浅間縄文ミュージアム



長野県御代田町の浅間縄文ミュージアムで、群馬県吾妻郡東吾妻町郷原出土の「ハート型土偶」が一体500円で作成体験ができる、というチラシを、先日拝見しました。



ハート型土偶が500円で作れる?!



これは、11月1日〜2日に実施する、岩櫃城忍びの乱http://www.shinobinoran.com/)に来て、体験教室やってもらうしかありません。体験指導者 を誘拐 に相談しに、いざ、御代田町へ行ってまいりました。






長野県御代田町、浅間縄文ミュージアムhttp://w2.avis.ne.jp/~jomon/index.html)は、御代田町の公共機関 (教育委員会・公民館・図書館・博物館、図書館)が一緒になった「エコールみよた」という施設の中にあります。



  


この中の一角が浅間縄文ミュージアムです。さすがは夏休み、大勢入っていますね。



    


私も縄文のことはとても興味があり、専門書籍やら土偶グッズ、マンモスの牙…など、喉から手が出るほど欲しいものがいくつもありました。しかし、今日は後で出費があります。ここでは、我慢がまん。



  


さて、体験教室の場所まで来ました。さっそくハート型土偶作成体験を…と思ったら、どうも私の考えているイメージとは違うようです。


土偶や埴輪づくり体験は、別にハート型土偶に限らず、縄文のヴィーナスとか、青森県の宇宙人みたいなやつとか、自由に作って良いそうで、スタッフの方(御代田町の臨時職員)がサポートしてくれます。サイズによっては材料費500円でつくれますが、入館する料金(500円)が別途かかるので、最低でも1,000円かかります。


使う土は市販に出回っている体験用粘土を使います。土からこねて、ということではありません。


縄文時代当時は当然、野焼きで焼いたのでしょうが、現在は釜(おそらく電気釜)で、作品をお預かりして焼くのだそうです。1ヶ月半後くらいに完成して、近い人は取りに来てもらい、遠くの人は着払いで郵送(約1,000円)するのだそうです。


町の臨時職員さんが対応していて、営利ではないので500円でできるのでしょうね。東吾妻町の歴史イベントに出張で体験教室をしてくれるかどうか聞きましたが、ちょっと無理っぽいですね。町内なら大歓迎のようですが…


しかも今日は、お盆で材料の粘土が品切れだそうです。仕方がありません。縄文博物館を見学させていただくことにいたしましょう。



    


商用ではないのなら、写真撮影しても良いそうなので、ありがたく、写真レポートさせていただきます。


全国に数ある土偶の中でも、 全身のタイプとして、青森県亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶、長野県棚畑遺跡の縄文のビーナス、そして群馬県東吾妻町郷原古墳のハート型土偶の三点を大きく取り上げているのは大変にありがたいです。


館内の案内には、土偶はその一部が故意に破壊されているものも多く、何らかの再生信仰と結びつくもの、とも考えられるそうです。土偶は女性ですから、再生や転生というのは合いますね。





縄文時代、竪穴式住居発掘風景。私も、この春から同様のお仕事をさせていただくことがあります。



    


触れるコーナーがあって嬉しいです。楽器、縄文式土器なんか。瀬戸物と違った触感。縄文人の平均身長は男性158cm、女性147cm、平均寿命は30歳(15歳まで生きた人の場合)だそうです。現在は平均身長で男性170cm、女性157cm位、平均寿命83歳位でしょうか。わずか4000年でここまでの生物になるのを、神が許してくれているとは思い難い気がいたします。



  


浅間縄文ミュージアムは、浅間山の南側を中心に紹介したミュージアムです。浅間・烏帽子火山群と八ヶ岳連峰の間に広がる佐久平は、住みやすい場所だったらしく、多くの縄文集落・遺跡が発掘されています。
なんと最近は縄文人骨・弥生人骨のからのDNA鑑定が進んでいるそうで、縄文人弥生人のと同じDNAを、日本人はおろか、現在の朝鮮人、中国人、モンゴル人、ブリヤート人バイカル湖周辺)も所有している、とのことです。私たちの祖先は北アジアからきた可能性が高いそうです。



  


おなじみの、深鉢形の縄文式土器。私たち現代のライフスタイルからではこのような使いにくい形は考えられません。



  


