晩秋の三原 最終下見



上州三原インタープリテーションは、11月15日にやることになっているのだが、明日から養成講座が始まってしまい、司会進行全体統括で忙しくなるので、今日、下見をすることにした。

この時期、葉が落ちているので幹枝の様子が良くわかる。成長を阻害する植物ホルモン、オーキシンの話でもしようかな。

民家の車庫に大根が干してある。この地域ならではの大根の漬け方や、たくあんの味付けの話を聞かせてやることができると良いのにな。生活感のない暮らしばかりをしてきたおかげで、暮らしの知恵をまるで知らない。トホホ。

こちらのお家は垣根にカラマツを使っている。カラマツでも刈り込むとイチイのような枝ぶりになるのだなあ。


  


あれ?これは何の実だろう?初めはとまどったが、夏にこの辺で、個性的なカキノキを発見していたのを思い出す。ああ、これはカキノキの品種だったのか。…なんて思っていたら、後で調べてみるとマメガキ(カキノキ科カキノキ属)という、れっきとした種の一つだった。中国原産、雌雄別種。柿渋を採るために各地で植えられているそうだ。

今思い起こせば、一つくらい味見して食べておけば良かったかなあと。

伐られた枝先からは、大量のヤニが出ていた。きっとこれにも強い殺菌作用があるのだろうから、採取して何か役に立つことはないかなと思った。


  


サンショウの葉痕は、トゲが両腕に、冬芽が帽子に見えて、まるでお人形さんののようだ。

黒岩さんの家の倉は通り沿いで説明がしやすそうだ。車両通行も少なく、駐車場も広い。

初代村長のお家には、檻があった。熊でも飼っていたのだろうか…


  


初代村長の家には、ヒマラヤスギ(マツ科ヒマラヤスギ属)がある。一見、カラマツかと思ったが、この時期、黄葉していないのはさすがにおかしい。ヒマラヤスギは嬬恋高校の校庭にもあるし、珍しいわけではない。しかし、嬬恋村の個人の庭では他には私は知らない。

この辺は、みんな石置き屋根だった。近くに、その名残りが残る小屋を発見。これで活きた標本を見せることができる。


  


昔は街道一大きな商店だった清水屋には、目立つためにか化粧がなされている。これはこれまで頬杖(ほおづえ)と呼んでいたが、どうも「持ち送り」というのが正しいようだ。

二代目村長の黒岩さんのお家では、ツバメが落ちないように板を張ってあった。こういうことも紹介しよう。都会ではツバメすら飛んでいないところもあるのだから。ツバメを大切にする心のお話ができると良いな。


  


坂道が多い三原だが、大きな木もいくつかある。ケヤキとモミの木がペアになっているところでは、針葉樹と広葉樹の生き方の違いをお話したい。

そして村一番のイチイの巨木、ケヤキの大木をめぐる。このツアーの後半では、いくつかの巨木を連続して尋ねることになる。時間があれば、この最後の大きなケヤキの前で、樹木に対して深く思いを馳せることができるようなファシリテーションをするべきだろう。篠笛を吹いても良いかな。


  


三原に唯一残る木造三階建ての家、黒岩幸文さんのお家では、古い農機具を小豆に使ったところだった。

後で調べたが、これは唐箕(とうみ)というものらしい。収穫した穀物脱穀した後、籾殻や藁屑を風によって選別する農具のようだ。

幸文さん(だと思うが)とも、少しお話しすることができてよかった。昭和45年位までは蚕を飼っていたそうだ。家を拝見するのも特に嫌がってはいらっしゃらないようだし。名刺を持っていれば良かったかな。