嵩山に登る & 和利の家





今日は直美の妹、清美さんに初めてお会いする事ができました。話に聞いていた通り大柄な人で、小池家の遺伝子を改めて思い知ります。家族3人で一緒に居られることもあまり無いですので、せっかくなので近くの山、中之条町のシンボル・嵩山に軽くハイキングに行ってきました。







道の駅たけやまです。ゴールデンウイークの少し前からこいのぼりが泳いでいます。




  


たけやま館で草木染め展がやっていたので、中の様子を拝見しました。かなりの数を展示しています。




  


月見草染め、おや、びわ染めもあります。中之条町ではびわが育つのかな?これはラッキー!この裂き織りのバッグは複数の布を好みの色に藍染し、それを裂き、さらに編む糸まで染めてから織っているのだそうです。凄い手間ですが、だからでしょうか、他の安物の品とは格別の風合いが出ています。
ぜひ、仲間に入れてもらえないかとお伺いしたのですが、設立してからのメンバーで創作活動をやっており、新規会員を募集したりしている訳ではないそうです。あーあ残念。







嵩山登山道の入口です。霊山らしく鳥居があります。

嵩山城址 中之条町指定史跡

  指 定 ● 昭和63年3月26日
  所在地 ● 中之条町大字五反田
  所有者 ● 親都神社ほか

嵩山は、中之条盆地を見晴らす台地上にそびえる標高789メートルの岩山で、獄山・岳山・武山とも書き、和利獄・見付山・お天狗山などと呼ばれている。古くから祖霊を祀る霊山として信仰され、中世には武の神として「和利大明神」が、麓の親都神社・里宮の吾妻神社(和利宮)に祀られている。
永禄6年(1563年)10月武田信玄の吾妻郡進攻によって岩下衆の本拠岩下城が攻略されると、岩下衆は上杉謙信の支援のもと、斉藤越前守の子、城(白)虎丸を擁して嵩山城に籠城し四万川を境に、武田方の岩櫃城と対陣した。嵩山方は四万川東岸の内山城(折田)。城峰城(西中之条)と、八幡(横尾)に砦を置いている。永禄8年2月武田信玄は上州出撃の際に、箕輪城箕郷町)と共に嵩山城の攻略を目標にあげている。同年11月真田幸隆は、城方の池田佐渡守父子を味方につけて城を退出させた上で総攻撃を加えた。城主城虎丸は、城の北方の天狗峯(大天狗)近くの断崖から飛び降りて自害し、後を追って多くの人が亡くなったと伝えている。嵩山城は、この戦のあと廃城となり、以後は信仰の山に戻って今日に至る。


  


五反田老人クラブ様がご用意してくださった竹の杖を持って、いざ登山開始。




  


嵩山には登山口を第一番目として、山北の池平の第三十三番目に至るまで、山内に石仏が点在しています。嵩山城落城の約140年後の元禄15年(1702年)、嵩山合戦で悲惨な最期を遂げた犠牲者を供養するために、五反田に住み着いていた江戸の僧・空閑(くうかん)と地域の人々を中心に、坂東三十三番の観音像が建立されました。それがこの石仏群です。




  


大岩をぐるっとまわり込むと、上には電電神社と雨降社が。やはり地元ガイドの解説が欲しいところです。




  


初めは緩やかな登山道です。このところ、この山野草が気になります。何かな?




  


ジュウニヒトエも多いです。吾妻渓谷の植生と似ているようです。登山道は、すぐに急登になります。







浅いU字溝型の急な地形を登って行きます。外観としては、嵩山は平地に突然現れる急傾斜の溶岩ドームのような形状をしていますが、どうも火山としての研究評価や情報がインターネット上に掲載されていません。かなり古い時代のもので、研究の対象になっていないのでしょうか。




  


足元には可愛らしいスミレたちが。




  


まだ歩き始めて間もないですが、展望台に立ち寄ります。







おお、凄いですね。ここでも十分な眺めです。




  


展望台の景色を楽しんだら、また登山道へ戻って小天狗を目指します。







それにしても今日は花が良かったです。ヤマツツジトウゴクミツバツツジかな?




