埋没文化財展示室



少し、いや大分解りにくいのだが、八ッ場ダム広報センター・やんば舘の向かい側に八ッ場ダム調査事務所というのがある。ここで今、埋没文化財展示室というのをやっていた。


実は前に発掘中に訪ねてお話を聞かせてもらった事があるが、いやいや、立派なものが出土している。4,500〜5,000年前のものが多かったが、中には8,000年前のものも出ているそうだ。


担当者の話によると、この付近は縄文の頃は群馬県でも10本の指に入るような立派な集落が2つはあったそうだ。山を背にして飲み水が得られる丘陵地には縄文遺跡が発掘される事が多い。また、集落を作るにふさわしい立派な丘でも、飲み水の得られない場所では縄文遺跡は皆無であるそうだ。縄文時代に大きく栄えていたはずの西吾妻の文化も、稲作が中心となる弥生時代に入るとめっきり衰退し、やがて平安時代の頃になってやっと社会的な集落が認められるそうだ。


小冊子「遺跡は今」によると、平安時代から見られる集落は西吾妻の特産物、硫黄や鉄を採掘していたのか、それとも有数の「牧」(馬を飼育する施設)の場であり、その従事者、関係者の里であった可能性を示唆している。


ここの人は話を聞かせてくれる人が多い。また、ちょくちょく寄らせてもらおうと思う。