DREAM POCKET 千木良様 と三原−草津、草軽電鉄を偲ぶ探索





DREAM POCKETの千木良様が、嬬恋に弘法大師にまつわる場所があるなら訪ねてみたいとのこと。早速、家族でお見えになった。






  


まずは弘法大師が杖をついたら水が湧き出てきたという清浄法水に。ここは、清水法水(清水屋の井戸)とも呼ばれる。最近、また何かの記事で載ったらしく、源頼朝が巻狩りに来た際、この水を愛飲して家来に汲みに来させたという伝説が紹介されていた。




  


次に阿弥陀堂へ。ここには珍しい仏像、ちょっと変わった仏像など、いろいろな仏像が安置されている。真言宗の住職でもある千吉良さんは弘法大師の気を感じ、印を結びお経を唱えられた。

足元にはオドリコソウ(シソ科オドリコソウ属)が。あ、味見するの忘れてた。




  


この後、草津方面に向かい、草軽電鉄の関係を偲ぶツアーとなる。まずは県道59号線と国道292号線の合流地点へ。ここから、六合村との県境をかすめながら草軽電鉄廃線跡の軌道敷が残っている。
道路の状態が解らなかったが、千吉良さんがこの車でどんどん入っていく。私も冒険する方なのだが、高級車ではちょっと…




  


案の定、一般人だと引き返すような凸凹道に。車体が激しく傾く。しかし、それでもプロドライバーなのでどんどん進む。
やがて、看板が出てきた。むかし道(電車道コース)一の沢 とある。そうか、そのまま残っていたんだ。




  


途中、左側は大きな岩が崖のように露出しているところがあった。ダイナマイトで道を開けたのか、はつりの機械を使ったのか。それとも、元々の地形だったのだろうか。場所によっては岩を崩して道を開けたように見える。

写真は撮らなかったが、軌道敷の地中には丸太が結構埋まっていた。あれが、当時の枕木のままなのかは微妙。結構しっかり残っていたので、地中に埋めて半世紀を経過しても、ああまで分解されないかが判断できない。




  


ようやくアスファルトの道に出た。ここは本白根第1グランドと書いてある。
しかし千吉良さんは、この車高の車でよくあの道に入って行ったよな。一般の方は車をダメにしてしまうので真似はおやめください。




  


草津の町中に入ってきた。軌道敷跡をそのまま走ると浅間台公園という小さな公園が右側にあり、草軽電気鉄道 草津温泉駅跡 の碑がある。が、それ以外は何もなく寂しい感じもする。




  


そして、今日の昼食はうし代亭で。初めて入店した。料理を待っている間、千吉良さんの子供たちが手品を披露。




    

ここは蕎麦が美味いらしい。千吉良さんの奥様はお餅が乗っている蕎麦を注文。私は小林さんの美味いそばを食べたばかりなのでなべ焼きうどんをいただいた。体を温めて、次に出発。




  


次はホテル櫻井の向かいにあるまんじゅう屋、亀屋へ。ここも千吉良さんいきつけのまんじゅう屋。




  


亀屋のご主人に初めて会った時は、「なんて偏屈なオヤジなんだ」と思ったらしいが、まんじゅうを食べてみてあまりにも味が良いので、ファンになってしまったそうだ。

皮の部分がふんわりしていて、あんこがまったりしている。ぼそぼそしていない。あんこと皮が口の中で仲良くとろけて行く感じ。まんじゅうが苦手な私でも二つも三つも食べられる。




  


こだわりの亀屋まんじゅうは保存料などは一切使用していなく、宿泊施設での販売や地方発送もしていない。そうか、今後まんじゅうを買う時はこういうポリシーがあるところで買おう。




  


そして、草津温泉共同浴場こぶしの湯」へ。ここは外れにあるので観光客がほとんど来ない。管理してくださっている地元の方に感謝して入湯。いい湯だ。




  


帰りは道の駅に寄って、草軽電鉄の機関車「デキ12形」のミニチュアを見学。今日はエンジニアが一緒なのでいろいろと話を聞けた。
例えば左の写真は草津行き、右の写真は軽井沢行きとなる。機関車のヘッドライトは外して進行方向側に付け替えて進んだそうだ。




  


そして三原に帰ってきてから、地元きっての鉄道ファンでありインタープリターである剣持さん宅を訪ねた。しばらく見ないうちに鉄道模型部屋にはまた新たなジオラマが!今度の作品は「JR吾妻線 不動大橋通過」と来たもんだ。おお、特急草津号の姿もある!




  


そして、剣持さんからまた地元の新ネタが。熊川良太郎さん、霜田茂さん、え!山本五十六からの感謝状? うーん、ちょっと今日いきなりでは吸収できない。

とにかく、剣持さんの親戚で霜田茂さんという、優秀なパイロットがいて、敵の戦艦を沈めて山本五十六から感謝状をもらったことは間違いない。今度ゆっくり聞かせてください。




  


いよいよ千吉良さんが剣持さんの草軽電鉄上州三原駅ジオラマとご対面。嬬恋村三原の地元住民が草軽電鉄にかける熱い思いが伝わってきたようだ。

ところで、南木佳士(なぎけいし、本名:霜田哲夫)さんの父親は草軽電鉄の技師長で、機能紹介した凸型のデキ50号も、その方が設計したそうだ。時を経て今、そのデキ50号は千吉良さんがミニチュア模型を製造販売している。これが出会いというものなのでしょう。




  


ところで、剣持さんの名字の方のご先祖様は、日本武尊が東征の折り、碓日坂(嬬恋では鳥居峠としている)を通る際、郷原から碓日坂までの間を、草薙の剣を持たされ警備にあたったために名をもらったという。


愛妻家の聖地として嬬恋村が注目を浴びることは剣持さんにとっても、絵を画いた90歳の黒岩憲司先生にとっても喜ばしいことのようだ。地元がこんなに応援していることを、日本愛妻家協会と役場はもっと知ってほしいし、共に歩み築き上げれるものを創出してほしいと思う。私も微力ながら力になります。