岡野さんとエコツアーフィールド研修会の下見





八ヶ岳どんぐり自然工房」を主宰する茅野市蓼科高原の岡野勇二さんより、茅野エコツーリズム協会の会員の方々を対象に、エコツアーフィールド研修会の講師の御依頼をいただきました。


岡野勇二さんの記事
http://iloves.nagano-ken.jp/e9929.html


茅野エコツーリズム協会 http://chino-eco.com/


岡野さんと言えば八ヶ岳キープ協会にも指導者として出入りし、自然体験活動と環境教育だけで飯を食っているスーパーナチュラリストさんです。その岡野さんからお声を掛けていただけるとは幸甚であります。


しかし当初は「茅野に来て講師を…」というというお話でした。


私は、こう答えました。


「いいえ、それだけは勘弁してください。その地域の自然も、暮らしている人々のことも、その祖先からずっと歩まれ積み重ねられてきた歴史伝統文化のことも、そこを護っている神々のことも知らないでいて、地域の広告塔としてお客様をご案内するエコツアーガイドができるはずもありません。しかし、浅間・吾妻地域であれば、もう長年暮らしてきて、ある程度この土地には馴染んでいるつもりですし、ここの神々にもまあまあ気に入られていると思いますので、神々の守りの中、ゆりかごの中で伸び伸びと、自信を持ってご案内することができます。ですから、エコツーリズム森林セラピーなどの講師活動は、もう外に行ってやるのは止めたのです。ここに来ていただけるなら、お受けいたします。」


そして今日、嬬恋フィールドに茅野エコツーリズム協会会員さんを連れてくるための現地下見にお越し下さったのです!無理を聞いてくださり、本当にありがとうございます。





まずは、スーパーサンエイの前の、約1万5000年前に起こった浅間山の形成史上最大の噴火により作られたこの地層、平原火砕流を見ていただきました。この類まれな風景を初めてみた時「うわっ凄い崖だ、なんでこんなのがあるんだろう?」と私は思いました。答えは活火山浅間山吾妻川の浸食があるからです。しかし、そんなことを話して聞かせてくれる人はほとんど誰もいませんでした。だって地元の人は生まれてからずっとこの風景を見て育っているので、珍しいものだとは知らなかったからです。地元人からしたら『サンゴ礁』の方がずっと珍しく、興味深なことなわけです。


つまり、エコツーリズム素材である大切な『地域の宝』を発掘していくためには、どうしても外部の目が必要です。そして、外から来た人が有機的に発言することができる雰囲気であることもとても大切なことです。


この後、大笹で観察できる約900年前の追分火砕流の地層路頭も見ていただきました。



  


浅間山溶岩樹型に来ました。群馬県内で国指定の天然記念物は尾瀬と、もう一つはなんとこの浅間山溶岩樹型なのです。しかし、観光と結びつかない状況のまま放置しておくと、こういうことになります。誰も見ない、誰も知らないところに税金と労力が投入されていきます。


そして、小浅間山へ。カラマツの大径木にかなり満足されていました。私としては、新たなアズキナシ大木を見つけたことが収穫。



  


少し根上がりとなった樹木の根株の下を覗き込んでみると、おや、こんな小さなスペースでも蜂が利用するのですね。ニホンミツバチの巣だったのでしょうか?



  


浅間園で、鬼押出し溶岩流を観察します。早川由紀夫氏が唱える「鎌原熱雲説」は、このサイクリングロード入口の横にある法面で観察するのが良さそうです。粉々になったガラス状の溶岩と炭が観察できます。





そして、浅間園自然遊歩道を散策。ここで、「ロマンに満ちた伝説」と「最先端の科学技術を根拠とした知見による史実」の話になりました。


私は元々、嬬恋村についてこう聞いていました。


嬬恋村はその昔広大な湖で、古代人たちは旧嬬恋湖に湖映する“火を噴く浅間山”を眺めながら、その圧倒的な存在を畏怖と崇拝の象徴とし、ドングリや栃の実、ヤマメや岩魚、竹の子、時にはナウマンゾウを捕えて食していた。浅間山と旧嬬恋湖によりこの地はとても豊かであり、縄文人達は過ごしやすい当地で繁栄していた…」


地域を案内するインタープリターとしては、そんなロマン溢れる地だと聞き、うっとりしましたし、当地を胸張ってご案内していたわけです。


ところが、最近の研究によれば、旧嬬恋湖があったのは20万年前までの5万年〜10万年間のこと。そして広義の浅間山・黒斑山が噴火を始めたのは10万年前のことで、浅間山で旧嬬恋湖とは時代がずれている。しかも、人類が嬬恋付近で暮らし始めてから1万年経っているのかどうか?


