長野原城址の十二坂



先日、長野原城址を散策(http://d.hatena.ne.jp/akagi39/20140429/1399208280)した際に、「十二坂」という看板があり、探してみましたがどうも見つけられませんでした。羽根尾城址を探索した後に、もう一度探してみることにしました。


長野原城址の縄張図は、次のブログに掲載されています(http://tomioka.at.webry.info/201106/article_28.html)。



  



JRバス関東の向かいにある道は、ここしかありません。ここから民家の間の路地裏を上っていくと、雲林寺の墓地の裏側にある道に出ます。



        


あっけない話ですが、この道が十二坂だったのです。途中、これまでの城址探索の学習から「これは虎口では」「あれは廓では」などと、あれこれ思いながらでしたが、なんせ長野原町役場の“うらやま”ですから、長年、人の手が加わってきている山です。本来は遺構が残っていること自体、奇跡的だと思います。



    


やがて、長野原城址の案内看板が出てきました。ここを、右に曲がります。



    


長野原城址への登山道に入りました。初めのうちは、驚くほど道の状況が良かったのですが、途中から笹により道かたが不明なところが出てきます。



  


「土塁」「空堀」と書かれた看板。このあたりの遺構はかなり大きく、形状も残っていて見ごたえがあります。こういう凝った造りを見ると、長野原城も羽根尾城も羽尾氏のものであるならば、羽尾氏の本拠地は長野原城であったのでは? と思ってしまいます。しかし、斉藤氏が滅亡した後も、真田氏は北条氏や上杉氏などの戦国大名に挟まれ、それらの大名も年々城郭を複雑巨大に進化させていった訳ですから、直ちに廃城になっていなければそれに負けじと、どんどん進化させ続けた訳であります。



  


その後、また少し笹薮が出てきて、目印の樹がありました。虎口に到着です。



  


あのカーブを曲がって登ってきた敵兵をここから「パンッ」と撃つ訳であります。ああ、恐ろしい。



  


この上が、前日、迷ったところです。やっぱり繋がっていたんですね。

帰り道は、意図的に通行止めにしてある道を進んでみました。



  


先日はここまで来て、尾根を登って本丸へ帰りました。今日は尾根を下ってみます。



  



十二坂へは難なく降りられますが、左側、町役場方面が急崖なので、足を滑らせたら大変です。この尾根道を下るのはやめた方がいいでしょう。



  



帰りは、雲林寺の墓地を通って長野原町役場に出ました。長野原城址は、周遊できる城址だということがわかりました。これは人をお連れできそうですね。楽しみです。






人気ブログランキングへ にほんブログ村 環境ブログ エコツーリズムへ にほんブログ村 アウトドアブログ 野遊び・森遊びへ にほんブログ村 アウトドアブログ 自然体験へ