池の平、三方ヶ峰、火山学インタープリテーション研修会




浅間山麓国際自然学校が行っている、浅間火山インタープリター研修会に参加してきた。今日は池の平をぐっと一周する。ここはかつて三方ヶ峰火山の火口だったことはよく知られるところ。ここを地質学者と一緒に歩き、ご指導をいただくのだ。






  


今日の参加者は14人位。足元にある溶岩や火砕岩をウォッチングしながらまずは村界の丘へ。

  • 池の平は成層火山である。30万年前にできたわりには地形がよく残っている。
  • 火砕岩があるところは火口に近い証拠。
  • 布引観音のところにある火砕岩の壁の様なものは、火山砕屑岩【かざんさいせつがん】。土石流が固まったもので、小諸層群といいう。400万年前に荒船山、100万年前八ヶ岳、30万年前の烏帽子岳の層と重なっている。
  • 村界の丘には溶岩の板状節理がみられる。ここの溶岩のSiO2は57-59%(浅間山は60%)。
  • 古い火山は実は浸食に強い。理由はクリンカーなどは浸食され、硬い溶岩しか残っていないから。


  


村界の丘から見た篭ノ登山と西篭ノ登山。この二つは溶岩ドーム。篭ノ登山頂がややくぼんでいるように見えるが、それが溶岩ドームの特徴として見られるものかどうかは解からないとのこと。古いので浸食されてああなったのかも。
水ノ塔山登山道の地形は、確かに溶岩が流れて止まったところが急斜になっているように見える。




  


篭ノ登山と西篭ノ登山の間に鮮やかな緑色のエリアが見える。あれはクロベだそうだ。上信越で岩場に最も強いのはコメツガだと思っていたが、谷あいのガレ地では、どうやらクロベの方が強そうだ。




  


雷の丘は、かみなりではなく、いかづちと呼ぶそうだ。ここがどうして雷の丘と呼ばれているのかが話題となり、高橋先生の仰る通り磁石を石に近付けてみてビックリ!なんと磁石がくるってしまう。この辺りの溶岩には鉄やチタンが含まれていて、落雷を呼び寄せ、さらにそれによって岩が磁力を持っているようだ。




  


雲上の丘広場に到着。いままで何気なく歩いてきた道だが、足元の岩をよく見てみると、斑模様になっている。溶結火砕岩だ。




  


割れた石の断面を見てみると、マーブル模様が見える。これを丁寧に磨き上げ、プレートにしたものが右の写真。おお、美しい。上に上にと積もっていった火砕物が潰れていったのだ。




  


登山道にある。この凸凹したものも、割るとマーブル模様が出現する。球形では無く、レンズ状形の物の集まり。弱いところが浸食されている。
見晴岳手前の谷は断層だそうだ。なるほど、確かに水流が認められない。




  


見晴岳に登る登山道には凸凹した大きな岩があって、離れてみると溶結火砕岩なのか溶岩のクリンカー部分が浸食された状態なのかが解かりにくい。しかし近寄ってみると、岩の内部が見えていて、密な岩だということが解かる。ゆえにこれは溶岩。




  


見晴岳から西に移動。途中には溶結火砕岩の中に噴石が落ちてきたように見える場所がある。




  


さらに西肩へ。ここには溶結火砕岩を観察できる良い露頭がある。まあるい粒の火砕物が下に行くに従って潰れてレンズ状になっていく様子が解かる。




  


足元には赤い石がゴロゴロしている。これは、再溶結できなかった降下火砕物たち。温度が低かったか、降り積もるのが遅かったのか。赤いクリンカーと間違わないようにしないと。また、三方ヶ峰火山で軽石噴火があった証拠は見つかっていないそうだ。




  


ここから布引観音の方を見る。三角形に出っ張った地形は八ヶ岳の山裾ラインではない。新たに隆起しているのだ。
ここから三方ヶ峰へ移動中に、アカマツが2本ある。そのうちの一本の写真が右(の左がアカマツ)。




  


池の平湿原の上にもう一つの湿原がある。恐らくは別の火口があった、複合火山だと思われるが決定的な証拠はまだないそうだ。
三方ヶ峰に到着。砕けた溶岩が広がる。“さんぽう”ではなく“さんぼう”だそうだ。しかし、ここよりも雲上の丘や見晴岳の方が標高も高く雰囲気も山頂っぽいのに、どうして三方ヶ峰火山というのだろう?
ここではコマクサの群生がある。砂礫の移動速度が早すぎるとさすがのコマクサも根を切られてダメ、移動速度が遅すぎてもほかの植物に浸食されてダメ。だからコマクサはいつも同じような砂礫地に咲く。浅間山は数万年たてば山頂付近は一面のコマクサ畑になるのではないかとのこと。




  


お昼ごはんの後、高橋先生の浅間・烏帽子火山群の岩石プレートを見せていただいた。
これは鋸岳の溶結火砕岩。




  


左は三方ヶ峰火山(見晴岳西方)の溶結火砕岩、右は水ノ塔山の溶結火砕岩。




  


左はJバンド上部の溶結火砕岩、そして右はもっと溶結した鬼押出し溶岩。
溶結火砕岩は降下火砕物の温度と降り積もる量・速度によって溶結度合いに強弱がある。Jバンドのものはかなり溶結が強く、さらにそれが大きく流出したものが鬼押出し溶岩流だそうだ。




  


池の平のメイン湿原に降りるところにある弁慶石は、アップで見てみると横縞が見える。これも溶結火砕岩か。




  


池の平湿原の下には湖だった頃の砂礫が80センチ溜まっている。その上に30センチ以上のクロボクのような層があり、その上に湿原となっている。開放口ができたことにより水が流出したと考えられる。
忠治の隠れ岩は鉢巻山の溶岩ではないかとのこと。




  


開放口は深沢川源流の一つ。やがて川は池の平湿原を取り込んでしまうだろう。火山の火口は最終的には必ず上ってきた沢に呑み込まれ、消えていく運命にある。
この辺りに見られる角の取れた石は、湖の底にあった礫とみなすことができる。




  


しかし、雲上の丘付近の下は、そこだけが一面の笹畑になっている。溶結火砕岩のところは、地面が動きやすかったのだろうか?またその左右も植生が違う。森林遷移や植生を考える場合、基岩の性質も考慮しなくてはならないということが解かる。
そして、めったに進むことが無い東歩道を進む。




  


縞模様の流理構造溶岩を見たり、クリンカーが浸食された凸凹溶岩があったりと。




  


途中から湯ノ丸高峰林道が見えた。深沢川の浸食に全力で抵抗しているこの林道は、あと100年は持たないように見えるが…
そんなことで、池の平、三方ヶ峰、火山学インタープリテーション研修会は終わりました。講師の高橋先生、そして研修会を実施してくださっている浅間山麓国際自然学校さん、今日も有意義な研修会をありがとうございました。