  


観音様を見たり、ツツジを鑑賞したり。







天狗の広場と名のついた稜線に出ます。ここを左に進み、小天狗へ。




  


あずまやを越えて、先に進みます。




  


岩塊を登りきれば、小天狗山頂です。うわっ、凄い景色です。浅間山も見えますね。







小天狗からの榛名山塊の眺めです。正直、驚きました。中之条の街中にあるような登山道で、わずか1時間足らずでこんなに景色のいい頂があるなんて。




  


西方面には突き出た岩があって、これを不動岩といいます。一番上にある仏様は、不動明王様かな?




  


小天狗からは大天狗を目指します。天狗の広場を越えてそのまま進むと別のあずまやがあって、




  


ここから降りると、「胎内くぐり」だそうですが、今回は降りません。大天狗に行こうとすると、三社神社というものがありました。




  


三つの神様がいらっしゃるのでしょうが、どんな神様なのか今日は探究しませんでした。先に進みます。少し上り道になって、




  


中天狗分岐も無視し、とにかく大天狗へ。嵩山尾根の北東側を進んでいます。




  


尾根上で、万座や草津でよく見かけたような木を見つけました。コシアブラによく似ているのです。中之条町の標高700mあたりで、コシアブラはあるのでしょうか?それとも、タカノツメかもしれません。




  


中天狗を過ぎたあたりの岩に、石板が埋め込まれていました。唐沢次郎さんという方が、ここの山林1,266平米を寄贈したそうです。これは気前のいいこと!




  


石仏が長方形に囲っている場所に来ました。ここが、かつての嵩山城の本丸だったのです。






実城の平(みじょうのたいら)


嵩山城の山城本丸跡

「実城の平」は城の中心の意。「本丸」を「実城」と呼ぶ。無常の平ともいう。
永禄8(1565)年11月、武田信玄方の「真田幸隆」に攻められ嵩山城は陥落。若き城主、城虎丸(当時:18歳)は山から飛び降り自ら命を絶ち、女性や子供も後を追ったという悲話が伝わる。
この戦いの犠牲者の供養と霊山嵩山への信仰のため元禄15(1702)年から坂東・西国・秩父の嵩山百番観音が建立された。
ここには、西国・秩父観音71体(観音70体、阿弥陀如来1体)が安置されている。


  


本丸跡を越えると、あずまやとベンチがあり、たくさんの方が休憩していました。いくつかの道の分岐点でもあります。




  


大天狗目指してしめ縄をくぐると、すぐに岩山に当たります。前のグループが滞っている様子。




  


しかしアスリートのなおはサクサク登っちゃいます。こういうところ、本当に助かります。グダグダなグループを尻目にどんどん登ります。







つまりは、この岩そのものが、大天狗だったらしいです。




  


登りきると、少し平らなところがあります。一番奥の岩が一番高いところ、789m地点のようです。




  


城虎丸一族はここから飛び降りたのでしょうか?確かに、とても無事では済まないとは思いますが、即死では無かったのではないでしょうか。苦しみながら死んでいったと考えると、とても辛いです。
北側に見える突き出た岩は烏帽子岩。先程のあずまやから行けるようです。







振り返って中之条町東吾妻町の街並み、そして榛名山塊を二人で眺めました。あなたが健康優良な女性で本当に良かった。あなたとなら、数えきれないほどあるこの世界の感動を共に分かち合うことができる。






古代から祖先の霊魂を祀る山を「たけやま」と呼び、嵩山は死者の霊が山の上に集まる神聖な「霊山」として、吾妻盆地の各地から信仰を集めていました。また、この山には神様がいて、春には里におりて田畑の神となり、実りを与えてくれるとされていました。
 縄文式文化時代の遺跡も多く、「嵩山の神和利大明神として子持山の神を妻とし、鳥頭明神を子供として吾妻地方の中心的な神となっていた」と、神々の縁起を集めた『神道集』には記されています。
 また、嵩山は天狗の住む山とも言われ、現在でも東の峰を大天狗、中の峰を中天狗、西の峰を小天狗と呼んでいます。


この、和利大明神様に、私たちはまず夫婦の誓いを立てました。




  


小さな子供がパパと大天狗の岩壁にチャレンジしています。ガンバレ! 下りで気づきましたが、土の道もあるようです。でも、鎖がしっかりしているので、岩壁を登った方が楽です。




  


帰りの道は、上りと同様な急坂をジグザグに降りて行きます。




  



