嬬恋村自然体験学習プログラム下見会



昨日のこと。6月22日〜2日間、浅間・吾妻エコツーリズム協会でお世話をさせていただく学校団体の下見会を行った。浅間山火山学習、キャベツ植え付け体験、鎌原観音堂と鎌原集落の学習、愛妻の丘、バラギ高原散策…と、盛りだくさんの内容となっている。




  


まずは浅間山火山学習から。旧ゲレンデ跡地でペットボトルのコーラを、




  


噴火させる。マグマに溶ける水分を、コーラに溶ける炭酸に置き換えて考える。上から激しく飛び出すのはプリニー式噴火の際の軽石に見立てられる。1783年浅間山大噴火では軽石と溶岩が一緒に出た。また、白い軽石と黒い石については、水が最後まで残っていたものは激しく発泡し軽石に、残っていなかったものはあまり発泡せずに黒い石になったともいえる。




  


次に、浅間記念館の横で鎌原熱雲の証拠を探す。うまく炭が見つかるかな?
ただし、この説明はテクニカルであり、説明する側も、聞く側(中学一年生)にも難しいのではないかと言われた。





浅間園自然遊歩道の入口。ここには『鬼押出し溶岩入口』と看板があるが、早川先生的にはここでは鬼押出し溶岩入口だとは言いたくない。その理由は先にすすむと解かる。




  


望遠鏡がある場所付近で、地図を広げさせ現在の位置、見えているところの火口からの距離などを確認する。


遠くの景色が見えているようなら普通の山と火山の違いを話しても良い。山は、今も隆起しているから山である。隆起を続けていなかったら、浸食されて完全な平地になる。普通の山は1年間に1㎜〜2㎜隆起すると考える。1000年で1m。100万年で1km。谷川岳も200万年位かかってあのような高さになった。しかし正解では隆起しているだけではなく、沈降して行っているところもある。その一つが関東平野




  


ここから見晴台までは自然観察をして歩く。ところが、観察地点看板の『アカマツとカラマツ』は、どこにあるのか解りにくい。 → 私たち、エコツアーガイドが必要です。





ヒカリゴケ観察地点はあまり広くないので、学生団体などを連れて歩く時は渋滞してしまうかも。




  


ハクサンシャクナゲは、たまに、花弁のように明るい葉を先端につける。この葉は、成長するときちんと青々しい緑色になるのだろうか。




  


遊歩道沿いにホオノキが出現。ホオノキはある程度土壌が良くないと芽吹かないと考えていたが…、半陰樹という認識も持っていたが、ここの様子が変わってきた証拠なのかも。

見晴台の手前で、釜山スコリア丘が溶岩に運ばれてきた様子が観察できるポイントがある。つまり、見えている奇岩は全てスコリア。溶岩と呼ぶのには相応しくないらしい。見晴台付近からは溶岩が露出しているので、溶岩の構造などについてはここ以降にした方が良いとのこと。




  


見晴台で、かつて存在した柳井沼のことを考える。早川先生は、柳井沼は1783年8月4日の夕方には溶岩が蓋をしたのではないかと考えている。5日の10時に鎌原土石なだれが発生するまで、その状態で半日はもったことになる。

干川満さんは嬬恋村誌…あたりで、鎌原村住民が溶岩を堰き止めるために木で柵を作ったという話があったと仰った。溶岩は、さすがにそれでは止められないでしょ!?




  


100万年で1km高くなる普通の山とは違って、浅間山火山は1000年で1km高くなる。だから噴火や地震で大崩壊する可能性がある。先日の地震で富士山が崩壊しなかったのは奇跡的らしい。


ところで、唐沢雅夫先生の本では吾妻渓谷は8000年前の地殻変動でできたとあり、黒岩憲司先生は千曲川層というものが佐久平嬬恋村内にあることで、吾妻川佐久平に流れていたとしている。両者はどちらも、吾妻川はかつて佐久平に流れていたとしている…が、この説は間違っているとのこと。


吾妻渓谷は菅峰山塊が100万〜200万年かかって隆起したので、たまたまそこに流れていた吾妻川が浸食しただけで、さらに佐久平にある地層は確かに高羽根沢の旧嬬恋湖層に似ているが、正式に成分分析すると違うはず。昔は見た目で同じものとしてしまったのではないか。15年ほど前から軽石が生まれた年代が確定できるようになった。嬬恋湖層は20万年前のものであり、5万年ほど前からできた現在の浅間山との関連性は認められない…らしい。




  


ブロック溶岩観察地点。ここでは、ブロック溶岩のでき方を絵で書いて説明しても良いし、できれば手で触れさせて、マグマの中には鉱物の結晶があることを学ばせる。元々マグマだまりの中には結晶が粗目状に含まれている。花崗岩は10万年かかって冷えてできるからさらに結晶が発達し斑が大きくできるが、溶岩は1年で冷えて固まる。結晶が発達しない。

しかし、見て触ってみて、白いのは斜長石、黒いのは輝石など説明しても良い。




  


柳井沼の底のに到着。この付近を掘削して調査した方がいたが、溶岩の層は80m位あったそうだ。
練り歯磨き構造、もしくはマヨネーズチューブ構造の溶岩を観察。




  


早川先生は、この亀甲状に割れ目が入った溶岩は、空冷ではできない、水冷だからこそできると仰る。


他には、千トン岩は実際には三千トンくらいあること、ちょうど火口の12時の方向にあり、ヘリコプターから見ると位置の確認になる。1950.09.23に火口から出たのが千トン岩、2004.09.23に火口から出たのが100トン岩…などのお話しをしてくださった。




  


次に鎌原地区を下見。まずは郷土資料館で学習。有史以来の大きな噴火は3回あった。その中でも1108年の噴火はとても大きいものだった。

鎌原集落を歩いて学習。延命寺は鎌原観音堂とそんなに高さは変わらないが、土石なだれに埋没してしまった。





古民家の大きな梁。東日本はこのようにへの字に使うが、西日本は逆に、しの字のように使う。への字だとある程度までは丈夫だが、大きな力がかかると家の寸法が長くなりくるってしまう。しの字だと大きな力がかかればかかるほど内側にギュッとしまり、丈夫になる。Oさんは西日本の方が建築技術は優れていると考えている。




  


鎌原の郷倉は集落消滅から5年後にできている。嬬恋村人の生活力が伺える。ところでこの土壁には稲藁が含まれているように見える。当時は米など作れなかったはず。どこからか藁だけ持ってきたのか、それとも、稲では無いのだろうか。




   


道路際の大木は、Oさんの見立てでは一本1000万円はするらしい。末端価格では3000万円とのこと。善光寺は3000万円の柱を180数本使っている。しかし、ケヤキは伐った後、すぐ使うとくるうので、20年は寝かせるそうだ。だから、木を売る方はあまり儲けられない。

しかし、ここの一番の大木は秘密の場所にある。直径2mを超す巨木があるのだ。この巨木の上で、ツリーハウスをつくれたら、最高の場所になると思う。




  


次にバラギ湖へ。前半は何もないが、湿原に入るとオオヨシキリがしきりにさえずっている。オオヨシキリに托卵するカッコウも、縄張り争いする鳴き声が聞こえた。





一周ぐるっと回ったところに、なぜかアスパラが群生している。昔、ここに青少年野外活動研修センターがあったから、種が飛んだんだろう。いつか採りに来よう。




  


うわっ、大きなアスパラだ…と思いきや、なんとこれはシオデ。山のアスパラとして名高い山菜。採って帰りたかったけど、他に見当たらない。ここでは希少そうなのでそのままにしておこうっと。