―これが、現代の科学技術を根拠とした知見です。間違っていたとしても、前出の話の方がよっぽどロマンがあるし、いい話を聞けた、旅に来て良かったって思いますよね?


だから、全て科学的エビデンスで裏付けられた内容ばかりであることは、無いのです。それは「なぜ民話や絵本が必要なのか?」の理屈に似ています。うさぎや猿やタヌキが話したり、大蛇や天女が本当に現れたのかどうかが大事なのではなく、人として大切な道徳や、生きていくために必要な知恵や、胸を張って前向きに歩んでいくために必要な自身への肯定・誇り、あるは壮大な夢や物語を伝えたいから、気づかせたいから民話や絵本が必要なのです。



  


足元で動いていたのはアキノキリンソウの種を運ぶ蟻でした。恐らく、この実にはエライオソームが付着しているのでしょう。



  


鎌原観音堂に行く途中で、石を採掘している現場がありました。板目石です。かつてはこの辺り一帯から、このうねった板を重ねたように見える構造の浅間石(鬼押出し溶岩流の欠片)が転がっていたそうです。


ストロンボリ式噴火の場合、火口から花火のように飛び散ったマグマのしぶきが、火口縁に落ちては横に広がることを繰り返していくので、横方向に伸びる流理構造ができるのは想像するのに難しくありません。この板目石が、世界でも嬬恋村鎌原にしか無いのは、同様に世界でも嬬恋村鎌原だけで起こった、あの鎌原土石なだれに着目すべきでしょう。私は、あの時の爆発と転がり落ちるエネルギーで、綺麗に揃っていた流理構造の溶岩が天下の奇跡・板目石になったのだと思います。転がってきた浅間石は、その場所に落ち着いた時には500℃〜600℃あったということも、だいたい解っているのです。





どうですか、岡野さん、この板目石と追分キャベツ(追分火砕流の中にあるパン状火山弾)でできた灯篭は。これだもの、銀座の高級料亭がこぞって注文発掘した理由が解るでしょ!





嬬恋郷土資料館で、鎌原土石なだれの事をもう少し学習します。旧い絵図を見ると、浅間山は浅間嶽と書かれています。嶽は岳の旧い字ですから、八ヶ岳槍ヶ岳も昔は嶽と書いたようです。そして最も有名なのは木曾御嶽になりますが、古くから修験者(山伏)による山岳宗教が盛んだったようで、浅間嶽も昔は盛んだったのかもしれません。しかし、この火を噴く姿は恐れ多く、山麓一帯の生き物に豊かな実りを与え、やさしく守護し命を育むような神様では無くて、気に入らないことがあれば噴火による攪乱で全てを無に帰してしまう恐怖の大魔神としての浅間嶽が浮かび上がってきます。


山と嶽の光と影―富士山と木曽御嶽―(國學院大學教育開発推進機構 准教授 中山 郁)
http://www.plantatree.gr.jp/oragafuji/message/nakayama_kaoru.html


浅間山は、昔から荒ぶる大明神、恐怖の象徴なんです。ご本人様は、登山道の開発などして欲しがっていないのかもしれません。そしてもう一つ重要なことは、地域住民の心の深いところに、もしくは祖先から受け継いできたDNAの記憶のどこかに、浅間山は“触れてはならないもの”と書きこまれている可能性があります。特に北麓の民は。だから、これまでの度重なる登山ブームがあっても、山岳リゾート地として、新たな登山道が開発整備されてこなかったのかもしれません。



  


最後は埋没した鎌原村をご案内。村一番の大ケヤキは、岡野さんの見立てによると、どうやら元々は2本の木だったものが合体したのだそうです。鎌原神社のモミは諏訪地方で行われる御柱際の「御柱」にも使えそうな、立派なモミです。



  


ニホンミツバチの巣があったが退治されてしまった、カツラの古木。おや、今度は根元にミヤマトンビマイタケのような跡が…この樹はもう、かなり木材の分解が進んでいます。いつ倒れるか解りません。きっと鎌原土石なだれの時、鎌原神社を護ってくれた樹の一本でありましょう。あなたの子孫がいつまでもこの地球の大地を育んで行くことができるよう、私たちも頑張ります。今まで、本当にありがとうございました。






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