大岩三又スギと大岩不動尊、霧降の滝



草津・旧六合村から暮坂峠経由で55号線を東吾妻町に帰る途中、左に「大岩の三又スギ」の看板があります。
いつも気になっていたので行ってみることにしました。



  


大岩不動尊の駐車場に車を止めると、北側に石山が見えます。あれが大岩かな?鳥居をくぐらずにその脇を通って行きます。



  


肥後守清忠…の碑が見えます。ネット検索すると、こんな文章が。


「関家の本家は、中之条町大字上澤渡字大岩にあり、残されている系図によると、遠祖は『大職冠・藤原鎌足公で、藤原姓・佐藤末葉』という。寿永元(1182)年佐藤肥後守清忠は、源頼朝から山口県下関の内160を領し『関』の姓を賜わる。鎌倉幕府滅亡後、関肥後守憲清が「吾妻郡澤渡の郷大岩」に移り、その長子・関堪解由左衛門の三男・関織部介行利が四万に分家、四万湖畔の殿貝戸の「せきぜん屋敷」に居住し『善兵衛』を名乗る。これが四万:関家の創祖であり、当主は、代々四万村の名主を勤め「積善兵衛」を襲名.元禄4(1691)年隠居して現在地に湯場を作り、旅籠宿を始めた」


どうやら四万温泉の老舗、「千と千尋の神隠し」のイメージモデルとなった積善館(の慶雲橋という橋?)と関係があるようです。



  


杉並木が続き、ロープで立入禁止?としている場所もありましたが、悪いけど通らせていただきます。



  


「霧降の滝」という看板も出てきました。大岩三又スギに会いに来たのですが、滝もあるようですね。この分かれ道はどっちに行こうか迷いましたが、この先ですぐに合流していました。



  


使用するにはかなり決断力がいるトイレを進むと、道が二手に分かれ、上の道に「大岩の三又スギ」はありました。




  



まずは下の道を進むと、罔象女命(みつはのめのみこと)烏瑟娑摩明王(うすさまみょうおう)と書いてある社があります。初めて聞く名前ですが、まず罔象女命は日本神話にみえる水の女神様で、記紀神話では,伊弉冉(いざなみ)尊が火神を生み,病臥したとき、その尿から生まれた神なのだそうです。灌漑に用いられる水や火を鎮める水の霊能を神格化したもの…だそうです。


そして烏瑟娑摩明王烏枢沙摩明王)は、密教における明王の一尊で、台密天台宗密教真言宗密教東密という。)では五大明王の一尊だそうです。


得意の Wikipedia によると、

烏枢沙摩明王
【概説】
人間界と仏の世界を隔てる天界の「火生三昧」(かしょうざんまい)と呼ばれる炎の世界に住し、人間界の煩悩が仏の世界へ波及しないよう聖なる炎によって煩悩や欲望を焼き尽くす反面、仏の教えを素直に信じない民衆を何としても救わんとする慈悲の怒りを以て人々を目覚めさせようとする明王の一尊であり、天台宗に伝承される密教台密)においては、明王の中でも特に中心的役割を果たす五大明王の一尊に数えられる。

烏枢沙摩明王は古代インド神話において元の名を「ウッチュシュマ」、或いは「アグニ」と呼ばれた炎の神であり、「この世の一切の汚れを焼き尽くす」功徳を持ち、仏教に包括された後も「烈火で不浄を清浄と化す」神力を持つことから、心の浄化はもとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとする、幅広い解釈によってあらゆる層の人々に信仰されてきた火の仏である。意訳から「不浄潔金剛」や「火頭金剛」とも呼ばれた。


【功徳】
特に有名な功徳としては便所の清めがある。便所は古くから「怨霊や悪魔の出入口」と考える思想があったことから、現実的に不潔な場所であり怨霊の侵入箇所でもあった便所を、烏枢沙摩明王の炎の功徳によって清浄な場所に変えるという信仰が広まり今に伝わっている。現在でも曹洞宗寺院の便所(東司)で祀られている。

また、この明王は胎内にいる女児を男児に変化させる力を持っていると言われ(これが「烏枢沙摩明王変化男児法」という祈願法として今に伝わっている)、男児を求めた戦国時代の武将に広く信仰されてきた。

静岡県伊豆市の明徳寺では、烏枢沙摩明王を祀っており、下半身の病に霊験あらたかであるとの信仰がある。


【伝承】
ある時、インドラ(帝釈天)は仏が糞の臭気に弱いと知り、仏を糞の山で築いた城に閉じ込めてしまった。そこに烏枢沙摩が駆けつけると大量の糞を自ら喰らい尽くし、仏を助け出してみせた。この功績により烏枢沙摩は厠の守護者とされるようになったという。


だそうです。それにしても、この二つの仏像、いや神像?どちらがどの神様なのか見当がつきません。どなたかお詳しい方、教えてください。しかし、写真撮る時怖かった〜なんか怒れる神を覚醒させてしまったように感じました。怒っていたのかな?





