして、当地がどんな自然環境の下で、人々はどのようにして開拓し暮らしてきたのか、この大地にはどんな「人々の歩み」が刻まれているのか、そういうことを、発掘という実体験を持って少しでも語れることができたら、お客様に地域の風土を感じてもらうことができるのではないか―


そう思って、できる限り「発掘」のお仕事を続けようと思っています。



    


群馬県埋蔵文化財調査事業団事務所の敷地内に、発掘情報館はあります。1階は図書室なので2階へ。え!ハート型土偶ゆるキャラっておじいさんなの?知らなかった…



    


群馬県内の勾玉も、榛名町の古墳群でメノウ製が、渋川市弥生時代のヒスイ製が出土しているようです。勾玉の他に、管玉(くだたま)というものもあったんですね。鉄製のドリルがないと難しいと思いますが、日本では縄文時代から作られていたそうです。へえ〜



  


しかし、圧倒的に群馬県で話題なのは「甲(よろい)を着た古墳人」のことのようで、一際目立って説明されていました。2号甲の内部からは骨製小札(こふだ)が発見されてまたまた大発見。それにしても、なんの動物の骨から作ったのか、気になって仕方がありません。





ありました、ハート型土偶


やはりこれもまた、群馬県では偉大な発見ですよね。30.5cmの本物と同じサイズのレプリカがようやくありました。
ちょうど昨日、上毛新聞の「新東国浪漫」でハート型土偶の記事(上)が掲載されていたので、それによると、戦中、鉄鉱石の輸送路線として突貫工事で建設された旧国鉄長野原線(現JR吾妻線)で、1944年7月、東吾妻町郷原の新駅設置に伴う道路の拡幅工事で出土したそうです。しかし当時は敗戦が濃くなる戦況で、世間に発表できる空気ではなく、戦争が終わった後、1954年、発見から10年後にしてようやく発表されたとのことです。



  


ハート型の顔は不必要な部分を省略し、眉毛から口までを輪郭で表現した造形で、さらに全体も見事に抽象化されています。それが、芸術家パウル・クレー(1879-1940)の人物画に驚くほど似ているとのこと。面白いですね。


私としては、鼻を大きく取り扱っているあたりが、縄文人、古代人らしいと思います。嗅覚は野生においては最も大切な感覚器。虎やライオンの体臭や排泄物の匂いが判らなければ生き残れなかった、もっと昔では凶暴な肉食恐竜が近くにいることが判らなければ哺乳類は進化できなかったのですから。



  



土偶は、割と乳房や妊娠を表現したものが多く、生命誕生の神秘性を具体的に造形したものであり、生きることへのひたむきな願いが表現されているという説があるそうです。しかし、ハート型土偶は妊娠の表現ではなく、逆にほっそりした筒型で、男性を表すシンボルなのだそうです。そこに乳房がある…。社会の安定と繁栄は女性と男性によって成り立つものである、ということを表現しているのでは?と示唆されていました。なるほど…



  


こちらは石斧(せきふ)。この石を見て石斧だとわかるっていうのも凄いことですね。樹木をぶっ叩き、幹を砕いて削ぎ落とすように使ったと考えられていて、実験では直径20cmの木を約15分で伐採できたそうです。



    


縄文時代の装飾品の数々。変身することで気分を高める=儀式性ということですね。トランス状態になれば超能力が発揮され、未来が見えたり、火事場のクソ力でマンモスも倒せたかもしれません。


え!仮面?これは群馬県で出ているのかな…?



  



この耳飾り、すごい!



外縁にある「○」と「三日月」の位置を90度ずらしてある、これは太陽と月を表しているのでしょう、勾玉が縄文から出土しているとおり、すでに太陽と月、陰と陽の感覚は古代人は持っていましたから。私が注目したいのはさらにその中。これは、男性器であり女性器であると考えます。それを耳に付ける…耳はいわゆる性感帯、敏感な部分ですが、ハート型土偶同様、縄文人たちの、生命誕生や男女融合に対しての思いが伝わってくるようです。



    


加工のしやすい軽石製品は、群馬県としては実用品ではなく、信仰に伴う捧げ物だったと考えているようです。


また驚きが。上白井西伊熊遺跡(渋川市)で出土した約2万年前の石器が、なんと90%以上が接合できたということ、さらに近畿・瀬戸内地方の技法と同じであり、約2万年前に、近畿から渋川に人々が移住してきたことを示しているのだそうです。



  


長野原町東宮遺跡は割と有名な遺跡ですが、そこからはは繭が付着した団扇(うちわ)が出土したそうです。これはおしゃれなデザインなのか、たまたまそうなってしまったのか…?



