樋口富士夫様がお見えになる。




伊勢崎夫妻が突然訪ねてきたかと思ったら、その向こうから熱い視線を感じる。先客が帰ったところで話しかけてくださった。


「赤木さんっていうのは、あんたかい?」

「ドキッ、はい、そうですが…」

「ラジオ聞いているよ。」




聞いてびっくり!私の事務所の隣の新聞店に勤務する方だった!万座では午後から勤務に固定されていたので、嬬恋村に降りてきた頃の私は、早起きができず、寝坊ばかりしていた。私の部屋の電気が夜明け前に点くのは早朝ラジオに出る日だけ。なんと、それを良くご存じでいらっしゃった。うれしいやら、恥ずかしいやら…。


声をおかけくださったのは樋口富士夫様。大前在住、床屋のタロー理容所さんの弟さんだそうだ。
毎日、新聞配達で村中をまわっているだけあって、とてもお顔が広く、村のことを良く知っていらっしゃる。

  • 嬬恋村には真田の六文銭を持つ家が4つある。熊川家、樋口家、深井家、○○家←忘れた!
  • 昔、真田氏は沼田から松代まで行き来していた(沼田−真田道)。その際に、嬬恋村内にゆかりの深い場所を残して行った。
  • 今井〜瀬戸の滝〜三原清水屋〜西窪〜大前〜大笹〜田代〜鳥居峠と、吾妻川を渡らないようにして集落を作っていた。
  • 三原のお墓には、西暦1700年代に建てられた墓がある。
  • 昔は、田代はじゃがいもしか採れず、貧しかった。しかし、パイロット事業によるキャベツ畑の耕地拡大で成功し、豊かな集落となった。
  • 東京電力による昭和の大工事で、栃木県からきた建設会社の人たちが住み着いた。いくつかの建設会社の他、民宿「とちぎや」もその一つ。


…などなど。メモを取っておけばよかった。




  


三原散策ツアーの話で盛り上がった時、黒岩憲司先生が書いた本があると仰られ、いったん、わざわざ自宅まで戻り、取ってきてくれた。


タイトルは「20世紀 日本の戦争秘話」。


さすがはお国のために戦った方…ですが、今の私にこの本を読む時間の余裕があるかどうか!?




  


さらに、熊川栄村長が書いた本があったとは!「日本ロマンチック街道 歴史紀行」。熊川村長が日本ロマンチック街道を誘致したと話には聞いていたが、なるほど、観光に力を入れる訳も、インタープリターに対しての強い思い入れがあるのもうなずける。


こちらの本はガイドの際に役に立つかも。何かの機会に読ませていただきます。樋口さん、本をしばらくお借りいたします。ありがとうございます。