浅間山大噴火の爪痕 天明三年浅間災害遺跡 − シリーズ「遺跡を学ぶ」 075 −



浅間山大噴火の爪痕・天明三年浅間災害遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」075)

浅間山大噴火の爪痕・天明三年浅間災害遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」075)


役場勤務時に原町の有限会社川村書店専務、川村晃さまがセールスで持って来られ、購入した本。ようやく読むことができた。

浅間山噴火の本はいくつか読んでいるが、この本は吾妻川から利根川に至る広域下流での災害に詳しく触れていることと、写真やイラストも上手に使われ、ビジュアル的に美しいので購入しておいた。文字もやや大きく、行間も広いので読みやすい。


読みやすいが内容は流石は元群馬県埋没文化財調査事業団勤務の方だけあって、発掘した当時にどんな考察がなされたか、そしてどう見たてられたのか…などを、一般人にも解かるような記述の仕方で書いてある。古文書と記述との違いを発掘者として推理考察していくのだ。


本には「十日ノ窪(とおかのくぼ)」の発掘調査のことが載っていたが、ふと滝沢和美さんの話を思い出した。実は「十日ノ窪」と今呼ばれているところは昔、「稲荷の窪」と書いたらしい。キツネの巣もたくさんあり、「むじなくぼ」だの「きつねくぼ」だの言われていたそうだ。階段の脇には御稲荷様が今でもいるらしい。しかし本書では「雨が降ると十日経ってもこの付近にたまった水が乾かないことからついた地名」と書いてある。うーん、キツネは確かに谷あいの湿気った処に巣を作るが…


後半には、地球の裏側・アイスランドのラキ山で、同じ1783年に起こった大噴火についての記述があった。火山噴火の大きさは、その噴火で地表に噴出したマグマの総量で比較するという。1783年にあった二つの火山の大噴火の規模は、

  • 浅間山は 4 × 10 × ^11キログラム、0.5立方キロメートル(安山岩)死亡者1,500人
  • ラキ山は 3.4 × 10 × ^13キログラム、15立方キロメートル(玄武岩)死亡者1万人


だそうだ。質量だと85倍、体積だと30倍。天明の大飢饉浅間山噴火の降灰による影響もあったであろうが、地球規模の異常気象が起こり3年後のフランス革命をもたらしたのはラキ山の方である。


読みやすい本だし、天明噴火にまつわる新たな豆知識、発掘者からの見方…など、得られるものは結構ある。1,575円、浅間山をガイドする方は一冊購入してみては。