  


金井古墳群から出土した光り輝く大刀や馬具。金銅製の鍔(つば)は7世紀前半のものだそうです。この時期を境に金銀で飾られた豪華な大刀や馬具の製作は急速の衰え、7世紀後半になると実用的で質素なつくりのものが多く見られるのだそうです。



  


あ、縄文土器太鼓。これなら作ってみたいな…次は収蔵展示室へ。



  


旧石器時代、3万年のものも、群馬県で出土しているようです。私が気になるのは、その血、DNAがどこから来たものか、そしてその後の縄文時代弥生時代の血とは入れ替わっているのか、それとも新たな血を先住民が受け入れて今の日本の文化が形成されているのか、ということです。


ジェノグラフィック・プロジェクト(ナショナルジオグラフィックの「人類の広がりをDNA分析で調査する」)
http://nationalgeographic.jp/nng/topics/n20050413_1.shtml
https://genographic.nationalgeographic.com/


いいブログ記事を見つけました。
http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2012-03-14


2012年3月の記事なので少し古いです。バイカル湖周辺で6万年くらい前に発生した、寒さに強く皮膚や瞼が厚い小太りのタイプが、日本人最古のタイプで、日本人全体の35%いるそうです。え!北米に渡った?…いや、やはりこの人類のグレートジャーニーを語るにはまだ早そうですね。もう少し研究が進んでからにした方が良さそうです。



  


1万4000年前の槍。黒曜石が希少だったから、でしょうか。細かく割った石をはめ込む方のは大変だったでしょうね。でもこのやり方の方がいい武器になったんでしょうね。頭いいです。



    


旧石器時代のシンプルな模様の土器から、次第に装飾性の高く時になり、やがて実用的ではなく祭事等の儀式にしか使えないものとなってゆく…日本刀の歴史とオーバーラップしてきます。



    


群馬県南部の古墳群は東国(東海・甲信・関東地方)では、圧倒的な質と量を誇っていて、埴輪(はにわ)の出土も多く、「埴輪王国」と呼ばれています。唯一の国宝埴輪である「武装男子立像」は太田市飯塚町から出土していますし、国宝・国指定重要文化財の埴輪全42件のうち19件(45%)が群馬県から出土しています。長野県御代田市の浅間縄文ミュージアム埴輪展の埴輪も、ここからずいぶんと貸出しているのですね。ちょっと誇らしくなりました。



  


こちらは平安時代につくられた瓦塔(がとう)というそうです。こんなものまで焼き物で作ったのですね。



    


古代の寺院で使われた鬼瓦です。なんか愛嬌のある顔ですね。あ、やはり鼻が大きい…



    


その後、さらに収蔵室倉庫にある山ほどの土器に敬服したり、前橋市鳥羽遺跡で発見された建物跡から出雲大社のような社殿を復元した、その発想力に驚かされたりしました。



    


また、これまでの嬬恋村では浅間山草津白根山四阿山の三山の地史によって山も大地も形成されて来ましたが、これから、吾妻渓谷の東側、つまり吾妻東部を理解していくためには、やはり6世紀に2度あった榛名山大噴火のことを学ぶ必要性を感じました。



      


そして、今日の目的の一つでもある、体験ものを拝見、うわーすごい充実しています。やりたいやりたいー



    


縄文土器づくり体験も、器具やら説明書やら見本やら本当に素晴らしいです。しかも体験料は210円。浅間縄文ミュージアムは500円+500円〜=1,000円〜なので、群馬県の方が断然安いです。近所だったら通ってしまいそうです。ハート型土偶の見本もありますしね。



      


かくれゆるキャラ、「マガタン」の存在も確認。通常、夏休み以外は3階で創作体験できるそうです。あー絶対今度、作りに来ようっと!






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