不可解な鎌原城



学生団体のガイド後、干俣諏訪神社と上信鉱山跡に下見して、まだ日が暮れていないので、鎌原城址へ。今日はささっと下見の下見。本格的には11月にやる予定です。





鎌原観音堂の向かいにある墓地の横の道を進んでいくと、やがて左に「鎌原城址」の看板があります。






ここでもう理解不能。全然無理。 ヾノヾノ'д'o)



三の丸よりも手前から見ているのですが、道路の前方、延長線上に三の丸、二の丸、そして本丸と続くことになっています。本丸の奥は吾妻川に向かって80mの絶壁です。吾妻川からは攻められないとしても、南側から本丸に向かうと、近づけば近づくほど低く下がってゆく…こんな山城があるなんて?



  


三の丸から二の丸への堀切跡は、よく残っています。設置看板によると、鎌原城は応永四年(1397)の築城とあります。


鎌倉時代の『吾妻鑑』の仁治二年(1241)の記事によれば、海野幸氏と武田光蓮とが上野国三原庄と信濃国長倉保との境界について争論し、幸氏が勝訴したことが記されているそうです。それが本当なら、万全な北側(吾妻川側)だけでなく、南側(浅間山側、鎌原宿側)の守備もとても重要だったはずです。嬬恋付近には竹が自生していないから、弓矢で射られる心配がなかった…の理由である訳はありません。





これは山崎一様、山口武夫様の「吾妻郡城塁史」の鎌原城縄張図です。三の丸手前の堀切は、現在は確認することができません。

以下のサイトを参考にすれば、土地感のある方なら探検散策できると思います。


儀一の城館旅 鎌原城(儀一の渡り歩いた中世城館跡集)
http://gi001.gokenin.com/tanbou/10_gunma/01_agatuma/006_tumagoi/003_kanbara/kanbara.htm





私も、雪が積もったら、ここをスノーシューで探検してみようかな…






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