鳴尾熊野神社の大杉



来月のインタープリター・リーダー養成講座で、この大杉を紹介しようと思う。「上州三原インタープリテーション」の時間では弘法大師が?湯窪で夫婦薬師如来を彫り、三原で杖を突いて湧き水を出させ、最後にこの鳴尾神社で杖を立てるとそれに根が出てこのような大杉となった伝説が残る。そんな話を聞かせたいのだ。

久しぶりに来てみると、境内が綺麗になっているように見えたが、今日は寄り道している暇は無い。…どうも昨日の下見で風邪をひいてしまったようだ。このあと西吾妻病院に予約を入れてあるのだ。ゴホゴホ。

おお、村一番の巨木は健在だ。少し観察していこう。


  


平成5年9月に建てた看板には、根回り9m・高さ36mとある。16年経った今、一体どのくらいの大きさになっているのだろうか。創建は806年。当時からあるとすれば1200年の老木である。

今年も、充分に球果をつけている。まだまだ長生きして、この姿をいつまでも私達に見せつけていて欲しい。あなたがいなくなった鳴尾熊野神社は、もう同じ神社としては呼べないのだから。


  


少し木の上のほうを見てみる。枝の股となったところからヤマウルシやらシデ類だの、洞からはナラの幼樹が出ている。放っておいてもそう大きくは成れないだろうが、大杉にとっては邪魔だ…というのが樹医的な考え方ではある。

しかし、実際には、どうだろうなあ。もう自分の力では細菌を防御する力もないほど老いているとしたら、他の若い植物の根が持つ防御機構に頼ってしまったほうが、都合がいいとも考えられる。自分の脇や首元に、自分が健康であるためにわざと他の植物を寄生させているとしたら?

幹に近寄って見上げてみると、穿孔虫の侵入跡がかなり見られる。この大杉一本でいったいどのくらいの生き物を養っているのだろう。


  


根を良く見ると、自分の根が幹をぐるんと半周しているように見える。その根が幹を締め付けているようにも見える。窮屈だと悲鳴が聞こえてくるようだが、土の中はどうなっているのだろう。

下に垂れ下がった枝には、たくさんの瘤が見られる。ああ、これがスギの瘤病か。発病すると他の枝に次々に伝染し、瘤ができた枝は数年で枯れ、木全体が弱っていくらしい(正確な情報ではない)。数年、様子を見ていく必要があるな。

裏日本では、雪圧で地面についた場所から根が張り、それを育てて仕立てていくという施業法があると聞く。大杉の左にある中径木は、もしかしたら大杉の分身かもしれない。

うーむ。数年前と今では、私の木の見方はずいぶん変わっているのだが、それにしてもこんなに健全ではない状態だとは思わなかった。恐らく10年後は姿を変えてしまっているだろう。その時に治療させてもらえる可能性もあるが、今何か手を打つ必要はないのだろうか。