注口土器。嬬恋村でも黒色磨研注口土器という県指定の重要文化財がありますが、注口土器自体は、全国で出土されているようです。このデザインは数千年も続く東洋のベストセラーです。



    


縄文人の食べ物についても詳しい解説がなされています。実はクリ、オニグルミ、ドングリ、トチノミなど。深鉢型の鍋はアクの強い実を長時間煮るのに最適だったのでしょうか。え、オオカミも食べたんですか…。
木の実や肉などをすりつぶすための石皿にはきめの粗い石材が使われたらしく、埼玉県秩父地方産の緑泥片岩などが使われたそうです。



  


おお、軽石も加工されて使われたのですか。柔らかくて最も加工しやすい石ではあったでしょう。さて、何を作れたのか…「浮き?」と書かれていますね。



    


石鏃(せきぞく=武器・道具のこと)に使われた「黒曜石」「チャート」なども、佐久平では浅間山よりもずっと南から運ばれてきたらしいです。縄文時代においては、浅間山の北麓と南麓では物資の流通に大きな違いがありそうです。

げ、大きな耳飾り、あまりセクシーだとは思わないのですが…



    


川原田遺跡出土の縄文遺物(縄文時代中期)が展示された一室があります。浅間縄文ミュージアムのマスコットにもなっているカワラダ君は顔面把手という名前がついています。



    


こちらは、縄文式土器の本物とレプリカ。どちらが本物かのクイズです。材料をよく見るとわかるんですって。
男性器をかたどった石棒は生殖や繁栄のシンボルなんですって。へえー。





2階は、浅間火山の展示会場になっていました。当然、中を拝見します。



    


このカラマツは直径70cm未満で樹齢約300年。最後の50年間は年輪幅1mmの世界でした。



    


大きな軽石が展示されています。この位のサイズがあれば、細工もしやすいですね。よくある植木鉢以外に、何か商品価値があるもの、作れませんかね。



    


浅間山の噴火史パネルを掲示しています。(浅間縄文ミュージアム的には、)23,000年前の塚原岩なだれでも、13,000年〜11,000年前の軽石流でも、御代田町川原田遺跡は埋没してしまい、906年前の追分火砕流はまぬがれたそうです。川原田遺跡は軽石流の上に成立した集落だということになります。


軽石流とは嬬恋側では「平原火砕流」と言われているもので、凸凹の地形を火砕流が覆ってキャベツが栽培しやすいなだらかな台地にした、と考えていましたが、御代田町では侵食されやすい軽石流堆積層を「田切り地形」と呼んでいるそうで、それがなだらかな台地を形成したとは捉えられていないように感じました。



  


驚いたことに、天明の大飢饉ではマツムシソウも荒救植物・達菜(だつな)といって食べたのだそうです。
浅間山釜山火口は火山活動の状況に応じて300mの振幅で深さが変化します。1910年では火口が溶岩で溢れそうになったそうです。



  


さて、埴輪展も覗いてみます…が、今日は埴輪にまでは神経が行き届きません。『原始・古代』年表は、旧石器時代に日本にいた人類が、そのまま現生人類になった…とは書いていません。さすがだと思いました。人骨としては4万年前のものも出土していますが、ミトコンドリアDNA等の鑑定から、日本人となった現生人類は多くは2万年前にやってきた、と考えられています。その二者で遺伝子の交わりがあったかどうか…あったとしたら、神の思惑があったに違いありません。



    


クリアケースに入っているものは、恐らく複製だと思うのですが、実物大なので大きさを知ることができました。合掌土偶は本当に味出しています。福島県出土のひょっとこのような土偶も、ハート型土偶の仲間に入るのだそうです。



    


次の博物館に行く前に、松屋にて腹ごしらえをしました。千曲川の方面を見ると、嬬恋村吾妻川に見られるものとほぼ同じ断崖が形成されていました。いわゆる、御代田町がいう「侵食されやすい軽石流の断崖」=「田切り地形」です。


浅間山の北麓と南麓は間違いなく、浅間山由来の同じ地史を持っています。浅間縄文ミュージアムのおかげで、長野県側の解釈を知ることができてうれしいです。






人気ブログランキングへ にほんブログ村 環境ブログ エコツーリズムへ にほんブログ村 アウトドアブログ 野遊び・森遊びへ にほんブログ村 アウトドアブログ 自然体験へ