鎌原様を鎌原にお連れし鎌原様にご紹介




東京都在住の鎌原様という方からお電話をいただいた。なんと、嬬恋村鎌原地区にあった鎌原城と縁のある方だとのこと。私のこのブログを見て、鎌原城址に連れて行ってほしいとのご依頼だった。






  


軽井沢に鎌原様をお迎えにあがり、さっそく鎌原城址へ。しかし鎌原城跡は現在はキャベツ畑などの畑と高圧線の鉄塔があるのみとなっており、見まわしたところで感慨にふけられる要素はない。ここにあったとされる看板と案内杭が残るだけである。そして、鎌原氏のお墓にご案内した。




  


墓碑には鎌原氏の元となる下屋将監幸房の名前から始まり、歴代の鎌原城主の名前が刻んである。最後にはこの墓をお作りになった鎌原忠司様の名前があった。ただし忠司様はすでに他界している。


そして、【頼朝廟】という不思議な碑を発見。碑にはこう書いてある。

頼朝廟
建久四年 源の頼朝公の浅間野の狩から茲に八百年
時と武功により鎌の字を賜うと伝う故事に因んで
鎌原命名を記念して再び建立

平成七年一九九三秋 兼原郷 鎌原館


嬬恋村誌によると鎌原氏は下屋将監幸房の孫の幸兼氏より発生しており、幸兼の“兼”の字を引用しただけかと思っていたが、そんな由来の話があったとは!?。建久四年(1193)の将軍浅間野の狩りの時代と鎌原幸兼氏の年代は、確かに合っている。ただし、浅間野の狩りは、あくまでも伝説であるが…




  


昼食は、鎌原観音堂近くの仁天堂さんにお世話になることにした。自家農園で栽培した野菜・米、近くの山で採った山菜など、嬬恋の素材を使った料理が味わえる。和食をベースに、独創的なアイデアと季節感を大切にしている。和会席膳はお一人様3,500円。


仁天堂(オーガニック料理、和食)http://rp.gnavi.co.jp/3017163/


ここで、ようやく鎌原様のことをいろいろとお伺いすることになった。鎌原様は八代目当主の鎌原重俊氏の末裔で、松代鎌原氏の子孫だった。松代には先祖のお墓があるのみ、引き払って東京に住んでいらっしゃる。しかも、なんと鎌原様は従業員1万人規模の一部上場大会社・三菱レイヨン株式会社の社長様でいらっしゃった。これは御見それいたしました。


三菱レイヨン株式会社(鎌原正直様のご挨拶)
http://www.mrc.co.jp/company/president.html




  


なるほど、それで昼食処も美味しい店を求めていらっしゃったのですね。でも、大丈夫です。ここなら、どなたにでもご紹介できますので。


この凝った前菜をご賞味ください。自家製野菜のオーガニックの料理が次々と出てきます。




  


ふんわりとした葛もちが入ったお吸い物、氷の器で出てきたギンヒカリと岩魚のお刺身。




  


ズッキーニのお料理。最後のデザートは青竹に入った羊羹。




  


そして鎌原在住の鎌原さとし様と御面会。さとし様は鎌原氏のお墓を建立した忠司様の息子さんだった。そして、鎌原正直様のお父様が、忠司様を訪ねてお見えになったことを覚えていらっしゃった。さらに、さとし様も以前に、何らかの問い合わせを正直様にEメールでしたことがあるそうだ。全くの知らぬ仲という訳ではなく、ご自分の親御さんたちが祖先のことをいろいろと調べていた頃と同じようなことをこれから自分たちはしていくのだということに、感慨ひとしおだったようだ。この時間を作れて良かった。


ところで、鎌原忠司様がお墓を建てる前は土饅頭だったらしい。また、吾妻の名刹・常林寺は鎌原氏が開基したなど、さとし様にはいろいろと教えていただいた。




  


その後、鎌原氏と縁のある場所をいくつか訪問。昼食の料理に使われていた鎌原きゅうりを買ったり、廃校となる鎌原小学校で記念撮影したりして、軽井沢プリンスホテルにお送りした。ひょんなことからのご案内だったが、ブログをやっているとこのようなこともあるのだろう。私の住まいも今は鎌原だし、いい仕事をさせていただいた。とてもいい気分。