浅間火山ガイド研修会 (高峰山 〜 高峰温泉口 〜 水ノ塔山 〜 篭ノ登山 〜 池の平駐車場)



浅間山麓国際自然学校の浅間火山ガイド研修会に参加してきた。火山学分野の専門家を招き、浅間山周辺をガイドした時に、火山についてのガイディングもできるようになりましょうということだ。


浅間火山インタープリタとまでなると、かなり専門的な知識を要求されてしまいそうだが、浅間火山ガイドくらいであれば、勉強すれば誰でもなれるかも。日本は欧米と比べ植生が豊かで動物も多く、生き物に目を奪われがちであり、そのため実際のガイディングでも動植物に偏る傾向にある。一般の方だけでなく、ガイドについても地学が足りていないそうだ。浅間山麓国際自然学校と、“国際”と名前が付いていることからも、火山学をガイドに学ばせるのは大正解だと思った。




  


当日は二人の先生を含め14人のパーティーとなった。まずは高峰山から登る。
今回のメイン講師は高橋康先生(信州大学理学部技術職員)。




  


見晴らしの良いところで、高橋先生による解説が始まる。

  • 浅間・烏帽子火山群の西端は角間渓谷、岩屋観音あたりまで続く。約100万年前位から活動を始めた。
  • 高峰山は20万年前位。成層火山である。
  • 根子岳四阿山は70万年〜80万年位前。
  • 高峰山の火口は、どこだったのかは解かっていない。地表は植物に覆われおり、例えば黒斑山の白ゾレなどの腐食が見あたらない。
  • 登山道に転がるのは安山岩の溶岩。表面がゴツゴツしたものはクリンカーが浸食された状態。四角く割れた緻密な溶岩との違いを理解する。


  

  • 柱状節理は溶岩が流れたラインに沿ってできるので横に並ぶ場合が多い。場合によっては凝固中に別の力がかかり、曲がったりすることもある。
  • 高峰山の稜線というか長い鞍部は、二つの火山が繋がった場所なのかも知れない。


  


それにしてもいい天気だ。富士山、八ヶ岳の景色が素晴らしい。




  


稜線を進み、最高地点まで来ると大きな溶岩がある。溶岩の下部は浸食され、凹んでいる。




  


凹んでいる部分は、クリンカーが浸食された跡だと考えてよいとのこと。軽石に似ているがそうではなく、あくまでも溶岩の外側にできる、ガサガサしたコークス状の岩石。




  


溶岩の裏側に回ってみる。思わず、浅間山の火口に住む鬼がこの溶岩を浅間山から投げた時に握った跡」と伝説を作ってしまいそうだが、溶岩の中にあった気泡が抜けきらずに固まった跡だそうだ。




  


溶岩の上の方はJバンドで見たものと似ている。軽石などが降り積もって再溶結し、溶岩に戻っていったのかも知れない。




  


足元の溶岩を割ってみると、こんな感じ。「これが高峰山の溶岩です。」といわれても、ちょっと私には見分けがつかないが…。まあ、花崗岩の、結晶になって無いやつってことでしょ?緑色の小さな結晶はカンラン石だそうです。白い長石、黒い輝石も入っているそうですが…



  


稜線の道を分岐点まで戻り、高峰温泉・水ノ塔山登山口方面へ進みます。




  


途中で水ノ塔山・篭ノ登山がよく見えるポイントがあり、そこから赤ゾレを眺めると、確かに溶岩流の流れた跡が見える。右上から左下に流れたようだ。




  


高峰温泉まで下り、水ノ塔山・篭ノ登山登山開始。開けたところで講義開始。

  • 水ノ塔山は30万年〜10万年前にできた。
  • 浅間・烏帽子火山群は成層火山と溶岩ドームの集合体。
  • 溶岩ドームがあるところは、火砕流を伴うことがある。例えば離山溶岩ドームができた際に、雲場火砕流が発生した。
  • 溶岩ドームは下から盛り上がってきて、もっこりとした地形を作る。粘り気のあるデイサイトの方が溶岩ドームはできやすいが、安山岩でも十分にできる。


  



トーミ断層がよく見える。浅間山の活動が最も盛んだった、仏岩期(24,000年前〜13,000年前)にできたそうだ。
途中、山ガール達とすれ違ったが、この位のコースではやはり、ガイドは必要ないのだろう。




  


