上信鉱山跡、みずの干俣、毬の宮学習会 〜 嬬恋歴史研究家と行く干俣 〜 を開催





ブログでは事後報告ですが、このようなエコツアー素材学習会を実施いたしました。




◎● 上信鉱山跡、みずの干俣、毬の宮学習会 ●◎
〜 嬬恋歴史研究家と行く干俣 〜
http://ecotourism.or.jp/event_pdf/20130729hoshimata.pdf


今回は干俣地区の“エコツアー資源”を学習します。森の中に突如現れる「上信鉱山焼成炉」、源頼朝の伝説が残る霊験あらたかな「干俣諏訪神社(毬宮)」、関東最大の地底湖が存在する? と言われる「バラギ湖」など、干俣バラギ地区の知られざる魅力をお伝えします。


【日程】
 平成25 年7 月29 日(月)9 時〜 15 時


【学習場所】
 上信鉱山跡、干俣諏訪神社、バラギ湖など


【集合】
 干俣のしみず 駐車場
 国道144 号線から干俣口交差点を県道大前須坂線(バラギ高原方面)へ進み約2km、途中左側の路肩にあり。場所はマピオンの地図へhttp://www.mapion.co.jp/m/36.50890382447054_138.5126605424154_7/


【対象】
 エコツアーや 自然体験イベントに興味がある方。或いは当地を訪問する 教育旅行/林間学校等の体験活動を支援したい方。


【募集人数】
 20 名(先着順)


【参加費】
 会員1,000 円/一般2,000 円
 ※干俣地区の方は1,000 円


【持ち物】
 筆記用具、軽登山に適した活動しやすい服装、長袖、長ズボン、登山靴、お弁当、飲み物、雨具、ゴミ袋、身分証明書、タオル、靴ひも予備、虫よけスプレーなど


【主催】
 NPO 法人 浅間・吾妻エコツーリズム協会


☆ 講師 下谷通氏 プロフィール

1951 年嬬恋村生まれ、嬬恋村観光商工課長、会計課長などを歴任。嬬恋村を中心とした浅間山北麓の歴史研究家。講師活動の他、近代文化遺産保全活動も行っている。地域のものことを深く掘り下げて解説する手法には定評がある。


☆お申し込み方法
 開催日の3 日前までに、? 氏名、?住所、?性別、?生年月日、?電話番号、?職業を明記しFAXまたはE メールにて以下にお申し込みください。


☆お問い合わせ、お申し込みは
 〒377-1524 群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原932‐A 棟
 NPO 法人 浅間・吾妻エコツーリズム協会(AAES) 赤木道紘まで
 TEL/FAX:0279-97-1216 携帯080-5655-3009
 E メール:info@ecotourism.or.jp


※資料等の準備のため、キャンセルはなされませんようにお願いいたします(キャンセルの場合は参加費全額をいただきます)。

エコツーリズムとは》


★嬬恋に眠る“地域の宝”、知っていますか?

エコツーリズムとは、自然・歴史・文化など地域固有の資源を保護保全しながら生かして、地域体験・学習要素を持たせた観光を成立させ、地域経済への波及効果を実現させようとする、地域資源保護+観光業+地域振興の融合を目指す観光の考え方です。この理念に基づいて行われるツアーのことをエコツアーと言います。あなたも地域の広告塔であるエコツアーガイドさんになってみませんか。

   


このところ、雨予報でも当日行けば何とかなってしまうことが多かったので、前日の雨予報でもそのまま実施しました。うん、何とかなりそうです。干俣のしみずで集合し、まずは干俣諏訪神社へ行きました。この神社の境内から滾々と湧き出ている清水、これが最近できた湧水場です。通さんは「音無しの水」と名付けました。


下谷通氏ブログ)関東、最上流の村の新しい湧水場!
http://d.hatena.ne.jp/t-shimoya/20130405/1365131252


上記のブログにもあるように、四阿山の地下、数百メートルのところに関東最大の地底湖があり、「音無しの水」「干俣のしみず」はその地底湖が水源と考えられるそうです。四阿山山頂直下の「嬬恋名水」は標高約2,200mで関東最高所の湧水ですが、専門家からすると毛管現象によりそこまで上がることも十分考えられるらしいのです。これらの水は皆、弱アルカリ性で軟水なのです(御飯岳系のジロー清水や明神沢も弱アルカリ性である)。



  


こちらが干俣諏訪神社(毬の宮)です。まず、嬬恋村誌(下巻)に記載されている伝説をそのまま書きます。

鞠の宮(干俣神社)
 頼朝公の浅間野の狩りは、あいにく雨続きで、晴天の祈願も効験うすく、頼朝始め多くの家来達は、退屈な日々を送る日が多かった。無聊(ブリョウ)を慰めるために、蹴鞠などの遊びも催された。いま干俣部落の、鞠の宮神社は、その後に建立されたものだといわれている。
 そうでなくても瀬音の高い山川は、雨続きで水かさを増した流れは、瀬音は高く響いて、頼朝の狩場の夢を破ることが多かった。頼朝は時折、この瀬音に気をいらだて、「瀬音よ静まれ。」と叫んだ。その時から、この辺りの瀬音はピタリと止んでしまったという。神社の近くを流れる川を、今に音無川と里の人は呼んでいるが、全く瀬音も無く流れる川を見ると、不思議に感じられる。


なるほど、この、干俣神社の湧水が音無川だったのですか。私はてっきり、下の民話集を読んでいたので、干俣川とセットになった、干上がった川がどこかにあって、それを音無川と言うんだとばかり思っていました。


