赤木家と北海道へ 二日目

札幌を出発し、今日は生まれ育った故郷、北広島をまわってみる。家を出てもう20年以上経った。私のアイデンティティを形成した風景はどんなだったのか。今日は自分のルーツをたどる日である。


 


途中、本屋の看板が逆さになっていたので撮っておいた。これはインパクトあるわ。
かつて通った中学校は、「北の台小学校」として使われていた。


 


学校へ通った道のガードレールは車の通行ができなくなり、思い出のある踏切も閉鎖されていた。20年も経っているのだからあたりまえとは解っていても、記憶の風景を現実に置き換えるのは容易ではない。


 


子供の頃、遊んだ沢に入ってみる。私を育ててくれた自然環境をもっと具体的に知りたい。
しかし、残念ながらこの黄色い実がなる樹木は、あとで調べても解らなかった。


 


林床にはハイイヌガヤがたくさん見られた。もしかしたら家の神棚に奉っていたのは、トドマツではなくこれだったのかも知れない。


 


そしてこんなところに北広島ようちえんの野外施設が。園児専用運動場「やかましの森」という。ホームページを見るに、毎日ここまで園児を送迎し、森の中で子供たちをのびのびと育てているのだ。ドイツなどの「森のようちえん」システムを日本で取り入れ、実践していたのだ。素晴らしいではないか。
コシアブラの樹が普通にある。北海道人はコシアブラをあまり食べないかもしれない。


 


あったあった、トウヒにそっくりの樹、エゾマツ(マツ科トウヒ属)が。だから万座のトウヒにも違和感がなかったのだろう。葉は尖っていてチクチクする。


 


そしてこれは、クロベ(ヒノキ科クロベ属)としか考えられない…が、私の持っている図鑑では北海道には分布していないことになっている。見つけた場所は若干過去の人工構造物に近かったので植えられた可能性があるが、それにしてもクロベが売られているのは不自然だ。もしかしたら、北海道にはクロベが分布しているのかもしれない。


 



養護学校の下では、子供の頃タケノコ狩りをした思い出がある。覗いてみると、やはりまだあった。一帯はネマガリタケの群落地だったのだ。


 


そしてレクの森へ。入ってすぐに、散策路のど真ん中にギョウジャニンニクユリ科ネギ属)を発見。以前はたくさんあったが、採られて無くなりつつあると聞いていたが、まだ普通にあるみたいだ。
この植物は、群馬県玉原のブナ林で見たエゾユズリハトウダイグサ科ユズリハ属)によく似ている。降雪地帯だから同じようなものがある。


 


そして、子供の頃、70ℓ〜90ℓのビニール袋がいっぱいになるほど採って帰ったフキサクラシメジ(ヌメリガサ科ヌメリガサ属)が。図鑑では味区分Cとある。あまりおいしくないきのこなのに、母は困ったろうなあ。


 


左のは不明植物だがやけに多い。記憶の中にもある植物だが何だったろう?
しかし、美しい落葉広葉樹林だ。巨木もごろごろしているし。この森を探検して育ったのが私なのだ。そして私が嬬恋や草津に馴染んだのは、やはり自然環境が似ていたからなのだろう。


 


英美子が気にかけたのはこのオヒョウ(ニレ科二レ属)。名前がおもしろかったみたい。


 


凄い株立ちの樹木があるなあ、と近寄って見るとホオノキだった。普通ホオノキはこのような株立ちになることは珍しい。見たところ元々の幹が枯れかけていて、根株から新しく光合成をするための幹を発生させているように見える。いわゆるひこばえだ。




さて、この森で、どうしても調べたいことがまだある。私の家は子だくさんで、親は共働き。幼少の頃、親にあまり構ってもらえず、この森でよく一人で遊んで過ごした。ターザン遊びをしたり、きのこ狩りをしたり。そして時折り、黒くて頭に赤いラインのある、大きなキツツキが「キキーッ、キキーッ」っと鳴いているのや、大きなドラミングの音を聞いていた。嬬恋の森で、アカゲラアオゲラを見て、聞いて、なんて声も姿も小さいキツツキなんだって思っていた。


やがて大人になって、クマゲラは日本でも、ほんの一部にしかいない、絶滅危惧種だということを知った。私が子供の頃聞いて育ったはずのあのクマゲラの声や音は、もしかしたら大人になって自然保護活動家を気取ってからの幻想なのかもしれない。
だから、クマゲラを探して歩いていた。しかし聞こえたキツツキの声はオオアカゲラのものだった。


 


そこへ、ホオノキの葉を拾っているおじさんに出会った。堆肥にするのだという。毎年この時期は必ずここにきて同じことをしているそうだ。このおじさんなら、知っているかもしれない―――


「ああ、クマゲラは、いるよ。俺も好きだから、調べたんだ。よく頭の上で鳴いているよ」


―――ここに来て良かった。やっぱり、クマゲラだったんだ。


また、レクの森入り口にあった北海道札幌養護学校共栄分校近くのショップの名前は「クマゲラ」というそうだ。養護学校の職員さんが教えてくれた。


 


そして、北広島を出る前にお祖父ちゃん、後藤寿一さんの家に。凄い人だった、北海道新聞の記者で考古学者。自分の名前の遺跡もある。私に剣道を仕込んでくれた人だ。90歳にして、


「宇宙には未確認生物がいるかもしれない、光の速さでも宇宙人は数千年かけないと地球に来れないというのは、私たちの地球での今程度の科学の理論だ。彼らには、そんなことは無関係な科学技術で、なんてことなしに地球人を傍観しているのかもしれない。」


なんて話を聞かせる人だった。でも、その家は跡形もなく消えていた。大きな実をつけるクリの木はあのままだった。そして畑に行く道はトクサ(トクサ科トクサ属)で覆われていた。


子供の頃、私に刃物の使い方や、剣道を仕込んでくれたおじいちゃんの痕跡は何も残っていなかった。しかし当時、時を同じくした私たちや、樹木や草花はこのまま生き続ける。お祖父ちゃんが生きたことで、私を形成するアイデンティティに影響を与えたように、この植物の遺伝子にも、刈るタイミング、枝打ちするタイミング、実を取りどうにかした様子などは、その遺伝子にも影響を与えているだろう。


だから、私たちが後藤寿一さんのことを知っていて、彼の発するものに触れて、そのことを何か覚えていれば、それでいいと思う。彼が残したものは、私たちの記憶と遺伝子深くに記録されている。それで、私たちが子孫を残し、遺伝子に書き込み繋げることができれば、それでいいのだ。故人の本望だと思う。


 


美重子お母さんと落ち合うまで時間があったので、三井アウトレットモールに寄って、弟子屈ラーメンを食べて、その後ぶらぶらした。英美子さん、俺の回想山行につきあってくれてありがとう。もう北海道のことは、全て解決したよ。