六合村の民話
千葉県浦安市のT中学校140名様の教育旅行で、キャベツの植え付け体験の代替プログラムとして、「六合村の民話」をお話させていただきました。
午前8時、六合村民話軍団が到着。おお、こんなコスチュームがあったんですか!お洒落ですね。中学校一年生140名に対しての民話体験は初めての試みです。
まずは、山本茂先生から六合村についての説明と、民話がどういうものだったか、どうして民話が大切なのかのお話がありました。
【六合について】
明治22年(1889)、自治制の施行に伴い、それまでこの地域にあった入山・生須・小雨・太子・赤岩・日影・草津・前口の8つの村を統合し草津村が誕生しました。
しかし当時、現在の草津地域と六合地域は産業や生活様式が大きく異なり、一つの村として続けていくことは難しく、明治33年(1900)7月1日、草津と前口は草津町に、残る6つの大字は六合村に分かれました。
このとき「六つ」の大字が「合わさる」ということで、「六合」の名が付きました。
【「六合」を「くに」と読む理由】
古代東洋では、世界は東西南北及び天地の六面で構成されたさいころの内側のようなものだと考えられていました。六つの面が合わさっているので、世界のことを「六合(りくごう)」とも呼びました。
同じく世界を意味する「天下」「四海」「八紘」と同様、「六合」もしばしば「国」の意味をもって使われ、古事記上巻序文の「乾符を握って六合を総べ」、日本書紀の神武天皇即位のくだりのすぐ前の「六合を兼ねて以って都を開き」においても「六合」は「支配の範囲=国」の意味で使われています。
このことから「六合」を「くに」と読み、「六合村」を「くにむら」と読んでいます。
なお、「古事記に「天地四方を以って六合と為す」という文が登場することから「六合」を「くに」と読む」という由来説もありますが、古事記には「天地四方を以って六合と為す」という文はないそうです。
昔は、生きていくために必要なこと、人としてあり方、子供のうちに知っておくべき人として大切なことは、民話で語り継がれてきた、と山本先生は仰られます。携帯電話もゲームもない時代、囲炉裏に家族や近所の人達が集まって、長い夜をお話を聞いて聞かせて過ごした。そこでは人と人が触れ合い、地域の住民にとって有機的に関わりが生まれる場でもあったそうです。そういう場で、教育は行われてきました。今のように学校の先生達が、ただ教えてくれる教育ではなかった、と。
民話を聞くのは、ただ伝説の話を聞く、のではないのです。お話しの裏には教育、しつけ、地域の伝承など、さまざまなものことが含まれているのです。それを知った上で今、もう一度民話に耳を傾けることが重要なのです。
今回、こちらの学校様には千葉テレビさんが同行していますので、いよいよ「六合村の民話」がメジャーデビュー?することになります。語り部が交代で、一人ずつお話していきます。
こちらのお母様は六合地区「小雨」からお話しに来てくださいました。ゆったりとした口調でお話されます。
六合村「生須」の市川みよこさんは語り部の貫禄たっぷりの話調で、目を瞑れば、囲炉裏を囲んで語っている風景が浮かんできます。
今回のお話の様子をYoutubeにアップしました。心温まる教育プログラム「六合村の民話」、是非ご覧下さい。
AAES教育旅行/林間学校 体験プログラム集(2013年6月版)