もう一つの浅間山ルート 調査登山



浅間山の登山口は現在、車坂峠と天狗温泉にしかない。つまり、小諸市にしかないのだ。
嬬恋村を象徴する山であり、近年において噴火と人の営みのドラマは嬬恋側で激しく展開されていたのに、私たちの心の拠り所となる山なのにである。


ひょんなことから昭和30年代の古い地図を手に入れた。そこには、れっきとした鬼押出し溶岩流を横切って浅間山に向かう登山道が記されてある。かつて嬬恋村が正式に開けた登山道だったと聞いた。


今後、非常に立場は悪くなるかもしれないが、削除命令が出るまで、記録のためにここに載せることにした。できれば、私が嬬恋村民として案内する浅間山ルートはここになればいいと思う。


 


浅間園の旧スキー場跡地から入り、昔のリフトの滑車の少し上から旧登山道が出てくる。
旧登山道は、解る人が見れば解る程度。初めは広いがすぐにけもの道程度になる。途中からは地形がしっかり頭に入っていないと迷う恐れがある。


 


そのうち、谷地形を登っていくことになるが、ここで谷の右側に、厚い岩が覆っているのが見える。えー?まるで吾妻火砕流みたい。ここまで流れていたの?

そして足元には人工の構造物が。排水…の関係かな?昔、このルートはどのように使われていたのだろう。


 


さらに上に登ると、左側にも溶結した一枚岩…火砕流が見える。吾妻火砕流かと思って早川由紀夫先生に聞いてみると、これは3世紀末に流れた小滝火砕流であるとのこと。それでも、新発見であることには違いない。


 


やがて、鬼押出し溶岩と舞台溶岩の隙間の狭い場所を抜けて、鬼押出し溶岩流の上へ。
この抜けるところは結構険しい。


 


上に出ると、まだ森林化していない、植生遷移段階にある溶岩流を見られる。上の舞台溶岩の上にある鬼押出し溶岩と見た目が違うのは、ここに吾妻火砕流が流れているからだ。舞台溶岩の南にある鬼押出し溶岩流は穴だらけで歩くには危険すぎるが、ここは歩ける。吾妻火砕流が隙間を充填してくれたのだろうか。それでも、いくらか穴があるので、足元には十分注意して進む。


 


進むとすぐに、左上に寄り道できるところがあることを知る。どんな場所が寄ってみると、鬼押出し溶岩流の東端まで行った。すると、南東に大きな溶岩の高まりが見える。ああ、これが舞台溶岩をハイキングした時に、向こう側から見えた壁か。


 


この溶岩の高まりは、目立つしポイントになるので名前をつけてやるべきだ。…そうだな、早川先生の地質図を見ると…鬼押出し溶岩流がちょうど北に飛び出す虎のように見える。すると、この場所は虎のチ○コだ!げっ、その名前はないだろ。虎チン。
っつーくだらないことを考えながら、次のポイントへと進んだ。


 


そして、なぜか溶岩流が途中で無くなってしまうような場所に出る。これはどういうことだ?少し低くなっているようにも見える。もしかして鬼押出し溶岩も、釜山火口からいくつかの筋になって流れてきたのだろうか?


 


西の鬼押出し溶岩流が迫る。険しい道だったが、コース設定が良いのだろう。難なく進めた。溶岩流の中でも、スコリアラフトでまとまっているところは穴ぼこは少ないみたいだ。


 


西の鬼押出し溶岩流の上で東の溶岩流を振り返る。高いところに平坦面が断続的にあるが、早川先生によると、あれが吾妻火砕流だそうだ。
のっぽのスコリアラフトの脇を通ってさらに進む。


 


お弁当を食べて、逆さ馬の下の方あたりから溶岩流を降りる。ここも非常に降り安い場所だった。
少し登ってから振り返ると、逆さ馬のあたりは地形的に凹んでいることが解った。鬼押出し溶岩流は、低くなっている谷間を埋めるようにして流れたのだ。


 


ここからは、しばらく溶岩流に沿って登ってみた。この風景は他ではなかなか無い。
いい感じの噴石を見つけた…が、なんとこれは板目石の火山弾ではないか。板目石!?これまで、数人の火山学者から板目石が生まれるプロセスを聞いたが、流れたもの、積もったものから生まれると聞いた。しかし、このパン状火山弾を見ると、浅間山の溶岩は、初めから冷えると板目石状に割れ目構造ができるということだ。うん、まさに生きたインタープリテーション。


 


この前掛山北斜面で、ようやく吾妻火砕流の痕跡を見つけた。専門的なことはうまく言えないが、この溶岩の欠片の間を赤いものが充填するように溶結しているのが吾妻火砕流の特徴。確かに、今朝見た小滝火砕流とは違っている。
そして、Jバンドの下に到着。


 


Jバンドを登って行く途中に、右に降りて行くように道がついている。これは、間違う可能性だってあるな。ちょっとどこに行くのか調べてみよう。
…と思ったが、すぐに行き止まりになった。成層している溶岩には、固いものとそれよりも軟らかいものが交互に重なっている。それで、ちょうど道のようなものがたまたまできることがあるのだ。


 


これで、今日のルート調査はお終い。最後に鋸岳からシラハゲ上部を見ると、川が浸食した地形があった。あそこの上の部分も、やはり吾妻火砕流なんだろうか?いつか調べてみたい。