愛郷---上信高原民話集(二)蹴鞠神社と音無川
http://ecotourism.or.jp/akagi/aikyou/minwasyu/02.html


さて、天明の大飢饉の際に、干俣から結構な人数が古道・毛無道を越えて隣の長野県高山村に移住したので、その場所には今でも干川姓や黒岩姓が多く、また「毬の宮」もそこに建立されているとか。これまた面白いですね。


参考資料:松島榮治シリーズ『嬬恋の自然と文化』郷倉の話
(最後の方に天保7年飢饉の際に干俣住民が離村したことが載っています)
http://ecotourism.or.jp/akagi/matsushima_eiji/001-052/021.html



  


音無川(干俣諏訪神社の湧水)には、水神様が祀られています。パワースポットとは地球に点在する特別な“場”のことで、別名「エネルギースポット、気場」とも言うそうです。パワースポットには人を癒すとされる水があったり、人に語りかけるとされる岩があったり、あるいは磁力を発する断層があったりする大地の力(気)がみなぎる場所とも言えるそうです。


干俣諏訪神社に参拝祈願してガンが治った、家族円満になった、子宝に恵まれた…など、神様がいる神社、願いを聞いてもらえる神社として、辺境の村にもかかわらず熱烈なファンもいらっしゃって、秘かなパワースポットとして注目されています。


ここの境内、鎮守の森で最も大きな木はコナラ。本当はここにたくさんの人を連れてきたいところなのですが、蚊がすごくいてじっとしていられません。不思議な場所です。



  


この後、上信鉱山を目指します。まずは干俣親水公園に車を止めて、道路を北に向って歩いてゆきます。



  


そのうち脇道に入ります。私道のような道を進みます。



  


道路が終わり、ここからは藪歩き。実はここからもう、旧上信鉱山「ロウセキ山」の構内なのです。下谷さんが「蝋石」を取り出してみんなに見せました。しかし実際にはこの山で採れたものは「加水ハロイサイト」といい、蝋石とは違っていたのです。



  


初めのうちは、ハリーポッターに「ニワトコの杖」なんてのが出てくるが、こんなものが杖になるの?なんて言っていましたが、そのうち、道かたが不明瞭になってきます。



  


カッパじゃないととても無理状態になり、土手を下ると、



  


笹薮の向こうにレンガ造りの塔が姿を現します。あれだ!次々に降り進んで、




ついに、上信鉱山焼成 とご対面。高さ14m、直径は4mです。こんなに美しく精巧なレンガ建築が、山奥に人知れず埋もれているなんて…。


この2基の焼成炉(シャフトキルン)を施工したのは、群馬県タイル業界の草分け、高崎市の小林煉瓦店(現在の小林タイル?)さんで、現会長・小林弘さんが24歳の時であったそうです(現在80歳余)。ここからは見えない、反対側の上部に材料を入れる穴があり、そこから原材料、コークス、石炭などでサンドイッチ状にし、下から送風機を使って3交代、24時間かけて焼いたのだそうです。


実際に施工もされた小林弘様がこの焼成炉を自社のシンボルにしようと、その後、数回当地を訪問し探したのですが見つからず、下谷さんの上毛新聞投稿記事を見て、下谷さんに案内を依頼し、半世紀以上の時を経てようやく焼成炉と再会を果たした…なんてエピソードもありました。



  


雨でやや増水した宮沢に石を置いて橋をつくり、渡ります。焼成炉の目の前に来ました。参加者は感激しまくっています。




ここで、通さんの上信鉱山についての講義が行われました。


昭和15年(1940)に炭焼きをしていた干川石造さんがロウセキを発見し、その後、この鉱石にアルミナが含まれていることから、金属アルミニウムを製造する目的で軍需産業に指定され、軍部の強い要請を受けて大阪窯業?の上信鉱山が設立されました。…が、諸設備を建設中、昭和20年(1945)の終戦によって、実際の稼動に至らないまま、会社は解散となったそうです。その後、何人かによって再建が試みられましたが、いずれも成功しませんでした。


そして、昭和29年(1954)に中之条町の実業家、小渕光平(元代議士)とその弟の小渕浪次・光山電化工業?社長が福井哲博士(大阪窯業?勤務)の協力を経て、光山電化工業の上信鉱業所として、上信鉱山は復活します。(ちなみに小渕光平の長男は、元中之条町の小渕光平町長(二代目)、次男は小渕恵三内閣総理大臣です。)


しかし、経営は困難を極めました。焼成炉建設(1基目が350万円、2基目が450万円)のため多額の借金を抱え、さらには昭和33年に小渕光平氏脳梗塞で他界します。小渕家もどん底にまで追いやられましたが、その後、大手企業の日本鋼管?が顧客になったほか、急激に注文が相次ぎ、2基の焼成炉では間に合わないほどの注文が相次ぎました。


そして昭和38年(1963)に火災が発生し、鉱山事務所や宿舎が焼失します。このころ、鉱脈も尽きかけていて、従業員も4〜5人に減っていたこともあり、これを機に、上信鉱山は再開発後、9年間の短い生涯を終えて閉山しました。最盛期間は4年間の間に高収益を上げて閉山した、奇跡的な成功例、そして小渕家のドラマがここ干俣仁田沢で展開されたのです。



  


その後は、バラギ湖に行ってさらに四阿山の水を考え、そsれから嬬恋村観光協会の会議室をお借りして、室内講義となりました。昔の新聞記事、収集した写真などを紹介できて通さんは楽しそうです。


私は、「干俣のしみず」と「音無しの水」を飲み比べて、あまりにも違いがわからなく、うーんうーんと唸るばかりでした…






人気ブログランキングへ にほんブログ村 環境ブログ エコツーリズムへ にほんブログ村 アウトドアブログ 野遊び・森遊びへ にほんブログ村 アウトドアブログ 自然体験へ