登山道のパネルがあったので確認してみると、そうか、こいのぼりは小天狗でも大天狗でもなく、登山道の無い「男岩」に架かっているのですね。




  


間もなく出てきたのは落石による通行止めの看板。その向こうに見えるのはまさに断崖絶壁。これは、エコツアー素材確認のためにもちろん立入調査させていただきます。







なんていう断崖絶壁でしょう。行政的に通行止めにしたい気持ちがよく解ります。




  


その後、こんな看板が現れます。

弥勒

穴の中に20番観音「南無当来導師弥勒菩薩」(「みろくさんが安置されている」)
「みろくさん」は、古くから「夫婦円満の神」と信仰があり、娘が年頃になって嫁入りが決まると嫁入り前に母親が連れてお参りに行ったといわれている。
また、「穴の神」とも言われ、人体にある目や耳、鼻、口等ありとあらゆる穴に関する病気(中耳炎や吹き出物等)に対して御利益があったとされた。
このような理由から、お産についても御利益があるとされ、「お産の神」「女性の神」としても崇められ、昭和初期頃まで、お産前にお参りにきた者があったとのことである。


では、早速行ってみましょう。岩を削って作った階段を登り、




  


丸太を倒してつくった道を進みます。ここまででも結構アドベンチャーです。空が開けると、頭の上から何か聞こえてきました。鳥です。







ハヤブサです。私たちにしきりに何かを訴えています。何でしょうか?







ちょっとふざけてみました。スミマセン…







この先がまたびっくりです。岩壁の穴の中に弥勒様がいるために、岩壁を登っていかなくてはならないのです。




  


ここからは見えないあの裏側に、弥勒穴と弥勒菩薩様があります。なお達はより安全な道を選んで渡渉。







こちらが、南無当来導師弥勒菩薩様、通称みろくさんです。私たちにも、元気な子供が授かりますように。




  


来る時よりも帰り道の方が怖いです。気をつけてー。




  


帰る時になってようやく気がつきました。弥勒穴よりももっと高いところに小さな岩窟があって、そこから白い汚れが流れた痕がありました。恐らくは、ハヤブサの巣があったのでしょう。私たちを威嚇していたのですね。気づかずにごめんなさいね。




  


この先に、数株だけキランソウ(シソ科キランソウ属)がありました。ジュウニヒトエキランソウ属です。さて、3時間半たっぷり歩いてお腹も減ったところです。かねてから行ってみたかった「和利の家」への行き方を道の駅で聞きました。




  


和利の家 駐車場で、小さな山野草ヒメオドリコソウ」の上に、これまた小さなバッタがとまっています。ワンダフル!イッツ ア スモール ワールドですね。




  


おや、古民家ですね。ここが和利の家ですか。




  


古民家の居間というか座敷というかがお客様のスペースです。店主様方もここで通常の食事をしているのかな?神棚がありしめ縄が張ってあります。




  


和合うどんは終わったそうなので、ゆうめんの天ぷらセットをお願いしました。しかしこのメニューに載っている謎の木彫り人形はいったい…?







来ましたー。ゆうめんの天ぷらセット1,300円です。




  


まず、「和合うどん」というのは堅練りと四回の足踏みによる力と時間をかけ、汁は黒豆の出汁を加えているのが特徴のうどんだそうです。その和合うどんに黒豆と黒米を入れたものが「ゆうめん」なのだそうです。

歯ごたえ良くのどごしつるつるで、美味しいです。体が喜んでごじゃる。




  



帰る際、土間でやっとメニューにあった木彫り人形を見つけました。これが和利の家のマスコットキャラクターですか!ゆるキャラの時代にかなり味わい深いキャラですね…

ご主人の唐沢清治さんにいわれをお伺いしたところ、なんだか普通の知り合いの人が持ってきたものらしい…え!しかもパンフレットも、誰かが好意で作ってくれて、なんでか知らないけれど木彫り人形が載っているとのこと。えーそれでいいんスか!?


うーん(。-_-。)和利の家おそるべし。


和利の家では、ご主人やその仲間が周辺を案内して、その後、和合うどんやゆうめんを食べるエコツアーを実施しています。今後、私からも一押しのゆるエコツアーとして紹介したいと思います。和利の家ホームページはこちら↓


和利の家 農家が営む、うどん屋さん。
http://www.warinoie.com/






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