その先に、鄙びた石段と趣きある社寺があります。大岩不動堂です。





私はここに来るとき、鳥居を通ってきました。鳥居は神社特有のものです。しかし不動尊不動明王のことであり、仏教(密教)の信仰対象です。つまり、ここは神仏混合の寺社のようです。先程の罔象女命と烏瑟娑摩明王も、同一視されていたのかも知れません。

嘉永年間(1848〜1853)不動堂が火災にあったとき、御本尊が三又スギに飛び移り難を逃れたという伝説が残っています。さらにびっくりなことに日本三大不動尊の一つとした数え方があるようです。



  


直角以上にせり出しているように見える大岩を背にして、今は人知れずある不動堂…ですが、どなたかが掃除をした跡があります。熱心な信仰者がいらっしゃるのですね。



  


大岩不動堂の境内にはヒカリゴケがり、昭和63年(1988年)に町の天然記念物に指定されたそうです。私からするとヒカリゴケはそこいらじゅうにあるので何が珍しいのか解りませんが…。しかし、今日はどこにあるのかがよく解りませんでした。



  


案内看板のとおり、5分ほど歩くと「霧降の滝」があります。ここは修業の場だったそうです。



  


水量が少なく落差がかなりあるので、下に落ちる時には雨粒のようになり、辺りは霧がかかったようになります。



  


滝壺部分だけを見ると、滝のようには全く見えません。雨が降る水たまりみたい。



  


もう一度、大岩不動堂に戻ってから次に進みます。木鼻の竜は今にも動きそうだし、何度見ても後ろの大岩に圧倒されます。



  


そのまま進むと、三又杉の上に出ます。昭和34年の伊勢湾台風の影響で三又だったスギは二又になりました。先ほども書きましたが、嘉永年間(1848〜1853)不動堂が火災にあったとき、御本尊が三又スギに飛び移り難を逃れたという伝説が残っています。三又の木は神様がお休みになられる処、として、山師は伐らなかったといいます。最近はこの屋根の上にでも腰かけてお休みになっているのでしょうか。



  


折れた幹の部分は、真っ黒になっています。触った感じは墨のようですが、黒色腐朽菌(きのこの一種)の可能性もあります。さすがにこれからこの傷が塞がることはないでしょう。



  


葉を見るに樹勢はまずまず元気そうです。元々一本の幹から三本に分かれたのか、数本がくっついたかは輪切りにでもしないと解らないでしょうが、樹木は、異物が、ある一定の距離よりも内側に入って来ると、それまで拒んでいたのが嘘だったかのようにその部分の肥大生長率が大きくなり、取り込もうとする、同化しようとするものです。そんな現象が起こったように見えます。

ステンレスの帯は地上10mと20mの所に巻いてあります。台風で1枝折れてしまった後の治療の際、また折れてはいけないと補強したそうです。



名称 大岩の三又スギ(みつまたすぎは、さんさすぎ(三叉杉)とも呼ばれている)
樹高 55m
目通り幹囲 7.7m
推定樹齢 伝承800年
所在地の地名 群馬県吾妻郡中之条町上沢渡3315
群馬県指定天然記念物(1958年3月22日指定)
地上約4.8メートルの所で3つの枝に分かれた三又スギであったが、現在は二又スギとなっている。 


  


大岩不動堂への参道の約1キロメートルの間は、かつては巨木杉が立ち並んでいたそうですが、大正時代のはじめに伐採されました。しかし三又杉だけは、本尊様が火災の際に飛び移り難を逃れたという伝説があるために伐採をまぬがれたそうです。はー良かった。



  


正門に近づいた頃、参道脇で見た切り株は動物っぽい。アルマジロ、アリクイ?…昔、地球が人類を滅亡させて世界を修整するために、最終兵器としてこういう形の化け物をニューヨーク・マンハッタン島から誕生させて世界を襲いまくる漫画がありました。あの漫画、誰かタイトル教えてください。もう一度読んでみたい!「ゴジラ」と何か関係があるような…?


夕暮れの「大岩の三又杉」レポートでした。






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