足元の赤い石は、朱色の赤なのか、茶褐色の赤なのかででき方が全く違う。朱色の赤はレンガを焼いた時に出る赤と同じ原理。高温の溶岩が空気に触れ、酸化して赤くなった。緻密な溶岩の表面であったり、空気が混じった軽めの溶岩は深部も赤くなることがある。
それに対して茶褐色の赤は二次的な酸化。硫黄を含む火山ガスや酸性雨等により鉄さびにより茶褐色になった。


登山道の真ん中にゴロンとある水飴模様の石は、上から転がってきたもの。粘り気のある溶岩が上がってきて捏ねられた状態。泡が多いところ、弱いところがが凹む場合が多く、雨風に浸食されてなお凹んでいく。溶岩ドームでよく見られる岩で、玄武岩安山岩流紋岩よりも縞が細かい。




  


お昼ごはんを食べて、研修登山再開。水ノ塔山の溶岩は粘り気があり、一枚の溶岩は厚い。冷えるのに時間がかかり、そのために気泡も多くなり、比較的軽く、岩の深部まで赤く酸化している場合がある。




  


この登山道はなだらかになったり急になったりが交互に出現する。急なところは溶岩流が止まったところ。かなり険しいところもある。山頂に近づくにつれ溶岩は緻密になってくる。




  


途中、火砕岩の様なものが見られた。さらに、縞模様が入った溶岩を確認。高橋先生によると、これまで水ノ塔山は単純に数回の溶岩流が流れてできた山だと考えられてきたが、もう少し複雑な形成史があるのではないかとのこと。持って帰って調べてくださるそうだ。




  


水ノ塔山山頂に到着。いつもは逆コースで登るので、結構きついコースなのだと改めて実感する。しかしこの山頂からの景色だけだと、この南側に大きな火口があったのではないかと思えてしまう。まるで根子岳四阿山・浦倉山の景色のようだ。しかし、三方ヶ峰や篭ノ登山は水ノ塔山と別の由来と見立てられているのだ。


この山頂から北側に回り込むようにして降り進む。ここにはクロベの群生があり、同様のものは志賀高原草津で見るが、先生方に地質に共通点があるか訪ねたが、特になさそうだ。森林遷移がなかなか進まない岩場に群落を作るということだけらしい。




  


水ノ塔山を下り赤ゾレに出て、後ろを振り返る。すると、水ノ塔山山頂の溶岩は赤ゾレの上を流れているのが解かる。赤ゾレがかつての火口壁だったとすると、その火口とは別の場所から噴火し溶岩が流れたことになる。水ノ塔山の火口は山頂の南北どちらにあったのか、また移動したのかもよく解っていない。


足元の石を拾ってみると、赤く酸化した軽めの溶岩が白く腐食していることが解かる。




  


水ノ塔山から篭ノ登山に続く稜線は七千尺コースと呼ばれる。
最も開けた場所では、腐食の色が赤と白にグラデーションしていた。




  


岩はどんどん腐食し粘土化していくが、やや硬めの岩は腐食に時間がかかっている。さらに進むと、もっと硬い岩の場所に出る。ハンマーで岩を割ろうと思ってもなかなか割れない。七千尺コースで腐食していないところは、硫黄を含む火山性ガスが上がってこない場所だったか、岩が硬かったからなのだ。




  


後ろを振り返ってみると、溶岩流の深部、もしくは硬いところが腐食を免れてラインを作っているのが解かる。




  


篭ノ登山に近づいてきたところで、通常は横になる板状節理が縦になっているところを発見。横に流れて固まった後に、別の力、例えば隆起などの力がかかったのでは?という質問に対し、先生は、「そうかもしれないが、下から持ち上がってきて上に流れた可能性もあります。」と仰った。


板状節理でできた平たい石を鉄平石という。ガスを含まず、緻密な硬い溶岩流が固まった石。別の山の話だが四阿山系にはかなり山麓の方までこの鉄平石が多かった。




  


そして、篭ノ登山に登る。篭ノ登山は溶岩ドームらしい。下から溶岩が持ち上がってきてできた山なので、とにかく急なのだ。途中、雰囲気の良い針葉樹林を通る。




  


篭ノ登山山頂に到着。しかしいつ来ても景色のよい山でびっくりする。ここには、一等三角点がある。


  


そして、池の平駐車場に降り、研修会は終了。皆さん、大変お疲れさまでした。
次回の11月3日にまたお会いしましょう!