長野原町、吾妻渓谷付近のハイキングコース考察(4) 川原畑付近



川原湯温泉の国道145号線を挟んで向かい側には、川原畑という場所がある。せっかくなので、そこも調査してみることにした。


ここには、長野原町の庶民信仰の厚い素朴な暮らしがある…と認識していたのだが、残念ながら八ツ場ダムに沈む国道145号線の代わりにできた新しい幹線道路と移築住宅街が目立っていた。「三ッ堂」を探したが見当たらず、かなり山の高いところに来てようやく、移転された「三ッ堂」を見つけることができた。




  


「三ッ堂」は平成20年にはここに移転されていたようだ。観音堂阿弥陀堂毘沙門堂の三つからなり、「えんま様」等の十王(死後の世界で生前の罪を裁く10人の裁判官)があるらしい。




  


左わきの墓石群は「タマシイ」を祀る墓で詣り墓という。死者を埋めた墓(埋め墓)は別のところにあり、これを両墓制という。遺骨の穢(けが)れを忌む考え方と、清らかな霊魂は別の場所に先祖として祀ろうとする霊肉別留の考え方で、この地域の特徴だそうだ。


しかし、松島榮治氏の「嬬恋の自然と文化 四十八 【田代地区の両墓制】」にも、田代地区や今井地区は古くは両墓制であったと記されてある。


松島榮治氏の「嬬恋の自然と文化 四十八 【田代地区の両墓制】」]
http://ecotourism.or.jp/akagi/


つまりは、嬬恋だけでなく、長野原地区にも両墓制の文化があり、ひいては西吾妻一帯が両墓制であったのかもしれない。江戸時代の文化であったと見るべきだろうか。


※後日追記 嬬恋村に、関東でも重要な関所があった古い集落である“大笹”にはそのような風習は残っていない。西吾妻一帯と見なすのは危険のようだ。




  


帰りに立ち寄ってみた「岩陰の湯」は、ポンプが故障して入浴できず。ひっそりと静まり返っていた。


川原畑は、「三ッ堂」と石仏群、詣り墓群は移転されていても雰囲気があり良かったが、他には特に見所は無かった。「三ッ堂」まで歩いてお客様を連れてくるのは不可能なため、ここもハイキングコースには向かないと判断。


やはり吾妻渓谷+川原湯温泉ハイキングコースがベストですね。