亀戸天神社 藤治療 初日

日本樹木保護協会より樹木治療実習の葉書が届いた。アロマセラピスト学科試験前で暇はないのだが、8月の養成講座での講義素材でも見つかるかと思い、参加することにした。

亀戸駅で迷い、10分ほど遅刻。ヤベー。すでに山本先生が新入りを指導中…

ほとんどが集合したので、仕切りなおして集会を行う。今日の作業内容、目的など。さて、どんなことをするのかな…


  


山本先生の話によると、どうも今年は花のつきが悪く、請負先から厳しい指摘をいただいたそうだ。それで、今年はかなり念入りな作業を行い、来年はぜひとも満開にしたいとのこと。

藤は基本的に水辺が好きな植物。確かに沢沿いに多いような気がする。池の水位が下がってしまっていることも理由だが、まずはホースの水がちゃんと出ているかをチェック。

そして、垂れ下がっている藤の種。これを根元から取り除く作業を行うのだ。これを今年は100%見逃さないで切る。そうやって短い枝だらけにして、花房がたくさん出るようにしてやるのだ。


  


ここの治療法は、花房の最も根元にある芽を残して切る方法である。しかし私はここで疑問に思った。紅葉のメカニズムから考えると、種だけを取り除いてやり、花房の芯は残してやっても良いのではないのか?と。その方が光合成生産物を樹体に戻す作用や、切り口を直そうとするストレスにさらされる心配がない。

山本先生に聞いてみたが、確かに、全国で見聞きしてきて、種だけを取るところ、房を折るだけのところ、種を折るだけのところ…と、さまざまなケースがあったと言う。そして、どこもそれなりに成果を上げ、見事に花を咲かせているようなのだ。しかし、山本先生は経験上、できるだけ多くの花をつけさせるための施業としては、この方法が最も良いと考えている。そして光合成をし生産物を戻す可能性は考えられるが、それが量的に樹盛回復のものまでいくとは考えにくい…と仰った。

その後私も気がついたのだが、確かに、紅葉のメカニズムのように芯にある葉緑素などを分解して樹体に戻すというのはないと判断した。なぜなら昨年のもので、芯が枯れたまま付いているものが結構あったからだ。つまり、落葉する葉のように離層は形成していない。弱盛枝のようにパークリッジを作っているかはわからないが…

藤の花は花が散ってから、1センチくらいまでは全て小さな種ができる。やがてそれが5、6個になり、最終的に成熟するのは1つか2つになってしまうそうだ。

他には、瘤を取る作業もあった。瘤病は伝染するので、刃物は代えてはならないし、よく洗わなくてはならない。しかし私は新人なので、前出の花房を除去する作業に集中することになった。


  


そうこうしている間に、何か運び始めた。明日、木にやる肥料だそうだ。バーク堆肥。樹皮の堆肥だが、100%樹皮ではないらしい。いろいろと規制があって何かを混合させないと肥料として販売できないそうだ。

これを500袋。はあ〜しんどかった。

トラックに積んでいた牛糞は匂いが全くしなかった。丁寧に仕込んである、いい牛糞だ。


  


肥料袋を運ぶ作業が終わったら、また仕事仕事〜藤の花房切り。大阪のある神社では、必ず4月29日に切ると決めていて、その時にまだ花が付いているようだったら参拝者に売ってしまうそうだ。香りとしても、天麩羅としてもいい。ナイスアイデア

はみ出し過ぎたツルはカット。水際は、まだ怖くてちょっと行けない。慣れている方々にお任せすることにしよう。

作業が終わり、先輩達と宿へ向かう。すると、途中でいきなり飯屋へ。え!先に飯にするの!?


  


うーん、焼肉かあ。最近はどうも年のせいか、焼肉だと胃がもたれてしまって…。しかも、私の地元の大切な友人達は筋金入りのベジタリアンが多い。この日記を見て絶交されたら困るなあ。ま、たまにはつきあいも必要なので…。

しかしここのメンバーは、変なものばかりをたのむ。肉だけを注文するのは邪道だとか言って、このコブクロって子宮らしいし、ナンコツは気管支やアキレス腱が出てくるし、しかも牛肉じゃなくって豚肉だし、別にまずいものを無理して注文せんでも…。

同席したメンバーは、地球を深く思うナチュラリストで、樹木を護ることを職業にしている。かたや私の地元の仲間は、肉食をやめることが地球生命を救うことだと唱え、作物を育てている。双方とも人類の未来のために昼夜を問わず、苦労を惜しまず活動している方々なのに、表現している姿がどうしてこんなにも違うのだろう。